誰の目に映らなくても


みなさん

見えないところで生き続けるって、どう思いますか?

 

先日、街を散歩していたら、とても綺麗な梅?の花の木を見つけました。

その花の木は、大通りからは全く見えない、とあるアパート横にある空き地に生えていました。

私も、まさかこんなところに木が生えているなんて、と思うくらいでした。

 

その木は、1本だけ生えていました。

周りには何も生えていませんでした。

ただ1本だけ、佇むように生えていました。

 

しかし、その木を見て飛び込んできたのは、

堂々とした立ち振る舞いの姿であり、3匹の鳥が宿る、美しいピンク色の花びらをつけた梅の花の木でした。

その木の下の入って見上げてみると、太陽に向かってグンと伸びており、

日差しがキラキラ差し込んで美しかったです。

 

 

 

誰にも見られないような場所に、生えている木。

精一杯生きながら、太陽の光をふんだんに浴びて育っていました。

 

見る人が見た時、その美しさと勇壮さに、心を奪われるようになります。

人の手に触れない、人の目に触れないものって、自然のたくましさ、美しさを感じます。

 

鄭明析牧師も、人が見ていようが見ていまいが、ただご自身のやるべきことを、ずーっと変わらずにやり続けていらっしゃいます。

ご自身のことは後回しにされ、ただひたすら、神様の愛を人間が実体的に備えてなすことを、伝え続けていらっしゃいます。

一生懸命に生きる姿には、誰も何も言うことができません。

 

私も、そのような姿を自分自身が失ってはいないのかと、思わずにはいられません。

 

きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の花でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

(新約聖書:マタイによる福音書第6章30節)

 

人目につかない、まるでいるのかいないのかわからないような野の花でさえも、美しく装われています。ましてや、私たちはどれだけ美しい存在でしょうか。他人からどう思われようが思われまいが気にすることなく、一人一人が、大切なかけがえのない生命として、生きているということです。

 

私は、生きる意味があるんだ。

感謝します。

 

 

この記事を書いたブロガー

Yo
摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活をするYo。
1985年生まれ。長崎県長崎市出身。東京在住。最近は安くていいもの巡りにハマっている☆

ABOUTこの記事をかいた人

摂理(キリスト教福音宣教会)で信仰生活をするYo。 1985年生まれ。長崎県長崎市出身。東京在住。最近は安くていいもの巡りにハマっている☆