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摂理と修練会。~自己否定的な私と鄭明析先生~

こんばんは、satoです。
突然ですが、私は結構否定的な人間でした。
元々いじめられていたり、自分がすべきことをできなくて叱られているうちに、いつの間にか「自分はダメなんだ…」という考えが定着していました。
それは摂理に来てからも変わらず…。
いじめられていたこと、してはいけないことをしたことを正直に告白し悔い改め、すべきことをできなくて叱られた傷を告白し…とお祈りし続け、自分のできたところを認めて感謝しているうちに少しずつ自己肯定の土台が出来始めていますが、いまだに自分ができていないところを指摘されると「やっぱり自分はダメなんだ…」という感情が出てしまう、そんな状態が続いています。
つい最近はみんなで出すための出し物の準備を任されていたのですが、前日まで(しようとは思っていたのに)何もできなかったために、色々大変なことになりました。そのことを人から言われたときに(別にその人が強く言ったとかそういうことはないのに)「自分はダメだ」と言われたように感じて、自己否定的な考えに陥っていました。今週の御言葉、「あなたの足の靴を脱ぎなさい」なのに…。
それで、しばらく自己否定的な状態が続き色々リズムが崩れていました。それでも、賛美とか祈りをしているうちはなんとか主に心が向かうのですが、日常生活に戻ると「やる気が出ない」という状態が続き、何もできなくなっていました。
そんな中、今日のお祈り会は「鄭明析先生の過去の御言葉」を聞くことになりました。
そこで先生がこのような話をしていました。
先生は何もない山奥の田舎で生まれ育ちました。あまりに何もなかったので、先生はその故郷が嫌いだった、ということを話されていました。その後に…。
「私は自分が嫌いでした。背も短いし、ブ男で、そんな自分を見たくなくて鏡を割ってしまいました。
私は自分に否定的でした。」
先生も、同じだったんだ、と驚きました。何回か聞いた話だったのですが、今日改めて聞いて新鮮に感じられました。
そして、そのあと。
「しかし、自分を開発するうちに自分が貴重な存在なのだということを悟りました」
このように話されたのでした。
確かに今の先生は様々なことができます。
説教も天才的にうまいし、サッカーやバレーもよくできる。
御言葉を伝えることもうまいし、絵も詩も上手い。(コンクールに選ばれたり、詩集が韓国でベストセラーになるのだから、本当に上手でしょう)
笑顔も素敵。
でも、先生は元々吃っていました。サッカーも元々できたわけではなく、40歳になってから始めました。
それだけ、先生は開発されたのでした。
それこそ、血のにじむじょうな努力で。
そして、先生がどうしてそこまで開発できたのか。
「自分に可能性を見いだした」から、だと私は感じました。
神様が与えてくださったエデンの地も開発してこそ美しく神秘的で雄大になるように、人間も開発したらいくらでも雄大に作られる。そのことを先生は悟られたのだ、と思います。
どうしてそう思ったのかというと、私がそう感じたからでした。
確かに、今の私は失敗することが多い。でも、それは「作られていないから」であって、自分がダメだからではない。
「開発できる可能性」。それがあることに感謝だ。
そう思ったからです。そして、そう気づくと自分の頭にこびりついていた否定的な考えがなくなっていました。
明日から始まる修練会。それを通して、今年も天の新婦として開発していこうと決心した私でした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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