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御言葉を読み返しながら思うこと。

御言葉を読み返しながら思うこと。

やはり、御言葉を読み返しながら深く考えるのが一番好きですね、私。

おはようございます、satoです。

私が摂理に来てからずっとしていること、そして一番好きなことが「御言葉を読みながら、自分と向き合う」ことです。
何故かと言うと、御言葉を読んで分かって即実践!ってできるなら最高なのですが、私の場合は大抵そう簡単にできないからです。
そもそも何をしたら良いのか分からない、やろうとしても抵抗感がある、何かイメージがつかめない…等、様々な要因があります。
そこで、一番なのが「御言葉を読み返しながら一つ一つに向き合ってみる、神様の心情を受け取る」ところです。

基本的にエネルギーが切れたときは御言葉を深く読み返すのが良いようです。
エネルギーが切れているということは、考えが御言葉から離れている状態ということが感覚的にも最近分かってきました。
なので、そういう時には御言葉をたくさん読むようにしています。(ただ、考えをしっかりしておかないと別のものを見てしまうこともあるので要注意)

特に不調な状態だと御言葉を読んだ時に受け入れられないときもあります。というか、結構多いです。
そこで、どうして自分がそういう反応をするのか、折れてしまっている部分を集中的に観察します。
受け入れられない時、と書きましたが、それはその部分が「心に刺さっている」ということです。刺す痛みが強いと、防衛本能で思わずかばってしまいます。
しかし、そこでもう一歩深く突き詰めるのです。

休まずに実践しなさい、続けて愛の次元を上げなさい、そういった言葉に引っかかるなら大抵「自分がそのようにできなかった」ことを後悔しているのでしょう。
自分が休んでしまった、少し気を抜いてしまったために神様との愛のやり取りが上手くできなくなり、自分の生活に流れてしまった、という感じで。
実際、そういうことがありました。

ふと思うのですが…神様を愛することは、疲れることなのでしょうか?

そうでないとしたら、どうして私は疲れてしまったのでしょうか?

どの辺りから、神様との愛のやり取りができていなかったのでしょうか?

というように一つ一つ、ゆっくり神様と向き合いながら、対話をしていきます。
もちろん、答えは分かっているものが多いです。御言葉でだいぶ教育されているので…。ただ、それを受け入れるために、さらに深い対話が必要になるときもあります。

神様を愛することは決して疲れることではない。御言葉を行うことは決して疲れることではない。
体は疲れても、心には愛が湧き溢れるから心が疲れることはない。
それなら、どうして、どの辺りから愛するところから外れてしまったのか…。

こういう対話をする時に大事なのは、御言葉の答えはひとまず「その通り」と受け入れることです。
そうしてこそ、御言葉通りにならない原因、根本的なズレを見つけられるからです。
昨日は栄養たっぷりのご飯を食べて肉体が回復したので、今日は霊の糧をゆっくり、じっくり食べながら、霊魂を回復させようと思います…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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