「如何に子供に勉強をさせるのか」について思ったこと。

おはようございます、satoです。

塾や教師など、教育関連の仕事に触れていると、こういう言葉を聞きます。
「その科目に興味を持たない生徒がいて、その生徒にどうやって興味を持たせるか?」
この問題を言い換えると、如何に生徒に勉強を「させる」か、「したくなるように」するかという問いかけになります。
私は実際、教員採用試験の面接でも聞かれましたし、現在のバイトでもこの壁にぶつかっています。

今の日本では、中学校までは義務教育、高校もほとんどの場合通うのが当たり前の世界になっています。
そうなると、今の子供達は実に多くの学問に触れることになります。いや、触れるだけでなく「習得すること」を(半ば決定事項のように)求められています。
しかし、一方で今の子供達はあまり学校で習う事柄に興味を持ってはいないと思います。
なぜなら、今の子供達にはあまりに多くの「楽しくて、刺激的な」ものがあるからです。
テレビ、アニメ、漫画、ゲーム、スマホ、芸能人、Youtube、etc…
基本的に「何も考えなくても、じっとしていても」新しいものが得られる、そのような時代。

そんな中で、「ただ一方的に何も考えることなく『先生の言われたとおりに答えられるようにする』ことを頑張る」というのはなかなかに難しいことだと思います。
ところが、今の教育はこの「模範解答を答えられるようにする」ことがゴールになっているような勉強法が多くなってしまっています。
もちろん、「模範解答を答える」ことを目的として教えている先生はそう多くない、気がします。しかし、どの科目においても最後は「テストの点数」によって成績が決定され、その成績が行きたい高校、大学を決めている現状では「模範解答を答えられるようにする」という手段が一番の近道であるかのように感じます。

多くの「興味を引くような」事物がある中で、自分がもっと興味のあるものを持っている中で、「勉強を強いられる」ということは多くの子供にとって楽しいものではないように感じます。それ故、授業中寝ていたり、おしゃべりをしたり、ゲームをしたりする子供が増えているのだと思います。

また、「模範解答を答えられるようにする」ことをそこまで苦に思わずむしろ楽しめる人もいます。(私はどちらかと言えばこちら側の人でした)
しかし、そういう人にとっても、実はこの「模範解答を答えられるようにする」勉強法というのはちょっと損をしているように感じます。
私自身、数学を本格的に研究してから「本来の勉強の楽しさ」というものに気づいたのでした。正直、これは高校までではもちろん、大学でもそこまで気づけなかった「楽しさ」なのですが…。

それでは、本来の勉強の楽しさ、とはなんでしょうか?

私は「自分のいる世界」が新しくなることだと感じています。
言い換えると、「自分のいるところ」で違う世界に行くための一つの方法が勉強なのだと私は思うのです。

…この辺りについて、明日詳しく述べてみたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。