人間の考えの限界~安保法案成立とクルト・ゲーテル~その2

こんばんは、satoです。

今日は、昨年書いたこちらの記事の続きを書こうと思います。
もう一年前の話なので、概要を書きますと…
安保法案の可決の過程で多方面から多数の反対の声がありましたが、それを通して「国民の声を反映するための民主主義」というのが限界になりつつあるように感じました。
それについて深く考えると、そもそも人間の考えには限界があるというのを感じたのがこの文章を書くきっかけでした。

あれから一年経ち、現在国会は与党が圧倒的多数を占めています。
その結果、多くの人が望まないようなことすら可決される可能性が出てきています。しかし、これもまた「民主主義」の実現のために作られた選挙の結果なのです。
前回選挙と違って、今年は私も投票に参加しましたがそれでも状況はあまり変わっていません。

こういう話を聞きながら、思い出したのがクルト・ゲーデルの話でした。
ゲーデルというと「ゲーデルの不完全性定理」というものが有名なのですが、これは

「ある一定の条件を満たす論理体系が無矛盾ならば証明も反証もできない命題が存在する」

という第一不完全性定理と

「ある一定の条件を満たす論理体系においては、自分自身の無矛盾性を示すことができない」

という第二不完全性定理があります。ちなみに、第二不完全性定理の具体的な例として、現在の数学(集合論)の論理体系であるZFCでは連続体仮説は証明も反証もできないことが示されています。

そんなゲーデルですが、こんなエピソードがありました。
ゲーデルはアメリカに移住する際に、審査官から「アメリカでは独裁政治は起こらない」と言われました。ゲーデルはオーストリア出身で、当時ナチスドイツに支配されていたことを受けて安心させるつもりで話した、のかもしれません。
しかし、ゲーデルは事前にアメリカ合衆国憲法を勉強し、「憲法に反しないように独裁国家になれる可能性がある」ということに気づきました。
そして、そのことを審査官に話してしまったのです。「それどころか、私はそれがどのようにして起こるのか証明できる」と。なんという空気の読めなさ…(笑)

ちなみに、こんなことを話したゲーデルですが無事にアメリカに移住することができました。
審査の際にうまく場を取り繕ってもらったからなのですが、その繕った人は「相対性理論」で有名なアインシュタインでした…。

ゲーデルが話した「憲法に反しないように独裁国家が生まれる可能性」…これも私は「人間の考え」の限界を示唆しているのかなと思います。
アメリカ合衆国憲法も「自由で平和な国」を作るために生まれたものですが、それに対しても独裁国家という平和と対極な存在が生まれる可能性があるわけです。
図らずも、現在アメリカ大統領選はトランプ候補という極右的な存在によって大きく揺れています。もし彼が大統領になれば…果たしてアメリカはどうなるのでしょうか?

ゲーデルが示唆したことはまさしく「人間の考えには限界がある」というものでした。
それは人間が「有限の世界でしか認識も思考もできないから」なのかもしれません。

ここで不完全性定理について少し話を。
そもそも、この不完全性定理と呼ばれるものがどうして考えられたかと言いますと、集合論及び数学の「完全で無矛盾な論理体系」を作ろうとしていた背景がありました。

この集合論が始まった19世紀、数学者は考察する対象が広がり、直感的に正しいと思われていたことに対する「反例」が色々見つかってきました。
たとえば、「ありとあらゆるところで微分できない連続関数」とか「ありとあらゆるところで連続でない関数」とか…。
これを受けて、数学者は「どこからが本当に正しいのか」、基礎的なところを見直すことにしました。たとえば、解析学は「実数の連続性」というところから始めて、連続や微分可能性もより厳密に議論できるようになりました。

集合論というのは簡単に言うと「数学の論理を支える」ものです。
単に「何かの性質を満たす集まり」を集合とすると「ラッセルのパラドックス」という矛盾が起こることが分かり、数学者は「何を集合とするのか」を厳密に定めるようになりました。
これを公理的集合論と言います。そして、「どんな命題も証明あるいは反証ができるような無矛盾な理論を作る」ことを考えました。それも、「有限個の公理」から始める、という条件で。
このような立場を「有限の立場」と言います。ちなみに、これを推進していたのがかの有名なヒルベルトです。

この有限の立場について深く研究したのがゲーデルでした。
ゲーデルは論理体系を数と数式で再現し、それを考察することで「有限の立場」、つまり「有限個の公理から完全で無矛盾な論理体系を作る」ことができないことを示しました。
この結果を受けて、ノイマンは「理性の限界を示した」と称賛したそうです。
人間の理性の限界、は示したかどうかわかりません。だって、これはあくまで「数学の一定理」ですから。
ただ、「ある種の論理体系のできるところとできないところ」をハッキリさせたのは事実です。そして、「論理体系の強さ」を示したことも。

ゲーデルはその深い考察を持って、数学でもそれ以外でも「限界線」を導き出した人だな、と個人的には思います。
そして、その考察は「新たな世界」を生み出しもしました。
「論理体系が自身の無矛盾性を示せない」ことから、「BがAの無矛盾性を示せれば、AよりBは強い論理体系」というように論理体系の強弱を考える世界を。
そして、ゲーデル自身は話をしませんでしたが、「人間の作った政治や法律の限界」は「人間以上の存在の必要性」を説いていると私は感じました。
私たちが考えられる世界はやはり「有限」でしかありません。それも、思ったより小さな世界です。
それを越えて、「永遠」を考えるならば…そこにはやはり神様が必要なのだ、ということを安保法案のことやゲーデルの話から私は思ったのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。