発達障害と御言葉を聞くことについて<ADHD編>

おはようございます、satoです。

私は御言葉を聞くのが結構苦手です。
より正確には、御言葉に限らず「長時間一方的に話を聞く」ということがとても苦手です。
これは色々な原因がありますが、大きく分けると「AD/HD」の注意力散漫+多動性と「ASD」の一度気になるとずっと考え続ける癖によるものです。
今日はこの中でADHDに関わる話を書いてみようと思います。

ADHD由来の注意力散漫、多動性についての私感

注意欠陥で御言葉が聞けない話@摂理ぺたぺた日記

こちらは摂理の大学生hanaさんの「AD/HDの特性で御言葉を聞くことに対するもがき」を赤裸々に書いた記事です。
読んでて本当に共感しました。

ところで、これは私自身の経験から話すことなのですが、持続的にすると御言葉(より一般に一方的な話)を聞く時間が高くなります。
事実、私は御言葉を聞く前の段階では、授業中も御言葉中もほとんど自分の空想世界に入ってしまっていたり、そもそも頭に情報が入らなかったりで、人の話を聞けませんでした。ところが、現在では1時間の御言葉でも(一定条件を満たせば)持続して聞き続けることができています。
この一定条件というのは「余計な雑念がなく、感謝と愛の心を持っている」という感じです。その方法としてはやはり祈り、そして私の場合は賛美が大きいです。

この「話を聞ける時間が長くなった」のにはいくつか原因があるのですが、

1.摂理に来て漫画やゲームなどに没頭しなくなった。
→このことによって、脳内に余計な情報が入らなくなり、御言葉や人の話を聞けるくらいのスペースができた。

2.内容が聞いた瞬間に理解できるようになった。
→摂理の御言葉は大事なことを繰り返し話してくださるので、摂理にいればいるほど「神様の言わんとしていること」の流れを掴めます。
また、私は御言葉を聞く中で「自分の感覚と食い違うとそこにつまずく」(これについては後述)ことが多く、これについて祈って解決することで、御言葉に対する理解がある程度深まりました。このことで、内容を聞きながら「ちゃんと理解できる」ようになり、持続的に聞けるようになりました。
同様に、数学についても理解が深まったので以前よりしっかりと聞けるようになりました。

3.反応をしっかりするようになった。
→これは多動性に関係しますが、私の場合「じっと話を聞いている」と多動性が考えにいきます。つまり、雑念が生まれやすいです。
なので、アーメン!やハレルヤ!を思いっきりすることで多動性を解きました。そうしたら割と聞けるようになりました。ただし、反応することに没頭しすぎて御言葉を聞けてなかった…なんてこともありました(´・ω・`)
あと、御言葉中動くことは問題ないので、結構揺れたりしても問題なくて、そうすると御言葉を聞けることが多いです。

あとは、文字でなく「絵」で記録すると視覚的にも把握しやすく、楽しいのでこれも有効でした。

なので、私の場合「頭に余計な情報が入っていない状態、内容が理解できる内容で、反応をしても良い場所で」は一方的な話を聞くことができると考えられます。
言い換えると「黙っていないといけない」、「内容が理解できない」と今でも集中力が持続しません。

とはいえ、今でも後ろの方にいたり、ササクレをいじる癖で集中できないことも多いです。ですが、これも何かしらの対策を練るかあるいは時間が経つことで解決できるかもしれません。

摂理にいて御言葉を聞けない、あるいは職場や学校で集中できないとお悩みの方に参考になれば幸いです。

結論:とりあえず長時間メディアを見たりすると頭が動かなくなるから気をつけよう。(特にADHDの人はこれらにハマりやすいので要注意)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。