聖地で韓国語賛美を捧げる 後篇


おはようございます、satoです。

聖地で韓国語賛美を捧げる 前篇
聖地で韓国語賛美を捧げる 中篇

の続き、今回の修養会でのエピソードになります。

<新しい賛美>の教育で

修養会が終わって翌日の主日、礼拝後に賛美の使命を受けて巡回していらっしゃる方から今回月明洞に来た海外の人向けに教育を受ける時間がありました。
その背景として、今年になって鄭明析先生が作詞作曲された<新しい賛美>が怒涛のごとく発表されていることがあります。
多いときには一週間に3,4曲、いやそれ以上の曲が発表されました。
…日本語の歌詞にするのも大変ですが(使命者の方、いつもありがとうございます)、歌詞を覚えて捧げるのもなかなかに…ついていくのに必死、と言いますかこの時は全くついていけていませんでした(´・ω:;.:…
そんな中で賛美について教育をしてくださいました。

その内容は…文章では表しきれないので、割愛します。
しかし、ここで教育を受けたことによって、<新しい賛美>を含めて色々な認識が覆されたということはお伝えできます。
この賛美教育を受けた上で捧げた結果「天の心情に合わせる賛美の味」に書いたような「一体になって感極まる」という感覚でした。
それくらいとても素晴らしい教育でした。

この教育後、教育してくださった使命者の方に挨拶をする機会をいただきました。
実はこの時私はあることを疑問に思っていたのでした。それが韓国語と日本語、どちらで賛美を捧げたら良いのか?ということでした。
やはり、鄭明析先生が作詞作曲された賛美だから、先生の言語である韓国語で捧げるべきか。
それとも、ちゃんと自分の言語として表現し、心を込められる日本語で捧げるべきか。

このことを考えている間、ずっと心がもやもやしていました。
それは…

「もし韓国語で捧げるのは良くないと言われたら、否定されたらどうしよう」

「韓国語で捧げるのを止められ、否定された感じがする…」

といった「否定的思考」と「過去のことに対する(若干の)不平」があったからでした。それで、質問の機会が来た時に手を挙げることができませんでした。(自分勝手な感情と思っていたから)
しかし、別の人が別の質問をした時、私の疑問に対する答えが与えられたのでした。

私の疑問の答え、そしてこれまでの経緯がつながる

それはこんな感じの内容でした。(私の記憶なので不正確かもしれません…)

「一度は韓国語で歌ってみてこそ鄭明析先生が作った曲の味が感じられる。
韓国語を勉強していなかったとしても、洋楽を聞いて英語を学ぶように賛美を聞いて韓国語を学べばいい」

この言葉を聞いて、私は衝撃を受けました。なぜなら、これは私自身が昨年感じていたことでもあったからでした。

私は韓国語賛美を歌いたいがためにハングルの読み方を勉強して、今では時間を掛けて少しずつ読めるようになりました。
また、韓国語の中には漢字由来の単語もあり、ずっと歌っている中である時日本語とつながることがありました。
(たとえば、韓国語の「着く」を意味する도착は「到着」という言葉から来ています)
その他の言葉も繰り返し歌うことで覚えていって、今年の滞在では一部の場面においては日本語訳なしでもなんとなく意味が掴めるようになっていました。
(たとえば、礼拝前の賛美を導く人の話がしっかりと聞こえるようになり、さらになんとなく意味が掴めました)

実はこの話を昨年人に話していたのですが、「賛美を韓国語を学ぶ教材にするよりもちゃんと韓国語を学んだほうがいい」という旨の話を聞いて「韓国語を学ばないと賛美をしてはいけないのだ…」と捉えてしまい、すっかり萎縮してしまったのでした。

そして、私がこれまで韓国語で賛美を捧げていたのはこの時のためだったとも気づきました。
だって、今から韓国語で賛美を捧げようと練習したらとても時間がなかったはずです。神様は「前もって」私に韓国語で賛美を捧げるようにさせ、ある程度歌えるようにさせたのでした。
実際、この日に出た新曲があったのですが、私は初めて聞いてすぐに韓国語で賛美を捧げられました!(月明洞に行くと、いつもより韓国語がスムーズに理解できるのですが、これはおそらく霊の力が強くなっているからなのではないか、と推測します(笑))

昨年私が韓国語で賛美を捧げた時、共にしていた人が「韓国語とてもうまい」と話してくれていたこと。
私が今年「天の前で栄光を帰すこと」がいつもより多かったこと。
そして、この経緯。

全てのことが一つになりました。
天は私に韓国語で賛美を捧げることを願われている、と。

胸がスッキリする解答をくださった神様に本当に感謝します!

そういうわけで、現在私はどんどん出てくる賛美を歌えるようにするために今も音源を繰り返し聴いています。
来るべきその日のために、今から準備します。天が願われる賛美を捧げられるようにするために。

ABOUTこの記事をかいた人

「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。