【摂理人が書く物語】とある夏のカフェにて。その3~Bible Story:エリヤとカラスのパン~

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Bさんが友達とカフェで話している頃、Cさんは一人炎天下の中伝道を続けていました。
C「あ~…あづ~い!」
暑い中たくさん声をかけるから、体力も消耗し、汗も止まりません。
さらに、人に声をかけてもほとんど話を聞いてくれず、そのことがCさんの心を消耗させます。
…まだ伝道について何も知らず、いきなり「聖書を読みませんか?」と声をかけるから、みんな怪しく思って引いているのですけどね。
C「さすがに…もう…やめよっかな…。
でも…せっかくだから、あと一人…。」
疲れもピークのCさんですが、それでも声をかけることはやめません。
…いったい彼女はどうして伝道を続けるのでしょうか?
C「(…あぁ。あのときのエリヤの気持ちって、こうなのかな…)」
彼女は30個論「エリヤとカラスのパン」を聞いたときのことを思い出します…。
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K「じゃあ、聖句を引きましょうか。列王記上17章1~7節を読んでみてください。」
C「はい。」
列王記上17章1~7節
ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。
主の言葉がエリヤに臨んだ、
「ここを去って東におもむき、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに身を隠しなさい。
そしてその川の水を飲みなさい。わたしはからすに命じて、そこであなたを養わせよう」。
エリヤは行って、主の言葉のとおりにした。すなわち行って、ヨルダンの東にあるケリテ川のほとりに住んだ。
すると、からすが朝ごとに彼の所にパンと肉を運び、また夕ごとにパンと肉を運んできた。そして彼はその川の水を飲んだ。
しかし国に雨がなかったので、しばらくしてその川はかれた。
K「はい、ありがとうございます。
当時エリヤのいたイスラエルでは、神様を信じないで偶像を崇拝していたアハブ王がいたのよ。だから、神様を信じる人はみんな殺されてしまったわ…。エリヤはそんな中、ただ一人信じ、神様の御言葉を伝える人だったの。」
C「ちょっといいですか?」
K「どうしたの?」
C「このとき、神様を信じているのがエリヤだけだったんですよね。」
K「そうなの!」
C「王様は偶像を崇拝していたのですよね?」
K「そうなの。だからね…」
C「じゃあ、何でエリヤは神様の御言葉をアハブ王に伝えたんですか?
K「えっ?」
C「そんな人が神様の御言葉を受け入れるわけないじゃないですか!そんな王様に背いているような行動したら命だって危ないし…
しかも、カラスが持ってきた肉とパンを食べる始末…ばっちいじゃないですか。」
K「あ、そこはね…。」
そういって、Kさんはカラスがパンを持ってきたことについて詳しく話します。
C「…あぁ、そういうことだったんですか。」
K「そうなの。」
C「それでも、やっぱり大変ですよね。三年間も川のほとりで生活するなんて…。それって、神様を信じる人としてのプライドはどうなんですか?
それなら、エリヤが町で大人しくしてて、こっそり神様の言葉を伝えながら、アハブ王が死ぬのを待ったらよかったんじゃないですか?そうすれば、人から追われることもないし、ホームレス同然の生活をしなくて済むんじゃないですか?」
Cさん、なかなかすごいことを言いますね。ホームレスって…。
K「…それはね。エリヤはそうできなかったの。
神様を信じる人として、イスラエルの状況を見ていられなかったのよ。」
C「それでも、やっぱり納得できません。
どうして、エリヤは苦しんでまで御言葉を伝えようとし続けたのですか?」
K「…言葉ではうまく説明できないわ。
C「へっ?どういうことですか?」
K「Cちゃん、神様の御言葉には心情があるの。どんなに論理的に説明したとしても、原理がわかったとしても、それだけでは理解できないことがあるわ。
それは…神様の心情を感じないと、納得できないと思うわ。」
C「…そうなんですか。」
K「ただ一つ言えることはね。
もしエリヤが神様の御言葉を伝えず、苦しい生活をしなかったなら、神様を信じる人はもっといなかったし、神様ももっと苦しかったはずだわ。
もちろん、本当はアハブ王も、みんなもエリヤの言葉を聞いて神様を信じることが一番よかったのだけど…。」
C「どうしたら…その心情がわかるんですか?」
K「それはね…同じ状況になった時、かしら。エリヤと同じように行えば、その心情がわかると思うわ。」
C「そんな…無茶な…。」
K「Cちゃんが無理をする必要はないわよ。いつか、わかるときは来るわ。」
C「はぁ…」
K「それでね…」
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C「(今…この大学の中で神様の心情を知っているのは、私一人。)」
あのときのことを思い出しながら、Cさんは考えます。
C「(もし私が、聞いた御言葉を伝えなければ、神様のことを知る人は誰もいない。
神様がその人を愛していることも、このままだと…虚しいまま人生を終えてしまうことも、知らないで生きている。
そして、神様が悲しんだまま、その人の霊魂は…。
そう思ったら…誰かに伝えずには、いられない!)」
その思いで、精神が引き締まるCさん。
C「(暑いのも、疲れているのも、みんなが聞いてくれないのも…関係無い!私が、伝えなきゃ!伝えたい!)」
そして、また足を踏み出します。
C「(エリヤが王の前に立った心情…今ならわかる気がする。
…言葉では、説明できないけど。)」
この御言葉は、ただ知識で終わる話ではありません。すべての御言葉には、神様の思い、心情が込められています。
心情を感じたとき、人は大きく生まれ変わります。
Cさんのこの行いも…あとには大きな実を結ぶようになるのです。
このように、人知れず犠牲となって、私たちを生かしてくださる人がいます。その人がいてくださるから、私たちは今も生きられるのです。
どうか、皆さんが、その人のことを知れますように…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。