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宗教の特色


摂理」という場所を一宗教として見たとき、どのような特徴があるのか。

もしあなたが宗教について調べているとしたら、このようなところが気になるのではないか…というところに着眼点を置いて一つ一つ書いていきます。

 

 

摂理とはどのような宗教か?

まず、摂理という宗教について概要を書きます。

摂理」というのは通称で、正式名称は「キリスト教福音宣教会」といいます。

以下、公式サイト参照となります。

キリスト教福音宣教会(Christian Gospel Mission: CGM 通称:摂理)は、1982年、韓国人である鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師(私たちは、御言葉を教え人生を教える師として、鄭明析牧師のことを「先生」と呼びます)によって創立されました。キリスト教 プロテスタントの教会として、教会一つから始まり、現在は世界30ヶ国に教会を持つ宣教会になりました。神様とイエス様の教えと愛を実践することによって、真に平和な世界の実現を目指しています。

つまり、キリスト教福音宣教会とは「キリスト教プロテスタントの教会から始まった、鄭明析先生が教えてくださった神様、イエス様の教えと愛を実践する」ところといえます。

通称である「摂理」とは「神様の配慮、計画」という意味。

よく動物のドキュメンタリーで「自然の摂理」という言葉が使われるので、馴染みのある言葉だと思います。

弱肉強食とか、自然の掟が垣間見えるところで出てきます。

この自然の摂理と使い方は同じです。

主観ですが、キリスト教福音宣教会というのは外部に私たちのことを説明するときに使われ、私たち摂理で信仰を持つ人の中で「摂理」と話しているという感覚です。

 

 

摂理の経典は何か?

経典というのは「その宗教の教えの基となる本」のことです。

摂理の場合は上に書いたように、キリスト教プロテスタントの教会の流れを汲んでいます。

よって、摂理の経典は「聖書」、もう少し詳しく言うと「旧約聖書と新約聖書」です。

鄭明析先生の御言葉もすべて聖書が基になっています。

より詳しく話すと、鄭明析先生の御言葉は「聖書の御言葉を実践し、分からないところは神様に祈って一つ一つ教えてもらった」土台の上に伝えられるものです。

なので、聖書から外れたことは一切教えません。また、摂理で信仰を持っている人も、聖書に沿って信仰生活をしています。

 

ただ、聖書を経典にしている、と言っても「文字通り」に信仰を持っているわけではありません。

聖書に書かれていることに込められた神様の心情、意味、その一つ一つを鄭明析先生が神様の祈りを経て悟り、その心情に合わせて伝えています。

また、聖書を通して「私たちがどうして生きるのか」、その「創造目的」を教え、それを成せるようにどのように生活で生きていくかを教えてくださっています。

 

 

摂理の教祖は誰か?

よく鄭明析先生が「摂理の教祖」と言われることが多いです。

鄭明析先生@摂理公式サイトより

しかし、この言葉にちょっと違和感があります。

そもそも教祖ってどういうことか、と言いますと…

教祖とは、宗教の創始者のことです。
開祖、宗祖などとも言いかえることができるでしょう。転じて、何か新しいことを始めて、その世界で第一人者になったカリスマ的な存在の人のことを、教祖と言い表すこともあります。教祖とは何ですか?教祖の意味|エンディングパーク

宗教の創始者、という意味です。この意味で鄭明析先生を摂理の教祖、というところもあります。しかし、実際のところ

キリスト教には創設者に特別な呼称を用いることはありません。教祖とは何ですか?教祖の意味|エンディングパーク

ここにあるようにキリスト教では「教祖」という言葉は用いません。何故なら、キリスト教において最も大切なのは「神様」であって、創始者は「神様が遣わされた人」だからです。

歴史も神様も人が創ったものでないので、「創始者」というものがありません。一番初めに「神様を信じた人」はいますが。

そういうわけで、キリスト教では「教祖」という言葉を使いません。無論摂理でも同様に「教祖」という単語は使われません。

鄭明析先生は聖書を実践して悟った御言葉を得た最初の人で、その御言葉を聞いて私たちが神様のことを正しく知って信仰を持っているのが「摂理」というところです。

 

ちなみに、教祖には「信仰の対象としているもの」というニュアンスも含まれています。

つまり、教祖と聞くと「その人を崇めている」と感じるのです。これは特に日本人が感じやすいイメージですよね。

カルト宗教と呼ばれているところでは、リーダーを「再臨主だ」とか「神様だ」とか「〇〇の生まれ変わりだ」とか言って崇拝している、そんなイメージ。

しかし、実際には鄭明析先生は常に「神様を信じ、神様を愛しなさい」と話します。神様でなく自分を信じ崇めよ…と話したことは一度もありません。

こういう意味でも、鄭明析先生を教祖と話すのは摂理の実情と合いません。

鄭明析先生と神様の関係は

イエスは大声で言われた、「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなく、わたしをつかわされたかたを信じるのであり、また、わたしを見る者は、わたしをつかわされたかたを見るのである。
-ヨハネによる福音書12章44-45節

この聖句が一番適切に表していると断言します。

 

 

摂理の宗教としての特徴は何か?

聖書に書かれている神様を絶対なる神、唯一神として信じ、イエス様を救い主として信じ認めるなど、基本的なところはキリスト教に準じています。

摂理の特徴は「実践」を重んじるところです。

これは、キリスト教を含めた従来の宗教が「神秘性、抽象性」を重んじるのとは対照的です。

従来の宗教が「神秘性」によって人を呼ぶので御言葉の内容が難解だったり、謎の部分を残しているのに対して、摂理では分かりやすい言葉を持って説明しています。

先ほど経典の時にも書きましたが、摂理で伝えられる御言葉は「聖書を読み、それを実践していく中で悟った」ものです。

 

鄭明析先生が最初に実践をしているので御言葉がとても分かりやすく、また私たちがただいい言葉を聞いて終わるのでなく生活の中で実践できるようになっています。

そして、実践することを推奨されます。

これは聖書でも次のように語られています。

霊魂のないからだが死んだものであると同様に、行いのない信仰も死んだものなのである。

-ヤコブの手紙2章26節

 

 

宣教活動はどのようにしているのか?勧誘はあるのか?

宣教会、と話しているので「宣教活動」は熱心にしています。と言っても、おそらくみんながイメージするような「勧誘」とは違って、強引なことはしません。

たとえば、家まで押しかけて来て「御言葉を聞きませんか?」という「宣教のための訪問活動」はしていませんし、御言葉を聞かないと死ぬ!というような脅迫まがいのこともありません。

実際はこんな感じで平穏に伝道しています。

基本的には、摂理の中で「伝道」を強要されることはありません。

ただ、鄭明析先生の御言葉を聞いて感動を受けた人、救われたと感じた人が、自分の感動を持って行います。

そして、摂理の御言葉を聞いて教会に行くか、信じるか、などは最終的に各個人の自由意志に委ねられています。

なので、摂理の御言葉を聞いても信仰を持たず離れる人が(残念ながら)多くいます。

 

最近ではネットを使って、摂理のPRをしている動きも増えています。これも広義の宣教活動ですね。

当ブログもその一つといえば一つです(笑)

 

 

摂理はどのような活動をしているのか?

鄭明析先生の御言葉には生活の中で神様を迎えて、神様と共に暮らしていると思って生活しなさいとあります。

というわけで、摂理にいる人は「神様と共にする生活」をしています。

と言っても、それは「御言葉を読み、賛美をして教会にずっといる」という修道生活ではありません。

もちろん、御言葉を伝え、人々に宣教をする牧師さんもいます。しかし、これは摂理のほんの一部の人です。

摂理にいる人は神様の御言葉を聞いた上で学校に通い、社会で働き、家庭を営んでいます。その活動は各個人の個性によって異なります。

私のような「研究者」(を目指す人)もいれば、バリバリ会社で活躍する人もいます。その辺りはこのブログ全体を見ても分かることと思います。

 

 

さて、基本神様は、次の聖句が表すように不義と不正を嫌われる方です。

あなたがたは身を洗って、清くなり、
わたしの目の前からあなたがたの悪い行いを除き、
悪を行うことをやめ、
善を行うことをならい、公平を求め、
しえたげる者を戒め、
みなしごを正しく守り、寡婦の訴えを弁護せよ。

-イザヤ書1章16-17節

また、イエス様も不正や悪を嫌い、義と愛を施すことを話されました。

そして牛、羊、はとを売る者や両替する者などが宮の庭にすわり込んでいるのをごらんになって、なわでむちを造り、羊も牛もみな宮から追いだし、両替人の金を散らし、その台をひっくりかえし、はとを売る人々には「これらのものを持って、ここから出て行け。わたしの父の家を商売の家とするな」と言われた。

-ヨハネによる福音書2章14-16節

このことを考えると、神様と共に暮すことを意識すれば、自ずと悪い行為からは離れますよね。

また、自然に人に愛を施し、善を行う気持ちになります。

実際、摂理内ではゴミ拾いや清掃活動等の社会奉仕活動、就職や様々な学生支援活動、スポーツを通した平和・和睦の活動、芸術などの文化活動も多くしています。

これらは全て「神様を愛して、イエス様のような義と愛を行う」精神によって成されています。

 

その一方で、社会の中では法律以外にも「世の中の慣習」とされているルールもあります。

たとえば、お酒の場には必ず参加し、お酒を飲まなければならない、とか、サービス残業とか、その中には社会的に問題となっているものがあります。

イエス様のときも、「安息日には何もしてはいけない」という律法(というより、当時のユダヤ教の慣習)に対して

そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。

-ルカによる福音書6章9節

と話し、何が核心なのかを話されました。

このように「世の中の慣習」とされているものが本当に守るべきものなのかを考えさせることもあります。

最も、そこから実際にどうするかは、やはり自分の意志に委ねられています。

 

摂理の教会組織の人数比は?

摂理全体では男性より女性の方が多い、という話はよく聞きますが、場所によっては男性の方が多いこともあります。

また、摂理は若者が多い、という話もよく聞きます。これは実際そうで、20-40代が多いですね。

また場所によって学生が多いところもあれば、社会人が多いところもあります。

 

摂理の部署として、幼初等部(小学生以下、通称銀河)、中高等部(中学から高校生)、キャンパス(大学生・場所によっては修士の院生)、青年部(社会人、博士大学院生等)、家庭局(摂理で結婚した人)、壮年部(結婚してから摂理に来た人、メンバーの親御さんが多い)があります。

こういう風に書くとわかりますが、いろんな年齢の人が摂理にいます。

年齢や男女比、というだけでなく、摂理に来る人は様々です。

お医者さん、デザイナー、営業、製造、食品関連、SE、社長さん、音楽家、研究者…などなど職種だけ見てもかなり幅が広いです。

そして、そういった人たちとの交流ができることが楽しいです。

摂理に来なかったら交流しなかったであろう人たちが多くいます。

おおかみは小羊と共にやどり、
ひょうは子やぎと共に伏し、
子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、
小さいわらべに導かれ、
雌牛と熊とは食い物を共にし、
牛の子と熊の子と共に伏し、
ししは牛のようにわらを食い、
乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、
乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。
彼らはわが聖なる山のどこにおいても、
そこなうことなく、やぶることがない。
水が海をおおっているように、
主を知る知識が地に満ちるからである。

-イザヤ書11章6-9節

そして、この聖句にあるようにこういった生まれも年齢も、人生の歩み方も全く異なる多種多様な人たちが「神様の御言葉」によって一つになって和睦し、神様の御心を成そうと行うのが摂理の特徴の一つといえます。

 

摂理の運営資金はどのように確保されているのか?

摂理の教会の運営は基本、献金によって成されています。献金に関しては次の聖句が基本となっています。

あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない。

-申命記14章22節

旧約時代でいうと「得られた農作物や家畜」は、現代でいう「自分が得た収入」です。

これはどうしてか、ということも神様が次の聖句で説明しています。

わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。

-マラキ書3章10節

つまり、神様が祝福をくださるために献金をしなさい、ということです。

もっと詳しく献金の価値と意味について御言葉で教えて下さいます。その上で、自分が捧げられる範囲、捧げたい範囲で各自が無理なく献金を捧げています。

例えば、学生委の場合、バイトなどで得たお金の1/10を献金として捧げる以外はそんなにたくさんのお金を献金しません。

せいぜい1000円程度です。

 

 

この献金を神様が願うとおりに教会の運営に使っていきます。

よく宗教の話で聞くような「集めた献金を使って豪遊している」…なんて話は聞いたことがありません。

基本、鄭明析先生の生活を見てみると「節制」し、お金も本当に必要なところ、たとえば「宣教費(宣教に時間を投資してお金が得られない人を助けるとか)」や月明洞の開発や教会の維持費(光熱費や家賃など)に使われています。

そして、お金を使うときには必ず神様に確認をして、神様の許諾を受けて使います。

 

この鄭明析先生の生活をもとに、各教会で財政を担当している方が節制をして、神様に祈りながら必要なところに献金が使われています。

教会によっては、これらの献金の使い道をちゃんと教えてくれ、気になるところがあったら尋ねられるようにしてくれます。

それを見たら、全て必要なところに使われていました。

 

 

摂理の本拠地はどこか?

まず、摂理は鄭明析先生のいらっしゃる韓国から始まり、現在日本・台湾・アメリカ・マレーシアなど多くの国々に信じている人がいます。

そういう意味では本拠地、といえば「韓国」ということになるでしょうか。もっというと「月明洞」が摂理の中で中心となっているところと考えられます。

月明洞とは鄭明析先生の出生地で、現在自然聖殿として開発され神様を信じて愛する場所として使われています。

現在も多くの開発が成され、日々日々変化しています。私も年に1回は行っていますが、一年経つと大きく変化していることが多いです。

もっとも、開発といってもそれは「鄭明析先生が楽に使うため」というわけでもなく、かといって「私たちが使うため」というわけでもありません。

全ては「神様の構想」があって、それを実現するために開発がされているのです。

神様の構想の実現を手伝うために、現在でも各国からボランティアとして開発の手伝いをする人も。

以上のことから、韓国に行って色々学びたい、という摂理人は多いです。

 

この記事に行き着いた方の中には、摂理に対する何かしらの疑問があると思われます。

あなたの願う答えは書かれていましたでしょうか?

また、必要なものがあれば随時追記していこうと思います。