摂理人の『探し物』を巡る戦争。~『アレ』を探して三千里~

『アレ』は果たして何で、どこにあるのか…

こんばんは、satoです。前回の続きです。

『アレ』の正体、それは

明け方お祈りに行こうとして、『アレ』がないことに気づいた私。
この時は一旦一緒に住んでいる人より先に行くことにし、帰りもその人と一緒に帰りました。
そして、明け方の祈りを終えて、私は必死に探します。

『アレ』…そう、無くし物の定番

家の鍵

を。

そう。私は『鍵』を恐ろしいまでに無くします。私が住む家で、必ず一回は無くしてしまいます。しかも、ずっと行方不明のままなものが多数…。

今回は私重要な鍵を握っているので、本当になくせない。
なので、とても神経を使っていたのです。今までどうせ忘れるから…と思ってしなかった「持ち物BOX」を作ってまで。
しかし、私はAD/HDという脳の特性上、どうしても注意力が切れてしまうときがあって、その時に物を無くしてしまうのです。
鍵をなくした日の前日もずっと起きていて、帰る頃には
「今日は眠い…ぐっすり眠れそうだ」
ということを考えながら、家に入りました。
そのために、いつもなら入れているか確認するところを忘れてしまい、このような鍵騒動になったのです。

家の鍵はどこにあったのか?

さて、鍵はその後どうなったのか…と言いますと。
結論から言うと今日、見つかりました。

最近、お祈りをしたら見つかるということもあったので、たくさん祈りました。
家の鍵がどこにあるのか教えてください。
と。そうしたら、感動が来て鍵が見つかるのではないか…と。実際、そうやってカバンの中にあった、とかポケットに入れていた、と見つけることが多かったのです。きっと、魂体の力でしょう。

ところが、今回はお祈りをしても、見つからない。
思い浮かぶところは探したのですが、どこにもない。
ますます焦る私。
脳裏に浮かぶのは、これまでなくした鍵を見つけようとして、必死に探すも見つからない過去の記憶。

あぁ、なんで私はいつもこうなのか…。
あれだけ気を付けなければ、と思っていたのに…。
どんなに対策を練ったとしても、私の脳は信用出来ないから、スペアキーを早く作ろうってあれほど考えていたのに…。
やっぱりすぐに作って、家に置いていくべきだった…。

諦めムードの私。
しかし、聖霊様は続けて感動を与えていました。
もう一度コートを探しなさいと。
一緒に住んでいる人を通しても話していました。
コートにはないんですかと。

しかし、私はなくした当初からコートのポケットを何度も探しました。が、見つかりません。
なので、今日には

もう探したよ。でも、見つからないんだ。

と言っていました。

コートにはない。

ずっとそう思い、そして家中を探しましたが、見つからず。
(自分が鍵を開けて家に入ったので、家にあるのは間違いない)

…まぁ、いつかは出てくるでしょう…。

と半ば諦めつつ学校に向かいました。

今日は、色々聖霊様と対話しながら、バイトをしていました。そうして、私の魂体も心もとても楽しく、次元を上げる時間になりました。

本当に感謝だな~。

そう思いつつ、バイト先から出ようとした時に。
ふとコートの裏にあるポケットに手を入れると

飴の包み紙

がありました。

「…まぁ、そりゃないよね。私、そこには入れていないし…」

そう思いつつ、裏ポケットから手を出すと、左胸の前側にも小さなポケットがあることに気づきました。

なんとなく手を入れた私。そこには…

ボタンがありました。

「…こんなところに、どうして入っているの?」

と不思議に思いつつ、

「センガッケ、シニデオラ~」と賛美をしながら、

右側の胸にある同じようなポケットに手を入れた私。

すると、その手には

どこかで触ったことのある感触が。

取り出してみると。

ずっと探していた家の鍵が…。

「あったぁぁぁ!!?やった~~感謝します!」

と思わず叫んでいました、私。

ハレルヤ、という言葉が出かかりましたが、ここはまだバイト先なので自重しました。

つまりですね。
家の鍵は、自分が着ていたコートの『自分が存在を知らなかった』ポケットにずっと入っていたのです。

それを知らないまま、ずっとそのコートを着ていた私。
そして、『どこにもない…』とずっと探していた私。

なんという、オマヌケ…(笑)

この事件を通して悟ったこと

聖霊様は「それぞれの人が知っている範囲内」で語られる。

ふと、今日摂理の教会で聞いた、この箴言が頭に浮かびました。

聖霊様は感動を与えていました。コートにありそうな気がするという感動を。また、人を通しても話していました。
しかし、私が鍵の入っていたポケットの存在を知らなかったために、完全な答えを得られなかったのです。

もし、知っていたなら、(まさかと思いつつも)一応探していたでしょう。

これと同じように。

自分が知っていると思っているところに、実は自分も知らない重要な答えがあったとしたら。

それを知らずに、ずっと『答えがない…』と思いながら、生きていたとしたら。

もう少し行ない、もう少し努力し、もう少し熱を上げたら、 <運命>が変わり、問題が<答え>になり、<違った世界>になります。

私が探していた鍵は、実は私がずっと持っていたのです。
見つかるか否かの差は「ほんの少し」。

これと同じく、実は自分が探していたものは、私がいつでも触れることができる所に、「ほんの少し見えない」ところに、ずっとあるのかもしれない…

そして、この鍵が見つかったのも、最後まで諦めないでもう少しだけ祈り、もう少しだけ聖霊様を呼んで、もう少しだけ魂体を使って、もう少しだけ探したから。

結局人生の答えを知り、それを得ることも、『もう少し』行うことが必要なのです。

もう少しだけやれば運命が変わる。 もう少しだけやれば問題が答えに変わる。 もう少しだけやれば違った世界だ。

今週伝えられたこの主日の御言葉について、改めて深く噛みしめる出来事でした。

…いや、本当に鍵が見つかって良かった…!本当に感謝します!

しかし…どうやってここに鍵が入ったのだろうか…。もしかしたら、いつものポケットと間違って認識していたのだろうか…。
謎は、深まるばかり…

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。