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「悔い改め」がスッキリできなかったわけ。

「悔い改め」がスッキリできなかったわけ。

こんばんは、satoです。

今日は久々に温泉にゆっくり浸かっていました。
日中ずっと歩き回っていたので、とても疲れていましたし、汗で体もべとべとしていたのですが…(;´・ω・)
ゆっくり温泉に入って、サウナに入って、水風呂に入って、少し足を揉んで…としているととてもスッキリしました(*‘∀‘)
本当に久々にゆっくりと入ったのですが、本当にスッキリしました。
体中の垢が取れて、汗も取れて気分爽快(*‘∀‘)さらに、釧路の夜景も綺麗でもっと気分がいい(*‘∀‘)
血流が良くなったためか、足はむしろ今ごろ重くなり始めましたが…(笑)

今日は御言葉を聞きながら、「悔い改め」がどうしてうまくいかないのか、どうすればスッキリできるのかやっと分かりました。
それまでずっと悔い改めをしていたはずなのですが、どうしても心がスッキリしないし、またすぐに戻ってしまう…これはいったいどうしてだ…とかなり悩んでいました。
その答えが御言葉を通して「摂理に来る前の自分の生活」が間違っていたことを認めるということだったのです。

これまで私は「摂理の御言葉」を単に摂理限定でのルールだと捉えていました。
だから、過去摂理に来る前の生活については「間違っていた」とまでは認識していませんでした。
もちろん、神様の気分を害された…ということで謝ってはいましたが。
しかし、実際には「神様の御言葉」なんですよね、摂理で聞く御言葉って。だから、「摂理はもちろん、来る前の自分にも」当てはまるはずなんです。もちろん時代性とかもろもろありますが…。

もっと言うと、私はかつて「摂理がカルト宗教だ」と書いてあるネットの記事を鵜呑みにしてそのように認識していました。
摂理がカルトだ、という認識が解かれた今でも「摂理の御言葉によって考えられなくなる、ほかのことが受け入れられなくなるのでは?」という考えが残っていました。言い換えると「視野狭窄」でしょうか。
しかし、これも正しくなくて…「神様の視点で何が正しいのかを教えてくださる」のが御言葉なのです。だから、考えられなくなる、でなく、「世の中の出来事を御言葉で分別できる」というわけなのです。
そもそも、私自身の(摂理に来る前の)生活が正しいか、と言われたらはっきりと「正しくない」と言えます(笑)しかし、それがどうしてなのかはっきりと知れたのは「摂理の御言葉」を聞いていたからなのです。

そういうわけで、御言葉の適応範囲を過去の自分にまで広げて「過去のこういうことは間違っていました。知らなかったけれど間違ってしてしまいました。悔い改めます」というようにして思いつく限りのことを悔い改めました。
そうしたところ、ここ最近塞がっていた心がスッキリと解けました(*‘∀‘)そして、直ちに主を近く感じられました(*‘∀‘)ハレルヤ(*´ω`*)

身も心もスッキリとして明日を迎えられそうです(*‘∀‘)続けて、御言葉を聞いたら直ちに過去の私の間違いを認めて悔い改めていきたいです(*‘∀‘)

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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