心が折れそう…というよりボッキリ折れた時大事なこと。

おはようございます、satoです。

どういうわけか、何をしてもやる気が出ない。
御言葉を聞いても、祈っても、賛美をしても、愛に火がつかない。
何かをして差し上げようという気持ちはあっても、体を動かしたいと思えない。
そんな感じの状態に、私はしばしばなります。つまり、「心が折れてしまった」ということですね。

「もうやりたくない…けどなんとかやってみよう」っていう時はまだ「心が折れていない」です。
心は折れそうですが、まだなんとかなるのです。やれば力を受けることもあるから。
ところが、、ここで「もうやめだ…!」って自暴自棄に陥ると完璧に心が折れてしまいます。

アハブはエリヤのしたすべての事、また彼がすべての預言者を刀で殺したことをイゼベルに告げたので、イゼベルは使者をエリヤにつかわして言った、「もしわたしが、あすの今ごろ、あなたの命をあの人々のひとりの命のようにしていないならば、神々がどんなにでも、わたしを罰してくださるように」。そこでエリヤは恐れて、自分の命を救うために立って逃げ、ユダに属するベエルシバへ行って、しもべをそこに残し、自分は一日の道のりほど荒野にはいって行って、れだまの木の下に座し、自分の死を求めて言った、「主よ、もはや、じゅうぶんです。今わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません」。

口語訳聖書 列王記上19章1-4節

聖書の預言者の中でも「二大預言者」と呼ばれるモーセとエリヤ。
エリヤはイスラエルに偶像崇拝がはびこっていたその時に、神様の預言を伝え、命を懸けて偶像の祭司と戦った結果、850人の偶像の預言者を殺しイスラエルに信仰を戻した、という大きなことをした人でした。
そんなエリヤですが、イゼベルが偶像崇拝者のことを聞いた際に「怒って殺そう」とするのを聞いて、「もう嫌…」と諦めてしまいました。

こんなイメージでしょうかね…(´・ω・`)

このように、どんなに神様を愛して大きなことをした人でも考えを間違えると「落胆、自暴自棄」に陥ります。

心で心配したら病むように、心でしきりに心配し、憂(うれ)え、不安がれば、脳神経もただちにその影響を受けるようになる。

2017年3月24日鄭明析先生の明け方の箴言より

だから、考えの管理が必要になるのですが、それでは「心が折れてしまった時」はどのようにしたら良いのでしょうか?
まず、先程のエリヤの話の続きを見てみますと…

彼はれだまの木の下に伏して眠ったが、天の使が彼にさわり、「起きて食べなさい」と言ったので、起きて見ると、頭のそばに、焼け石の上で焼いたパン一個と、一びんの水があった。彼は食べ、かつ飲んでまた寝た。主の使は再びきて、彼にさわって言った、「起きて食べなさい。道が遠くて耐えられないでしょうから」。 彼は起きて食べ、かつ飲み、その食物で力づいて四十日四十夜行って、神の山ホレブに着いた。

口語訳聖書 列王記上19章5-8節

ここに書いてあるように、神様はエリヤに休んでご飯を食べさせてあげました。
このように、色々悪い考えが浮かぶ時はひとまず休んで疲れを取ることが大事になります。
頑張り過ぎなのか、自分のミスなのか、それはともかくとして、自暴自棄をするような時は大抵かなり疲れているときが多いです。
そういうときにもっと頑張ろうとしたり、色々考えても負のスパイラルに陥ります。
そういうときこそ

しきりに「私は幸せだ。うれしい人だ」と言って、全能者神様に栄光を帰してこそ、脳がそのように反応し、作動して、そのような考えが脳にいっぱいになって、頭が痛くない。

2017年3月24日鄭明析先生の明け方の箴言より

自分が良かったこと、嬉しかったことを繰り返し考えて、脳をポジティブにする。これが本当に大切です。
ちなみに、私の場合は色々なことをしていたときに何人かからお礼のメールが来た時に「あ、自分って愛されているんだ…」と実感して、そこでネガティブな考えが一旦切れました。自分一人で考えると、本当に死んでしまいますからね、考え。
まずは、ゆっくり休んで、ポジティブに考える。そして人と話す。それが、心が折れた時に大事なことだなと感じました。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。