「絶対性」に抵抗のある人へ。


こんばんは、satoです。

摂理の御言葉ははっきりしています。「これをするな」、「これをしなさい」、「これが正しい」、「これは間違いだ」、「これが善」、「これが悪」…それはもう、はっきりと。
それは神様が「絶対的」な方であるからです。

というのは、神の言は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志とを見分けることができる。-ヘブル人への手紙4章12節

神様は「絶対者」なので、とても鋭いです。たまにこちらが痛くなるほどです…(笑)

ところで、「これが正しい」とか「これが常識だ」という話を聞くと

「何の疑いもなく、そのまま従う人」

「それに対して抵抗を感じる人」

がいます。抵抗を感じるのは「内容」というより「それが正しい」と有無を言わせない感じの言葉に対して、という人もいます。

そもそも、摂理以外でも「これが正しい」、「これに従えば正解だ」、「これは常識」とされているものがたくさんあります。学校や社会、日々の生活の中に。
それに対して「そのまま従う人」もいれば「疑問を持つ人」もいます。
特に世の中の常識には「明らかに間違っている、害を与えるもの」もあります。また、「普通に考えたら非常識」なものもあります。
たとえば、「サービス残業は当たり前」という文化がある会社はその中ではこれが当たり前とされていますし、上司もそのようにするように言外に圧力をかけることもあります。
しかし、その外から見たときには「それはおかしい」といいます。

こういうときに、「それはどうしてか?」と疑問に思い、尋ねるのですが、その返答が

「いいから、とにかく従え」

「こうしないとやっていけないのだ」

「そう考えるお前がおかしい」

というものであることが多いです。
実は「これが正しい」、「これが常識だ」という言葉、カルト団体もよく使っています。その魂胆はとにかく自分たちの意を成させようとその人の考えを奪うことです。

ここまで極端な例でないにしろ、普段の生活の些細なことについて「それはどうして?」って質問をすると「屁理屈を言うな!」とか「そんなこと気にしなくていいの!」とか、そういう言葉を言われがちです。
しかし、このように言われた人は「自分の疑問が解けなかった」というわだかまりが残ります。そうしてそういうものが募ると「これは常識だ」「これが正しい」という言葉自体に抵抗を見せるようになるのです。

日本人が「絶対的な言葉」に対して抵抗感を感じるのは、かつて「お国のために」という言葉で戦争に国民を動員させ、その結果大きな傷跡を残した…という歴史も関わっているでしょうが、それだけでなく「言外に同調させようとする」日本独自の文化によって起こる上のようなことが原因なのではないかと思っています。
要するに自分の中で納得ができていないのに、それを強要させようとすると感じるのでしょう。

とにかく同調させ、とにかくやらせようとする。
これは神様の願うことではありません。神様は「強要」させることを嫌います。
なので、摂理でも「強要」はありません。納得できなければ、神様に祈ればいいのです。
あるいは、御言葉を伝える人に直接聞いてもいいのです。

少なくとも、神様は私たちが納得できるまで、疑問があるところはすべて解いてくださいます。
そこに時間がかかることはありますが、

「何も言わずに従え」とか

「黙ってやればいい」

と、質問する自分を否定するようなことは言いません。すべてを明かすことはできなかったとしても、私たちが「やってみようかな」と思うようにさせます。神様は全知全能故、私たちの考えも及ばないような方法で納得させてくださるのです。
また、摂理では「必ず確認しなさい」と話します。それが正しいかどうかを確認して、しっかり納得してから受け入れることを薦めているのです。その方法は「行なうこと」です。

ただ、そこに一つ条件がありまして、それは「一旦受け入れようとする」ことなのです。
それは間違っている、という考えを空けないと、どうしても神様の御言葉を納得することはできません。
自分の考えに固執すると、受け入れられないのです。
これはネットでよく見る「論争」と同じようになります。相手が良いことを話していても「自分の意見に同調するもの以外は受け入れない」状態では考えが変えられず、見ている人からするととてもつらい…。

有無を言わせずやらせる、と感じるような「絶対的な言葉」。
しかし、神様はただそれを言うだけの方ではなく、必ず「それをやってみよう」とさせるし、しっかり理解させる方です。「ちゃんとわかって信じなさい」とは神様の弁です。
そういう意味で、摂理は「絶対的な言葉に抵抗感がある」人でも安心して来れる場所だと思っています。
何を隠そう…私がそうなので(笑)

というわけで、「間違っている」とか「それはおかしい」という考えはいったんおいて、摂理を見てほしいと思います。

 

この記事を書いたブロガー

sato
霊肉ともに生粋の道産子・摂理男子。数学者を志す大学院生です(・∀・)もう30代間近…。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向。普段見える世界から色々なことを深く考え、悟りを得ることが一番の楽しみ。祈りと賛美大好き(*´∀`*)グルメ巡りと御言葉を基にした小説作品を作ることは私の密かな夢。

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