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摂理の「聖霊集会」の魅力

こんにちは、satoです。
今日は摂理で行われる「聖霊集会」の魅力について、私が率直に感じることを書きたいと思います。
その前に「聖霊集会」ってなんぞや?という人もいるでしょう。
聖霊集会とは簡単に言うと聖霊を受けるための集会です。
…あれ、簡単になってない?それは「聖霊」という言葉がよく理解できていないから、なのかもしれません。
使徒行伝1章8節
ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
新約時代、聖霊はイエス様が十字架にかけられその肉体が亡くなった後、イエス様を証するために送られました。
ルカによる福音書14章25-26節
これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。
自分たちが悟れないこと、わからないことを教えてくれるのが「聖霊」なのです。
だから、キリストを信じる人は聖霊をひたすら願い求めていました。
使徒行伝1章12-14節
それから彼らは、オリブという山を下ってエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に許されている距離のところにある。彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた。
その歴史は実は古く、キリストが昇天された後、すぐに弟子たちが祈ったこの聖句がその最初です。
人々は聖霊を願い求めます。それは神様のこと、キリストのことを知るには聖霊しかないから。
それゆえ…人々は熱いんです!
賛美をするときもひたすら神様だけを見て賛美する。それも大きな声で。
祈るときもただ神様、聖霊様を見て祈る。集中して、切実に。
こうやって、神様を信じる人が集まって賛美し、祈る。だから、『聖霊集会』。
これだけでもかなり恵み深いです。実際、ライブ会場に来たようなものですから(笑)
さらに、このときには一層深い「御言葉」があります。この御言葉によって私たちはもっと神様を知り、聖霊様から感動を受け、御子を愛するのです。
神様と人々がもっと近づく日。神様と自分がもっと熱く愛する日。
それが『聖霊集会』なのです。
こういう一対一の感覚、それが摂理の聖霊集会の魅力、ですね!。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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