「楽しい」のが好きなあなたへ

こんばんは、satoです。

私は「楽しいこと」が好きです。
楽しいことなら何でも(*‘∀‘)
ゲームも、漫画も、昔楽しいと感じていたからしていたのです。

特に好きなのがバラエティでした。どうも「くだらない」感じの笑いが好きなもので…|д゚)
言葉遊び、ダジャレが大好きでした。

賛美も楽しく、気軽に。何事も楽しく。
そんな風に思ってやっているのですが、人から

「賛美をBGMのようにしてはいけない」

という話を聞いて考えました。
BGMというのは、つまり「何も考えずにただ賛美を歌う」って話です。確かにそれだと形式になってしまうし、本来の賛美の目的から外れてしまいます。

でも…時には賛美をしながら神様のことを考える時だってあるんじゃないか?
とか
楽しんじゃダメなのかな?
とか、なんとなくモヤモヤしていました。
それで、ふと「神様はどう思われますか?」と聞いたらこんな感動を受けました。

「楽しむことについて、認識を変えればいい。
『神様に栄光を帰すこと』が楽しいんだ、ってことを認識すればいい」

なるほど。
私がモヤモヤしていたのは「かつて楽しいと感じていた」ことと違っていたからなんですね。
確かに、私は「気軽に楽しめる」ことが楽しいと思っていました。それに比べると「神様に栄光を帰す」ということが少し重く感じられていたのかもしれません。人に何かをするだけでもなかなか気を遣うのに、まして神様ともなれば…|д゚)

もっというと、私が過去していたことはすべて「自分一人で楽しめること」だったのですが、それと比べると「相手に何かをする楽しみ、相手からもらう楽しみ」というのはかなり質が違うものです。
楽しさ、喜びは倍増なのですが、慣れません(´・ω・`)

でも、それは「慣れていない」から。
やっぱり「神様と自分だけの楽しみ」って、楽しいんだと思うんです。そのことを素直に認めます。
現に、このやり取りとても楽しいんですから。

過去楽しいと思っていたところから、心を空けて。
「神様と共に」楽しむことを模索したいと思います(*‘∀‘)

 

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。