摂理人の叫び「中二病だって救われたら使命者だ!!!」

こんにちは、satoです。
皆さんは中二病という言葉をご存知でしょうか?
中二病というのは…
一言で言うと「
・自分が何か特別な能力を持った存在だと思ってしまう。
・それを信じきって、様々にイタい発言をする。
変なポーズをしちゃう。
かなりメルヘンなポエムを書いちゃう。
自分独自の世界観を持っている。
・独特な世界観を持っているグループに傾倒する。
…辺りでしょうか。
これは中高生に陥りがちな現象で、自分というものを模索する「思春期」ならではと言えます。大体オタク文化との相性がいいです。
「若さ故の過ち」ですね(笑)
こういう奇異な行動をしているものだから、中二病=イタい人と見られがちです。
しかし、実はそうとは限りません。
摂理をワカルトキ
このブログの作者は自分を「中二病」と公言しています。
世の中愛だぜベイベー!
なんて、青臭いのでしょう。
その文章には「邪気眼」とか「世界の終わりが」とかそういうイタい発言はありません。
しかし、確固とした信念と鋭い着眼点で世の中の様々な現象に対して持論を展開していく。とってもキレキレです、この文章。見ていて爽快ですらあります。
でも、時たま子供っぽい発言をすることもある…。
こんな、素敵な人だっているのです。
ところで、私がこの記事を書くきっかけとなったのはこのスタンプです。
中二病カノジョ|LINE STORE
最近、このスタンプを使っている人をちらちらと見かけますね(笑)
たとえば、こんな感じ。
14zz.png
…いや~見事に成りきっていますね(笑)
私、こういうの割と好きですよ(笑)
だって、私も中二病でしたから。…今も若干残っているかも。
変なポーズするの好きだし、ちょっとイタい発言がカッコいいと思っていた人でした。
そして、自分独自の世界観をかな~~り強く持っていました。それを物語にしようと思ったくらいです。
そんな私が、このスタンプを色々見ているうちにあることに気づきました。
ちょっと待った。
このスタンプのセリフちょっと変えたら…神霊になるんじゃないか?

一つ例を挙げましょう。
中二病「私は神…」.jpg
このままだと、どこかの天才が私は新世界の神になる!という感じですよね。
全ての人の上に立っている、そんな感じ。
ところがこのセリフを
私は神の体
としたらどうでしょう?
なんだか
神様の思いを受けて、行おうとする健気な少女
のように見えはしませんか!?
ちゃんと摂理の御言葉で説明します。
鄭明析先生の主日の御言葉『<言葉の御力>を受けなさい。<考え>について悟りなさい。<考え>は「神」だ。』から引用します。
神である「神様の御言葉、神様の考え」を受けて、その御言葉どおりに、その考えどおりに生きれば、人間として神になって、神のように生きることができます。考えを集中すればするほど、神の考えになって治めるようになるから、事故が起こりません。
神様の御言葉を受けて、そのとおりに生きれば人間として神になる
そう書いてあります。神様の御言葉は神様の思い。それを受けて、そのとおりに生きるならその人は神様の体
(「私は神…」でもいいのですが、あまりに某天才の印象が強すぎるので(笑)神の体にしました)
私は声を大にして言いたい。
中二病だって、救われれば使命者だ!!!
と。
最初に紹介したブログの著者に見るように、中二病の人には、こんな特徴があります。
・青臭い理想を信じている。(現実を見て、「こういうもんだよ…」と言う感じでない)
・人に流されない、自分の考えが強い。(自己主観が強い、けれど考えが変われば揺れない)
・ある意味子供っぽい。(モノマネをしたりするのは…)

それって、裏を返せば
幼子
ってことじゃありませんか?
マタイによる福音書19章14節
するとイエスは言われた、「幼な子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である」。
そう、天国は幼子のような人の世界なのです。
だって、摂理の御言葉を聞いたらとても理想的ですよね。
本気で世界は平和にできると思っているし、
本気で真実な愛があると書いてある。
そんな「キレイ」な言葉を本気で信じて、本気でこの世界に成そうとしている。
それが、摂理人なのです。
というわけで、
全国の中二病よ、摂理にカモン!

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。