摂理と数字のマジック。~認識一つで御言葉の印象が変わる!~

おはようございます、satoです。
突然ですが「一日100回主を呼びなさい。どうして一日300回も主を呼べないのですか?」
この言葉につまずいた人手を挙げて~!(笑)

はい、私はこの言葉にかなりつまずいていました。…なんか「スポ根」のように感じられるから。
シンプルな感じでなく、ただ「根性でやればいい!」というのがとても嫌でした。ところが。

ある日シャワーを浴びる中で主を忘れていたことに気づき「主よ!」と呼んだときに、ふと「一日100回」呼ぶ目的が「考えの中に御子を忘れない」ことだと思いだしました。それで、突然「計算」する感動が浮かんだのです。

私たちは一日24時間を生きています。
そのうち寝る時間は大体6時間ですよね。そうなると人は18時間起きて活動しています。
さて、その中で御子の名前を100回呼びなさいということは…?

計算してみましょう。
18時間に100回ならば、大体1時間辺り6回呼べばOK。これはつまり…10分に1回ってこと!
300回なら3分に1回!

確かに「これくらいもできませんか!?」と言いたくなる気持ちも分かります(笑)
実際、10分に1回ならば何かあるごとに「主よ!?」って言っているんではないでしょうか?

このように、御言葉を聞くにしても「自分の主観」によってここまで印象が変わるんです。それこそ「スポ根やん!」から「あれ?少ない?」ってくらい。「できない」から「できる!」に。
だから、私たちの考えがとても重要!というわけです。

ちなみに鄭明析先生の御言葉の中に「析きなさい」(さきなさい、摂理独自の用語で分析するとか分けるという意味)があります。今回のように「大きなことも細かく分けてすると少し行なうだけでできる」ことがあるんです。
このことを覚えておくと、スポ根のように聞こえる御言葉ももっと身近に感じられるかも?

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。