ものすごく疲れたとき…

こんばんは、satoです。

社会人になってから、多くのところで仕事をして、やるべきことをやって、明け方起きて…という生活をしているとだいぶ体に疲れが溜まってきます。正直眠くて何にも手が付かない、気づいたらいつもよりスマホの時間が長い…という状態ですね。
元々この記事を書いたときは2016年、当時も月明洞から帰った後色々すべきことをして、仕事もして研究もして、今日はバイトの初出勤…と肉的に見たらハードな日々でした。
心はむしろ積極的に、喜んでいるのですが体はちょっと痛い…こういう時、葛藤が起こります。

「やりたいことはあるけど、どうしても体が追いつかない…」

「体が疲れているのに、どうしてここまでしなければならないのか…」

「やりたい気持ちにならないけど、やらないと…」

日本人はこういうとき「気持ち次第で何とかなる!」という精神論を持ち出しがちです。
しかし、この精神論が行き過ぎると過労になり体を壊して、死んでしまうこともあります。
最近話題になっている電通の過労死事件とか「ワンオペ」とかがその例です。
このような過度な精神論に由来する過密労働は社会問題になっています。

さて、先ほど出てきた苦しい声は信仰の問題なのでしょうか?それとも体の問題なのでしょうか?
鄭明析先生は御言葉で疲れているときには休みなさいと話されます。働くばかりでなくしっかり運動もし、休息をとることで健康管理をしなさい、と。
実際、一度体を休めると頭が聡明になって行えるようになったり、変な考えが消えることもあります。
私もこの時は午後から少し休息をとっていましたが、おかげで現在少しやる気が出てやろうとしていたことができるようになりました。…ただ、少し休みすぎた感がありますが(笑)

私もそうなのですが、「休むのが苦手」って人もいる気がします。
何もしないで休む、ということは実をいうとできなくて、実際には「自分が楽なことをしている」状態であることが多いです。ただ、その「楽なこと」がもっと疲れの原因になってたなんてケースも…。
たとえばネットサーフィンはその一つ。目が疲れてしまうし、情報もたくさん入ってくるので頭も疲れてしまいます。
反面、自分の頭の中にある数学や知識について深く知ろうとあれこれ考えると頭は整理されてスッキリします。これは私だけかもしれませんが(笑)
何もしないことより、自分がすべきことをする方が休めるということはありそうです。
鄭明析先生は「仕事をしながら休みなさい」という御言葉も話されます。
寝ることだけで体を休めようとしないで、運動して疲れを取るとか自分のすべきことをしながら力を受けるとか、そういうことです。

もちろんこれはケースバイケースです。
休息のための睡眠が必要な時に運動するのは間違っていますし、寝すぎても疲れが取れないどころかもっと頭がぼーっとしたり痛くなってしまいます。
なので、「自分がやろう!」という気持ちを持ったうえでその状況に合わせてやっていくのが一番だと思います。

最後になりますが、疲れているときにはいい考えが浮かびません。
特に「本当に神様を愛してるんだっけ?」とか「もう摂理を出たい…」という考えが浮かぶときは心とか体が疲れている可能性が高いです。
そういう時は、ひとまず心をリラックスさせるために散歩をしてみたり、自分の好きな信仰的なもの(賛美とか祈りとか御言葉を絵にしたりとか)をしてみましょう。
そうして心が休まると、「摂理を出たい」って考えは消えていることが多いです。
案外「摂理を出たい」って心は消えやすいんです。

疲れもうまく治めながら、楽しい人生を送っていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。