人を教えていて感じる「反応」の大切さ

おはようございます、satoです。

ある時、牧会者と話す中でこんな話を聞きました。

「satoが前で聞いているときとても御言葉に対する反応が良いよ。そういう人が一人いるだけで違う」

私は使命の関係で後ろでパソコンを扱うことが多く前に出られるのはそこまでないのですが、そういうときの私の反応は頷いたり、アーメンと言っているようでそこを牧会者の方が話していました。
…私自身はそこまで自覚なかったのですが(´・ω・`)御言葉を聞きながら葛藤してたり、受け入れられないなってもがくときも多いですしね…。

ただ、こういう話は以前も別の人がしていました。
御言葉を勉強中の人の後ろで御言葉を聞いていたのですが、自分の反応の良さに「どんどん御言葉が出てくる」と話していました。

そのように、反応する人が一人いるだけで神様がとても注目され「深い御言葉」が引き出されます。
それで教会の雰囲気も良くなっていくのだそうです。

これは私だけでなく、教会の中に明確に反応する人がいるとそれだけで嬉しくなるような感じがします。
人との対話でも「自分の話に興味を持ってくれる」人とはたくさん話がしたくなりますよね。

教える立場から考える「反応」の話

私は仕事で人に数学を教えていますが、その立場からしたら「自分の話反応してくれる人」はとてもありがたいです。
その人を通して「どのようなところが分かっているのか」がはっきりするから、伝えやすいのです。

私は仕事で人に数学を教えることがあるのですが、その際「反応する人」に積極的に当てます。
長らく人に教える仕事をしていますが、大体一人はとても元気で反応が良い人がいます。そういう人の大半は数学が苦手で、私が一通り計算したあと「わからないところある人~」って聞くと「この辺りがわかりません」と言ってくれます。
そうしたら、自分が一つ一つ確認して、分からないところをより丁寧に教えます。
そうすることでつまづきを解消していきます。
最近はわかる?って聞いた時の反応で「あ、これダメなやつだな?」って分かるので、そこでより細かく質問をするようにしています。この過程、実は私も楽しいのです。

「授業後にしても良いのでは」という意見もありますが、私はこういったやり取りを授業にするのがとても大事だと感じています。
なぜなら、一人が躓いていることは、たいてい他の人も「あれ?」って思っているからです。だから、私はその人一人を通して多くの人に教えているイメージで教えています。

仕事をする中で反応がいい人がいる授業はとても楽しかったです。そして、反応する人は大抵成績もとても良いです。
以前仕事で教えてた次の年にばったり会って「授業で教えてもらったことがどんどん使われました!」と反応してくれたのはとても嬉しかったです。
そういうことも考えると、反応してくれる人は本当に嬉しいのです。

また、反応する人の中には数学が苦手な人もいますが、そう言う人もある程度伸びます。
やはり丁寧に解説することで段々と計算できるようになると言う一面があるからでしょうか。
こう言った人からも「丁寧に教えてもらえて良かった」と言う感想をいただけてとても嬉しいのです。

そう考えると教えていて一番大変だったのは全く反応がないけど、実はできなかったって人です。
テストしてみると授業で教えていなかったやり方をしていたり、そもそも式を理解していなかったりすることがわかるのですが、やはり直接教えられないとなかなかこう言ったものは直せないので…。

そんなことを考えると「もし私の反応で神様が御言葉を伝えてくださるなら、本当に対話になっていいな」と感じました。
もっと反応しながら御言葉を聞いていきます\(^o^)/

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。