数学とニュースから感じる「対話」の大切さ。

こんばんは、satoです。

ここ最近の世界情勢は本当に緊迫したものとなっています。
南シナ海を巡る中国の動静。
北朝鮮のミサイル発射。
アメリカ大統領選。
EUとイギリス。
ISIL。
トルコのクーデターと大統領による緊急法の発令。
日本の東京都知事選。
バングラデシュのテロ。

国同士、様々なところで起きている紛争と争いを見て、心が痛みます。
それがどうして起きているのか、というと「対話」が成り立っていないから。対話によって解けるはずの「小さな誤解、すれ違い」が積もって、このような事態を生んでいます。

それは国際レベルだけではありません。
政治の発言をしている人を見ると、その多くが「自分の逆の考えを嫌う感情的な発言」だったりします。
大半の人を見てみると、どちらも「平和」を願っているにも関わらず。
ツイッターを見ると、些細な一言から炎上をしていたりします。本来なら「対話」して解けるのに、こじれて…。

本当に対話の重要性を感じます。
しかし、「ただお互いのことを話す」だけでは対話になりません。
「対話」をするには、相手のことを理解してあげる姿勢が必要になります。
何故なら、「相手のことをなんでも聞く」という姿勢がないと、自分が何かを発言したとしても「こういうことを言われたらどうしよう…」と考えて、深いことが話せなくなるからです。
ちなみに、相手のことを何でも聞くというのと「すべてのいうことに従う」というのは違う意味なので、ご注意ください。

ちょうど、数学をしながら

「この数式はどういう意味なのだろう?」

「どうしてこの証明は正しいのだろうか?」

「どうしてこのような発想になったのだろうか?」

と一つ一つの数式を見ながら考えていくのと同じ感覚だな、と私は思います。
一つ一つの疑問を解いていくことで、目の前にある理論が「解かれる」のですが、それはまさしく「その理論を構築した人」、ひいては「法則を作られた神様」との対話なのです。

数学には感情がありませんが、人には感情があり、プライドがあり、認識があります。
それが時に「対話」、「相手のことを理解しよう」とする姿勢を邪魔することも。
だから、まずは「自分の間違った認識」を解くことからだな、と私は感じます。

「自分の認識」が正しくなれば…「自分が自分である」ことが保障されるならば。
きっと相手のことももっと受け入れ、理解しようとできるはず。ちょうど数学を理解できるように。
そういう意味で、私は数学研究を通して「理解する」姿勢が得られていると感じています。
本当に感謝します。

ところで、「数学」のことを書くにも対話が必要だな、とこの間の「p進距離」の記事を書いてて気づきました。
実はその記事を読んでくださったある方と対話して、色々話すなかで新たな構想を実行することになりました。今はどうなるかわかりませんが、一つ一つ進めていこうと思いますので…どうぞお楽しみに。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。