摂理人が見る「大学の個性」北海道大学編!

こんばんは、satoです。
大学の個性シリーズ、今日は…私の地元北海道大学
これまであえて他大学の個性を見ていたのは、北大の個性をより深く知るためです。やはり「身近にあるものの本当の価値」は悟るのが難しいものの一つ。
マタイによる福音書13章54-58
そして郷里に行き、会堂で人々を教えられたところ、彼らは驚いて言った、「この人は、この知恵とこれらの力あるわざとを、どこで習ってきたのか。この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、 シモン、ユダではないか。またその姉妹たちもみな、わたしたちと 一緒にいるではないか。こんな数々のことを、いったい、どこで習ってきたのか」。
こうして人々はイエスにつまずいた。しかし、イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里や自分の家以外では、どこででも敬われないことはない」。 そして彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。
イエス様の時代も、イエス様の郷里の人たちは「昔のイエス様を知っている」ために、その考えで凝り固ってイエス様をキリストとして迎えられませんでした。
では、どうしたらその価値を正しく知れるのか?答えは鄭明析先生の御言葉にありました。
悟るためには、自分の考えを捨てなければなりません。
自分の経験、考え。それを置いて見たときに正しく見て、価値を悟るのです。
…北海道大学の前身である札幌農学校では、こんな感じで聖書のことを学んだのでしょうか?
北大の前身「札幌農学校」がクラーク博士によって聖書を使った道徳教育をしたこと、それがきっかけで農学校から多くのクリスチャン、それも日本と世界に影響を与えた人たちが多く輩出されたことはよくご存じだと思います。
それでは…北大がかつて東大と並ぶ教育の流れを作った大学だったということはご存じでしょうか?
北大内の博物館に展示されている北大の歴史を見ると、確かにそのように書かれているのです。
官僚の育成を目指していた東大に対して、北大の理念は「高邁な大志を抱き、世界で活躍する」リベラルな人材を育成することでした。
今でこそこのような人材が求められる日本ですが、このときは戦争間際。政府としては「政府の指針に反対する」人材はむしろ嫌っていました。そのためなのか、政府は北大に対して予算を大幅カットしたこともありました。この事で北大は存続の危機に。これを当時の北大総長が政府まで直談判することで免れました。しかし、この時から北大の「リベラルな人材を作る」という理念は薄れていったのです。
この辺りの話についてもっと知りたい人は…北大の博物館を見てみてください。
こんなに身近なところで歴史を作っていたとは…。こういう大学は他のところにはなかなかなかった、と思います。優秀な人材を輩出するのではなく、日本の教育の流れを作った大学…。
北大の価値、改めて深く気づけました。本当に感謝ですね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。