リオオリンピック2016:大野将平選手と「再挑戦」の希望


こんばんは、satoです。

リオオリンピック、卓球編はひとまず終わり。
今回は柔道編です(*‘∀‘)

前回ロンドン五輪では思うような成績を残せなかった日本柔道。
しかし、リオでは14階級で3つの金メダルを含む12個のメダルを取りました。

その中でも特に私が気になったのは大野将平選手です。

勝負が決まった後の行為と「相手を敬う」精神

柔道では一番最初に金メダルを取りましたよね。その時の映像を見て印象的だったのは、決勝戦で一本を決めた後もしばらく笑顔がなかったことでした。
これっていったいどうしてなんだろう?と思っていたのですが、後で

前回ロンドン五輪では、日本男子の柔道が初めて金メダルゼロに終わった。大野選手の勝利はこの屈辱を晴らす、感動的な瞬間であったが、ガッツポーズどころか、表情一つ変えなかった。笑顔も見せず、深々と礼をした後、対戦相手と両手で握手を交わし、健闘を称え合った。

 

大野選手は、一連の行動についてこう話している。

「相手を敬おうと思っていた。日本の心を見せられる場でもあるので」(9日付読売新聞) 。

「礼に始まり、礼に終わる」武道の精神を体現したと言えよう。

 

試合直後には、「柔道という競技の、素晴らしさ、強さ、美しさを、観ている皆様に、伝えられたんじゃないかなと思います」

テニス・錦織、柔道・大野らメダリストとイチローに見る「一流の条件」

というように、柔道が持つ「武道の精神、『相手を敬う』という日本の心」を体現した行為だったということが分かりました。
私、今回のオリンピックにおいて「相手を敬う」という精神はとても重要だな、と感じていました。
この週の御言葉が「人と競争して勝つのではなく、生活の中で誘惑するもの、そして自分に勝ちなさい」というもので、それを聞いてから「勝敗そのもの」より「選手の姿勢」を見るようになったからです。
そんな中で思ったのが「テレビだと日本選手が勝利するか否かに注目されるけど、本当は勝敗より相手を敬う方が正しいよな」ということでした。そして、不思議なことにトップの選手ほど「相手を敬う」ことが多いんですよね。

たとえば、テニスで錦織圭選手と3位決定戦で戦ったナダルは

 「錦織のプレーは素晴らしかった。エネルギーの限界だった。持っている力はすべて出し尽くしたよ。考えてみてよ、仮に100%の力が出せる状況だったとしても、錦織との対戦で勝つというのはすごく難しいことだろう? だから、僕は4位という結果に満足しているよ。金メダルを目指して戦ってきたけど、それが敵わなかった。より強くなるためにもっともっとやらなければいけないことがある」-ナダル「仮に100%の力が出せても錦織に勝つのは難しい」/テニス

というように、錦織選手の実力を賞賛していました。
ちなみに、ナダルはオリンピック前まで手首を怪我していて試合に出れず、このときも本調子ではありませんでした。
さらに、そんな状態でダブルスにも出場し金メダルを取っています。
「自分の実力が発揮できなかった」といっても誰も責めないでしょうが、ナダルはそういうことは一言も言わず、錦織選手を称えました。

こういうことは「(勝利を求める)自分に打ち勝ち、治めた」からこそできることだな、と思います。

大野選手の試練と…変化

特に、大野選手は多くの労苦を超えてきました。

2013年、大野選手が大学4年の時、主将を務めていた天理大学の柔道部で体罰問題が起きました。
そのとき、大野選手は現場に居合わせていて自身は暴力行為はしなかったのですが、起きていた暴力を止めることもできませんでした。
その責任を負って、3か月間全柔連登録停止、強化指定選手の剥奪という処分を受けました。
その後、強化指定選手として復帰した後の会見で

「人間としてどうあるべきか、改めて考えさせられる3か月でした」と事件を振り返るとともに「ご迷惑をかけ、本当に申し訳ないと思っています」と改めて謝罪した。続けて「最強かつ最高の選手になれるように努力したい」とも語った-大野将平-wikipedia(この会見の言葉は読売新聞2014年1月6日の記事より引用)

というように話していました。
それから3年の間、世間から「暴力を振るった」ということで非難の目で見られることもあったでしょうが、その中でもひたすら「自分」を磨き、鍛錬しました。自分が話した通り「最強かつ最高の選手」になるために。

悔い改め、自分を磨き作ったその結果、今回のオリンピックで最高の結果を残しました。
金メダルを取った、という「目に見える結果」と「日本の心、武道の精神」を見せるという「目に見えない、しかし金メダル以上に大切な結果」、両面で「最高の結果」を残したのです。

まとめ

私たちも取り返しのつかない失敗をすることもあるかもしれません。罪を犯すかもしれません。
それは御言葉を聞いている私たち摂理人でも同様です。もちろんそうならないように御言葉で自分を作っているのですが…。
しかし、失敗したことを受け入れ、悔い改め、もう一度、よりよく自分を作るとき、神様は栄光をお与えになります。

<野心作>が崩れた時「失望」も湧き出、「希望」も湧き出た。しかし私の心の中で「大希望」がもっと高く湧き出た。それは「もっと素晴らしく積もう」という希望だった。

もっと頑張って「前よりもっとよく作ること」だ。そうしてこそ経緯の話をして自慢し、喜ぶ。-鄭明析先生の明け方の箴言より

崩れても、「もっと挑戦して、前よりもっとよく作る」という希望があります。
そして、その希望を成したとき、最高の結果が待っています。
そのことを象徴する、大野選手の金メダルだったと私は思います。

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霊肉ともに生粋の道産子・摂理男子。数学者を志す大学院生です(・∀・)もう30代間近…。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向。普段見える世界から色々なことを深く考え、悟りを得ることが一番の楽しみ。祈りと賛美大好き(*´∀`*)グルメ巡りと御言葉を基にした小説作品を作ることは私の密かな夢。