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鄭明析牧師による水曜礼拝の御言葉

目次

自分を作ることにおいての封印と秘密は「裂くこと」だ

[本 文] 創世記15章9~11節

9) 主は彼に言われた、「三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばとと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい」。
10) 彼はこれらをみな連れてきて、二つに裂き、裂いたものを互に向かい合わせて置いた。ただし、鳥は裂かなかった。 
11)荒い鳥が死体の上に降りるとき、アブラムはこれを追い払った。 

 

ハレルヤ!

神様と聖霊様と御子に真実な体と心を捧げ、御言葉を聞く皆さんみんなに、永遠でいらっしゃる「聖なる父神様の愛」と「御子の平安」が満ちることを祈ります。
自分を作る前に、自分の霊を引き上げの霊に作る前に、最初にすべきことがあります。<御子が時代の救い人を通して伝えてくださる御言葉>を聞き、自分の心の中の「罪、暗闇に属する心、悪、不義」を裂かなければなりません。「自分の矛盾、悪い性格、間違った体質と習慣、不義、罪、悪」などをすべて裂いて、取り除いてこそ、<心>が完全になり、<行ない>も完全になります。

そ の状態で「御言葉、愛、祈り、讃美、管理、伝道、御子と主との交通、証、完全な考えと行ない、体験談」など、様々に行なって<神様の御心>どおりに自分を 作るのです。そうしてこそ、きらびやかに輝く<人間宝石>になり、「魂と霊」もきらびやかに光を放ち<引き上げの霊の宝石>に変化します。
自分を作る前に、先にすべきことは「裂くこと」です。何を裂くのですか?
「自分の矛盾、悪い性格と体質、悪、罪、不義を裂くこと」です。本当に裂いて、行なわなければなりません。これが「大きな秘密」であり、「大きな御力」です。「裂くこと」が<人生の封印>であり、<人生の秘密>です。
「雑な石、雑な鉄」を裂かなければ、誰も<純金>として受け入れません。これと同じく「自分の矛盾、悪い性格と体質、悪、罪、不義」を裂かなければ、神様も聖霊様も御子も受け入れてくださいません。
だ から、自分の中で「罪、不義、悪、矛盾」をすべて裂かなければなりません。そうしてこそ、神様と聖霊様と御子が<羊>で接してくださり、<新婦>としてく ださり、愛の御言葉をしてくださり、愛で接してくださり、投資なさいます。全知全能なる神様と聖霊様と御子は「すべての人間」たちを、その<考えと行な い>に従って、裂いて接してくださるので、公義で全知全能でいらっしゃいます。
ま ず「自分の性格、自分の矛盾、自分の罪」を認めてこそ、悔い改めて、繰り返し直しながら、裂くことができます。神様と聖霊様と御子は、裂くべきものを裂か ないで捧げると、受け取ってくださいません。アブラハムが神様に捧げものを捧げる時に裂かずに捧げたので、受け取りませんでした。
<私たちの体>も神様に捧げる「神霊な捧げもの」です。だから「自分の矛盾、罪、悪、不義」を裂いて捧げてこそ、神様が受け取ってくださいます。

御言葉を聞いて、皆さんの<心>と<考え>と<生(せい)>で「善と悪」が裂かれ、「義と不義」が裂かれることをお祈りします。

 

確認して行いなさい

[本 文] 詩篇18篇25節
25)あなたはいつくしみある者には、いつくしみある者となり、欠けたところのない者には、欠けたところのない者となり、
マタイによる福音書5章48節
48)それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と、御子の平安が満ちることを祈ります。
「確認して行いなさい」この言葉は、命と同じであり、御子主と同じだから、<確認>によって分別し、<確認>によって自身を守らなければなりません。
あ る人は、ヘビを見つけて確認しないで捕まえて、焼いて食べたけれど、後で確認してみると、数億ウォンもする「希少種のヘビ」でした。ヘビを捕まえた時に しっかりと確認していたら、自分が平素夢見ていたとおりに別荘を建て、楽に暮らしたでしょうが、<確認>に顔を背けて遠ざけて、希望を成すことができませ んでした。
<確認>は「核兵器」と同じです。この核兵器は誰もが持っているけれど、無知で怠ける人は、<確認>という強力な核兵器を使わずに負傷し、害に見舞われ、損をして後悔します。
このように 確認は、私たちに確実な生を生きるようにしてくれます。皆、確認のネックレスをかけ、いつも自ら確認して行う生を生きなければなりません。
皆、悔しく騙されないで、目で、耳で、手で、足で、心で、魂で、霊で、100%安全に確認して行うことを願います。
<確認>は、害を受けないようにさせる、「神様と聖霊様と御子主のプレゼント」だから、みんな確認の目を開くことを祈ります。

 

万物の値打ちより、経緯の値打ちがもっと大きい。プレゼントより、そのプレゼントを与えたとき言った言葉の方がもっと大きい。

[本 文] ローマ人への手紙1章20節

神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。
ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と、御子の平安が満ちることを祈ります。

人々は「いい環境」や「宝物」を得て生きることだけを貴重に思います。しかし、「この世に属したもの」だけが宝物ではなく、「神様と聖霊様と御子主を信じて愛し、その御言葉に聞き従って生きること」が、永遠な宝物であり、永遠な財物です。
また、<万物>や<事物>だけが貴重な宝物ではなく、<神様と聖霊様と御子主との経緯>も宝物です。
木々の中で「小さくて、見た目の悪い一本の木」が人々が見物するものになったとしましょう。分かってみると、王がその木にいつも肥料をやり、誰かが掘って行こうとするたびに、守って助かった木でした。だから<天然記念樹>になったのでした。このように、その木や万物にまつわる”経緯”があってこそ、貴重で、天にまで上がるほどの値打ちがあり、すべての人たちが見上げて教訓とするようになります。
「プレゼント」だけが貴重なのではなく、「プレゼントをくれるときに話したこと」がもっと貴重です。例えば、ある人が自分にプレゼントをくれて「愛している」と言ったら、「プレゼント」より「愛している」と言ったその言葉がもっと大事なのです。<プレゼント>は「証」だから、プレゼントを与えるとき、どんな意向をもってどんなことを言って与えたかが大事です。

山も、石も、木も、「神様と聖霊様と御子主が創造なさった大傑作」です。だから、神様と聖霊様と御子主が創造なさった万物を見るときや、皆さんにくださったものを見るとき、「それ自体」だけを見るのではなく、「それをくださっておっしゃった御言葉と経緯」を分かって見てこそ、価値が分かるようになり、それによって多くのことを悟って得るようになります。  
祈ってこそ、神様と聖霊様と御子主がくださる『プレゼント』より『そのプレゼントをくださるときに話す御言葉』を悟るようになるから、祈って、答えをもらう皆さんになることを願います。

 

御子といつも心一体、愛一体だ(肉の明かりを消して、霊の明かりをつけなさい)

[本 文] コロサイ人への手紙1章9節
そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、
ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

人は肉的に生きたら「心と考え」も身動きがとれずに「肉」に従い、これによって「魂と霊」も「肉」に従っていくしかありません。
しかし、自分の心と考えをしっかりつかんで精神一到すれば、「肉体」は身動きがとれず、「心・精神・考え」に従っていきます。自分の心と考えをしっかりつかんで、御子の御言葉に聞き従い、精神を一到させ、「肉」をぎゅーっとつかんで治めなければなりません! 
「太陽の明かり」を消してこそ、「星」が見え、「月」が見え、「太陽の明かり」をつけてこそ、「星と月の明かり」が見えません。二つのうちの一つを消してこそ、他の一つが見えます。
このように、肉体が機能する時は「肉の光」があるから<霊的な魂の世界のもの>がよく見えません。これはちょうど日の光が燦々(さんさん)と輝いている時は明かりをつけても明かりが見えないのと同じです。
しかし、肉の目を閉じて「肉の明かり」を消して、心と精神を一到すれば、「霊の明かり」と「魂の明かり」がついて<霊的な深いもの>を見て<貴いもの>を得るようになります。
また、否定の目を閉じて「否定の明かり」を消せば、「肯定の明かり」がつき、「肯定の考え」をするようになります。その考えを強くすれば、「体」も肯定的な考えに従って行なうようになります。
疑いの目を閉じて「疑いの明かり」を消せば、「信仰の明かり」がつきます。その時、御子の御言葉が深く聞こえ、神様の御働きが強く感じられます。
信仰を強くすれば、「体」も強い信仰に従って強くなります。そうすることによって、「永遠な愛」も得るし、「真(しん)の真理」も得るし、「固くて揺るがない行ない」も得るし、「引き上げ」も得るし、「天国も」得るようになります。
耳を塞(ふさ)げば聞こえず、目を閉じれば見えません。聞こえないから、聞くことによって心が動いて犯す罪を犯さなくなります。見えないから、見ることによって心が動いて犯す罪を犯さなくなります。肉的機能の明かりが消えるから、霊的機能の明かりがつくようになります。
御子主とより一層「心一体、愛一体」になり、「神霊な目」を開いて、「神霊な明かり」をともして生き、より多くのことを悟って、分かって行ない、より大きいものを得るようになることを祝福します。

 

個性と才能の使命である

[本 文]マタイによる福音書25章15節
、15)それぞれ、その才能にした人には金五タラントを、一人には二タラントを、一人には一タラントを与えて去ったところで
ハレルヤ!永遠の父なる神の愛と聖者の平安に満たさするように。

人ごとに「顔」が違うように、「個性」も異なり、個性に応じて「才能」も「技術」も表示されます。例えば、山高いましょう。それは「個性」です。また、山高いので、傾斜が急です。これは「才能と技術」です。このように人も「個性」に応じて「才能と技術」が表示されます
。「個性と才能」は作成もしますが、乗ってたりもします。< 大きな万物の>は、持って生まれたままほとんど存在し。海も、陸も、高pHそう生来のように存在します。< 人>にも「天から持って生まれたもの」は、人間自ら作成できません。
しかし、<人>は、万物とは違って「個性」に生まれ、また、無限に作成に変化させることができます。

春になってその時、万物が蘇生して表示されるように、人も成長するにつれて「個性」が現れて、その個性に応じて「才能」が表示されます。故に成長したとき、個性と才能」が表示されたら開発しなければなり。個性に才能を開発すると、その面で「輝く王」となって、最高です。   
人はそれぞれ「個性」も、「姿」も違う「才能と技術」も異なります。故に、この人がその人の代わりにしていませんので、仕事をするときは、必ず「個性と才能」に仕事を任せて、指導してくれて導いて行かなければなり。
地球世の中、「自分という個性体」は一人だけです。一人一人この「その面の個性の王」であり、自分の個性や才能をよく知っている者も「自分自身」です。また、自分の個性と才能を作成発揮者も「自分が1人しか」です。だから、自分が責任を持って自分の個性と才能を探して開発して使わなければならされます。

だから、誰が知っている周期だけを待たずに、「自分の個性と才能」を開発して得を送ることを願って!
今日の御言葉を聞いて皆さんが「神と聖霊様との聖者、主が大切かけている個性の王」になることを祝福します。

 

これから永遠に一緒に生きよう

[本 文] マタイによる福音書11章3-7節

3) イエスに言わせた、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」。
4) イエスは答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしていることをヨハネに報告しなさい。
5) 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。 
6) わたしにつまずかない者は、さいわいである」。
7) 彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。

ハレルヤ!永遠の父なる神の愛と聖者の平安に満たさするように。
一般的によく住んでいる人を見ると、勤勉で、執拗に努力して、知恵があります。私たちの信仰も同様に勤勉する必要があり、よく買います。
いくらオクト畑与え、ソウル市内を与え、店を無利子(無利子)で借りてくれましたが、夜明けから熱心に行って走らなければなら黒字(黑字)になるよう、私たちの信仰も、どれだけ努力して、汗をかいたり真心をささげ、祈り、研究し生きるに応じて、信仰の金持ちになることがあります。

よく買う人はよりよく生きることができるようビート割り、または(銀)に建てた家は、金(金)に家を建てて、金で建てた家は、ダイヤモンドに家を建てました。
皆さんは何に信仰の家を造るか?それぞれの家だから、皆さんが努力して自己するに依存しますので、しつこく行うことで、信仰の金持ちになって昔のことを殴って壊して、勤勉と、熱心に、より理想的な霊魂の家建築しなければだろう。
人間が神に仕えて生きるということ!その偉大な者と、全能の神、力と、私たちの生活の源を始めましょう!今、私たちが知っているとか知らないとかも一切主管し、愛する神を私たちが信じて生きること、これがどのように嬉しく楽しいことでしょう。
自分に愛を施して、恵みを施して、異常を施してくれた人を愛していないのも精神のボトルも   なり

ます。 昔エリヤの時代には、バアルとアシェラ像のような他の神に仕えるながら喜んで喜び、踊り騒ぎを打ち、宮廷ですべてプンアク音を落とさなかった、エリヤは「それではない。神に仕えることが最も嬉しく、楽しく理想的である。 “しました。
神の真理を信じて生きることがどのようにやりがいのある理想的なのか、再表示することもできません。
皆さんが神に会って、永遠のように生きることを祈ります。

 

まずは「神霊な霊的な仕事」だ。その次が「肉的な仕事」だ。

[本 文] ローマ人への手紙8章5~8節

5)なぜなら、肉に従う者は肉のことを思い、霊に従う者は霊のことを思うからである。 
6)
肉の思いは死であるが、霊の思いは、いのちと平安とである。

7)なぜなら、肉の思いは神に敵するからである。すなわち、それは神の律法に従わず、否、従い得ないのである。

8)また、肉にある者は、神を喜ばせることができない。 
ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
人間には「霊と魂」があり、「肉」があり、<霊的な仕事>もしなければならないし、<肉的な仕事>もしなければなりません。しかし全世界の人たちはほとんどみんな<肉的な仕事>を先にするから、<肉的な仕事>は成功しても、<霊的>には失敗して生きていきます。だから、人間は毎日<成功>もし、<失敗>もしながら生きていきます。
どのようにすれば毎日<霊的>にも<肉的>にも成功して生きていけるでしょうか?

まずは「霊的な時間」に<霊的な仕事>をして、その次に「肉的な時間」と共に<肉的な仕事>をするのです。つまり、順序よく先にすべきことを先にして<霊的な勝利>をする人が<肉的な勝利>もするようになります。
<肉的な仕事>を先にして「霊的な成功」をした人は、この世界にたったの一人もいません。宝石の価値を見ても、「銀」よりは、「金」がもっと価値があり、先です。これと同じく、「霊的なこと」がもっと価値があり、先です。
<霊的な時間>に<肉的な仕事>を先にすることは、燃料を入れないで飛行機を先に飛ばすようなことで、飛んでいく途中で100パーセント墜落するようになります。<霊的な仕事>を先にしてこそ、神様と聖霊様と御子主が働きかけます。<霊的な仕事>を先にしてこそ、「勝利の道」に行くからです。
<肉的な仕事>を先にしたら、苛立ち、やり終えた後も気になり、つらいです。いくら食べて、飲んで、愛して、享楽を享受しても、<肉的なこと>を先にするから、虚しく、風をつかんだようです。<肉的な仕事>はしても<霊的な仕事>ができなくて、<霊>が失敗したからです。
だから、今日の御言葉を聞いて、先にすべきことを先にすることで、毎日勝利し、成功する生を生きることを祈ります。

 

悟って知りなさい

[本 文] 詩篇49篇20節

『とうときなかにありて悟らざる人は滅びうする獣のごとし。』(文語訳)

『人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ、滅びうせる獣に等しい。』(新改訳)

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。

悟って見てください。悟って見てください。悟って見たら、以前と「考え」が変わります。
<ク ムガン山(金剛山) >がいくら美しくよくても、<自分の前にある山>ほどにも恩恵を与えることはできません。<前にある山>は毎日「いい空気」を与え、「散策」ができるよう にしてくれます。<土地>も家から近くあってこそ、「門前沃田(家の前の肥沃な水田) 」です。「門前沃田(家の前の肥沃な水田)」は、家の近くにある肥沃な水田であり、家から遠ければ、「いい水田」にはなれるけれども、「門前沃田(家の前 の肥沃な水田)」ではありません。

このように自分と近いものが「自分にとってもっと宝」です。自分と近くあってこそ、自分にとって一番価値があり、貴重です。

だから「自分自身」が価値があり貴重だということを悟らなければなりません。このように自分の近くに来て、働かれる神様と聖霊様と御子を深く悟ることを願います

悟ることが「宝」です。真実に悟ってこそ、「主」に従って「命の道」に行くようになります。 悟れば、「認識」が変わり、「自分の無知」を慨嘆し、嘆き、悔い改めます。また、さっそく「実践」し、不可能なことも心を尽くして行なって可能にします。悟れば、躊躇せず、ためらわず、もたもたせずに続けて行ないます。
悟りは、御言葉と聖霊を中心にして悟ってこそ正しく悟るから、御言葉と聖霊がどれほど貴重なのか、悟って慕うことを願います。

悟る人が栄えるから、悟るためにもっと祈って悟り、分かるということが充満した人生になることを祈ります。

 

自分に必要なものが宝だ。近くにあるものが宝だ。自分が知るとおりに宝だ。

[本 文]

マタイによる福音書13章44節

天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、

喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる聖なる父神様の愛と御子の平安が満ちることを祈ります。
今日は「宝」とは何かを大きく三つに分けて伝えます。
自分は「金」のように貴重に思うのに、他の人たちは「銀」のように思います。

こ れは、自分にとっては必要なもので、自分は使わなければならないものだから「金」のように貴重に思い、彼らには必要でないし、彼らは使わないものだから 「銀」のように思うのです。万事すべてのものが「自分の立場で見るときの宝」であって、他の人の立場では宝ではありません。

たとえば<ソウル>に「高級マンション」を建てておいて、売るとしましょう。
この高級マンションは「ソウルに住んでいる人たちにとってのみ宝」です。

百里も離れた所に住んでいる人たちや、自分の主管圏でない人たちや、自分の趣向でない人たちには関係がなく、関心もありません。
<自分に必要なもの>が「自分にとっての宝」です。
<自分に必要なものを得ること>が「祝福」です。
また、ソウルに住んでいる人には<自分の土地に繋がっている土地を得ること>が宝であり、

田舎に住んでいる人には<自分の家の近くに繋がっている土地を得ること>がもっと宝です。

それぞれ<自分が置かれた生に該当するもの>が宝です。

<自分の生活の場>から近くにあってこそ、最もたくさん使うようになるから貴重です。

だから人々は<自分の生活の場>から近くにあるものを得ようとするし、

それが「自分にとっての宝」になります。

そして、<世の中の宝>は人によってそれぞれ異なります。
<お金>はすべての人たちに必要だから「すべての人にとっての宝」です。
しかし<物>や<万物>は人によってそれぞれ異なります。
ある人にとっては「木」が宝であり、ある人にとっては「石」が宝であり、

ある人にとっては「土地」が宝であり、ある人にとっては「家」が宝です。
このように<宝>は自分の立場、趣向、個性によってそれぞれ変わります。
自分の個性どおりに、自分の才能どおりに、自分の趣向どおりに「宝」だと思って喜びます。

このように 「宝」は自分の考えによって、自分の行ないによって、自分の生によって、自分が知ることによって、自分の水準によって決まります。

この御言葉を通して、神様と聖霊様と御子主が、自分にとって真実に必要な宝になり、自分と最高に近い宝になり、正しく悟って分かって、絶対に奪われない宝になることを祝福します!

 

挑戦すれば、しるしが起こる

ハレルヤ!

永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。

目的をもってその段階にまで上がるために行なうこと<挑戦>です。
挑戦すれば、「しるし」が起こります。
挑戦の基本は「実践」です。
だから行なう分だけもっと見て、もっと感じて、もっと得て、もっと次元を上げ、しるしが起こって、満足するようになります。
私たちの目には、道がふさがっているようでも、思っていたのとは違います。
挑戦すればするほど脳も、心も、目も、行動も、もっと満足するように「もっと行ないたい気持ち」が湧くので、毎日「行動」を止(と)めずに行なうようになります。
もっと満足した境地にまで行くために、もっと見て、もっと感じて、もっと得て、もっと次元を上げるために、<目標>を決めて「挑戦」して、もっと高く上がることを願います。

人生を生きながら、挑戦すべきことがたくさんありますが、私たちは <霊的な挑戦>しなければなりません。

<脳>は無限大なので、肉的な挑戦では「脳」を満足させられませんが、<脳>が「魂、霊」とつながっているので、霊的な挑戦をすれば「無限な段階」まで行くので、それによって脳も、心も、魂も、霊も、肉も満足し、喜びを感じるようになります。

みんな全能なる神様と聖霊様と御子主と一体になって行なうことで、想像もできない段階に挑戦し、個人的に、民族的に、世界的に突風を巻き起こす歴史を起こすことを祝福します。

 

三位一体が下さった条件四つ

[本 文]?マタイによる福音書5章20節
わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と、御子の平安を祈ります。
私たちが神様の国に行く上で、基本の条件を揃えて初めて資格が満たされ、神様と聖霊様と御子が満足なさるけれど、その基本となる四つの条件について話します。
一つ目の条件は
すなわち神様の敵、反逆者、裏切り者、不従順な者、天の国から追い出された「ルシファー、サタン、悪魔」よりは優っていなければなりません。サタンと悪魔の誘惑、あらゆる反対、あらゆる狡猾〔こうかつ〕な仕業を退けなけ、打ち勝つには、絶対に<三位一体の御言葉>に聞き従って、<三位一体の考え>どおりに生きなければなりません。
二つ目の条件は
神様の歴史を裏切り、出ていって悪評し、信じる人たちを惑わそうと、狡猾に行う人たちを退けなければなりません。<御言葉>で強く武装し、<三位の考え>で強く武装し、三位と主の名前で強く祈ることによって、彼らのあらゆる悪評の文や偽りの言葉や惑わしの言葉を退けなければなりません。
三つ目の条件は
アダムとエバができなかったこと、つまり、堕落しないで100%、愛の条件を立てなければなりません。皆、絶対に三位一体を愛して「愛の条件」を立てることによって、「第二の回復したアダムとエバ」にならなければなりません。
四つ目の条件は
神様が遣わされた「救い人を絶対に信じること」、神様と御子が「その人を通して下さった御言葉を聞いて行うこと」です。
ヨハネによる福音書5章24節にイエス様は
「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされた神様を信じなさい」とおっしゃいました。まず<救い人>を信じ、その人と一体になって、その人を通して<神様、聖霊様、御子>と一体になり、<神様、聖霊様、御子>を愛して生きることです。
この四つの条件を守ってサタンに勝ったら、いつも「喜び、愛、希望、平和」があふれ、常に「賞」をもらい、「祝福」をもらい、「天の遺産」をもらい、ひいては「財物」ももらい、「畑に隠された宝」ももらうようになるから、 必ずこの条件を立てて行い、愛、感謝、希望、平和が満ちることを祝福します。

 

考えで成功する

[本 文] ヨハネによる福音書10章35節

神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、
(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
人間は<考え>で成功します。
<考え>をちゃんとするか、しないかによって、成功もし、失敗もします。
しかしその都度<やりたい考え>があり、<やりたくない考え>があります。
<やるべきこと>なのに「やりたくない考え」になったら失敗し、<やるべきでないこと>なのに「やりたい考え」になったら失敗します。
<やるべきこと>なのに「やりたくない考え」になる理由は<考え>で「必要性」を感じなくて、意欲がないからであり、じっとしていたら<肉体>が楽だからです。
しかし今すぐはやりたくなくても、結局はしなければならないことだから、やりたくなくても、大変でも、<それより強い考え>で負かせて、勝ってこそ、すべき時に行なうようになります。
神様と聖霊様と御子は救い人を通して<御言葉>をくださり、<強い考え、三位の考え>をくださって、人間が「自分の体」をもって行なうようにしてくださるから、
救い人を通して<神様と御子がくださる御言葉>を聞いて、<聖霊がくださる感動と恵み>を受け、<三位の考え>で強く武装して、 <自分>が「自分自身」を把握し、<三位の考え>を受けて「考えが神」になって、<自分>を治め、<自分>のために生きることを願います。
この世で肉的に霊的に「成功した人たち」を見ると、みんな<考え>がよくて素晴らしいです。
彼らは数多くの考えの中から<鋼鉄のような考え、よい考え>を選んで行なったし、よい時も、うまくいく時も、つらく大変な時も、一途(いちず)に<鋼鉄のような考え、いい考え>を選んで、行ったから、肉的に、霊的に成功したのです。
皆さんも、天と地をひっくるめて<一番鋼鉄のようでよい考え>である<三位の考え>をもって行なって、成功する人生を生きることを祝福します!

神様は隠密に行なわれる

[本文] アモス書3章7節
『まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、
何事をもなされない。』
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
神様は隠密に行なわれます。
他の人たちが分かったら反対して<神様の計画>が駄目になるから、「使命者、その仕事をする対象者」だけに隠密に<感動>を与え、教え、だんだんと行なわれます。そうすることで、誰もその仕事を妨害できないようになさいます。
神様は「武力」で働きかけることはなさらず、「順理」で働きかけ、人々が分かるように<感動>を与えます。
聖書を読んでみると、神様は「天の仕事をする人たち」を隠密に選び、育てました。そして神様と一対一で対話し、対面するようにさせました。アブラハム、ヤコブ、ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、エリヤ、イエス様など、みんなそうでした。
そして「その一人」に隠密に神様の御言葉を伝えさせ、「その人の言葉を聞いて従う人たち」だけが分かるようにし、神様の御心を成して、歴史を広げて来られました。
今日の聖書の本文であるアモス書3章7節に、「まことに主なる神はそのしもべである預言者にその隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」と言いました。この御言葉のように、神様は<ご自身の秘密>を「預言者」や「メシヤ」にだけ知らせ、「その仕事に該当する人」にだけ隠密に知らせて行なわせます。だから「神様が遣わした人」の言葉を聞いてみてはじめて、<神様の行なわれることと秘密>を分かって一緒に行なうことができます。
このように三位は、内容を先におっしゃらないで、隠密に<感動>をくださって、だんだんと行なわれるから、天から受けた感動をおろそかにせず、祈りと御言葉で分別して、隠密に行われる神様の歴史にいつも共にする皆さんに成ることを祈ります。

 

<神秘>を悟って、喜び、感謝し、愛しなさい

[本 文]?詩編104編24節? ? ? ? ?
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主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。地はあなたの造られたもので満ちている。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
今日の御言葉の核心は「<宇宙と地球と人間の神秘>を分かって喜び、三位に感謝し、聖三位を愛して生きなさい」です。
この<神秘>を悟るためには神様の御言葉を学び、学んだとおりに実践しながら、いつも聖三位を呼んで対話し、一体になって生きなければなりません。
そうすれば「考えの次元」が高くなって、神様が見るのと同じく見るようになり、それによって<神秘>を悟って感じ、それだけたくさん得て享受するようになります。
宇宙と地球と人間など、神様はすべての存在物を神秘的に創造なさいました。
しかし人々はこの神秘的なものを普通のものとして見ます。それを知らず、考えの次元が低くてそうなのです。だから神様と一体にならなければならないし、神様と一体になるためには、神様の考えを学ばなければなりません。だから学んで分かって行ないなさいと話してあげます。
自分が「人間」として生まれたことに感謝し、創造主がどうして人間を創造なさったか悟り、その御言葉どおりに生きて、「人間として生まれた甲斐」を享受して生きることを願います。
<地球>も<人間の肢体>も神秘的だということを悟って喜び、創造主神様に感謝し、栄光を帰し、聖三位を愛して、くださったものを価値ある使い方をして生きることを願います。
神様の創造物である宇宙も地球も人間も本当に神秘的です。人間がいくら神秘的に何かを作っても、神様の創造物とは比較できません。神様の創造物が最高に美しく神秘的です。
だからその構想と考えをもらって、三位と一体になって行なうならば、<考えの次元>が高くなって、神様と同じ次元で見て、味を感じ、次元高く歌い踊って行なうことでたくさん得て、たくさん享受するようになります。
神様は地球上に住んでいる人間73億人を全て異なるように創造なさいました。
一人の肢体を見るだけでも、各肢体はみんな異なるように創造なさいました。
地球上の数万個の山を見ても、一つとして同じ山はありません。
木も形がみんな違います。同じ松の木から「松の種」を取って同じ土地に蒔いても、みんな違った形で成長します。日と月と星も形が違うし、おびただしい数の星もみんな形が違います。
しかし両目、両方の鼻の穴、両耳、両手、両足、両腕、両脚、両方の肺は「一対(いっつい)」なので<同じ形と形象>に創造なさいました。
<すべて違うように創造したこと>と<それがつながって存在すること>が神様の全知全能な知恵であり、御力です。神のわざであり、神秘的な神の腕前です。
神様と聖霊様と御子が祝福をくださるときは、<考え>を興奮させて<考えの次元>を上げるようにして正しく見るようにし、それによって得て、享受するようになさいます。
だから<肉>だけを持って生きるのではなく、<考え>を深くし、<魂と霊>を使いながら<三位と主>と一体になって、その考えで生きることを願います。
みんな霊的に考えの次元を上げて、たくさん得て、たくさん享受する人生になることを祝福します。

 

行なってこそ輝く

[本 文]ヤコブの手紙2章14節、17節
14)わたしの兄弟たちよ。ある人が自分には信仰があると称していても、もし行ないがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。
17)信仰も、それと同様に、行ないを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
万事すべてが動いてこそ輝き、実践してこそ輝きます。
<チーターの特徴と特技>は「速いこと」です。
<チーター>はじっとしていても顔がきれいな形をしているのできれいだけれども、やはり走ってこそ一番美しく光を放ちます。30秒のうちに時速130kmのスピードを出して速く走りますが、その走る姿が輝き、走る時の体の形が輝きます。動くからやはり<特技>が輝いて、「地上で一番スピードの速い王」であると認めないわけにはいきません。
<鉄>をもっても行なって<必要なもの>を作ってこそ輝きます。<鉄>をもって行なって「冷蔵庫」を作ったなら、これを使ってこそ光り輝きます。このように、<行なうべきこと>を行なって、作ってこそ輝きます。<作ったもの>を使ってこそ輝き、また得るようになります。
だから「行なって作ること、作ったものを甲斐があるように使うこと」です。行ないながら使ってみてこそ得るようになり、行なって得てみてこそどれほど得るようになるか分かるようになります。
私たちが神様の御言葉をどうして学びますか?知るために学びます。何をでしょうか??
三位一体を知るために、自分を救う人を知るために、どうして人間が生まれたのかを知るために、人間に向けての神様の御心を知るために、<御言葉>を学びます。
学んだなら、行なわなければなりません。行なってみてこそ、<御言葉の威力と権勢>が分かるようになります。そうして<神様の歴史>も<三位>も<主>も一層呼び、はっきりと認めるようになります。その次元で行なうから揺れることがなく、愛が満ち、大変でもまた立ち上がって行なうようになります。
<流れる水>を見ると、毎日続けて流れます。<流れる水>のように毎日続けて行なうことです。<水>が小川から川へ、川から海へと休まずに流れるように、次元を上げて続けて行なうことです。階段を上がれば上がるほど次の段階に行くように、<神様の御言葉>どおりに続けて考えて行なえば行なうほど、もっと深いことを悟り、もっと高いことを行なって、発展するようになります。
山で草を刈り、木の枝を剪定すると、山道が広くなり変化していき、木の形がもっと美しく、見た目もよく変化していくように、行なえば行なうほど、一目瞭然です。
このように、行なえば行なうほど一目瞭然で、行なえば行なうほど得るようになり、行なえば行なうほど次元が高くなり、行なえば行なうほど発展します。だからどんな状況ででも必ず行なわなければなりません。遅れたら遅れたなりに行ない、失敗したなら残りをもって行えばいいです。
過ぎた日は二度と来ません。大変だったとしても、よかったとしても、行なったとおりに終わるから、みんな行うことで輝く人生を生きることを祝福します。

 

義の価(あたい)、義の力

[本 文]マタイによる福音書20章1~14節
01)天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
02)彼は労働者たちと、一日一デナリの約束をして、彼らをぶどう園に送った。
03)それから九時ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。
04)そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
05)そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時ごろと三時ごろとに出て行って、同じようにした。
06)五時ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。
07)彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
08)さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
09)そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
10)ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。
11)もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして
12)言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
13)そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。
14)自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
<肉体>は大きく三つから力が出てきます。
一つ、体の力/二つ、精力/三つ、義の力です。
一つ、<体の力>は同じ年齢でも人によってそれぞれ異なります。
鍛錬をして丈夫に強く作ったなら力がもっと強いし、そのようにしなかったなら力が弱いこともあります。
二つ、<精力>は「体の力を基本」にして、どんな食べ物を摂取して栄養分を供給したかによって、来かたが違うし、神経と筋肉の力まで総合して、来ます。
三つ、<義の力>は「義」を行なってはじめて来ます。
<義を行なうこと>はちょうどお金を稼ぐことと同じです。何もしないでいたらお金が入ってこないように、<義の力>も何もしないでいたら生じません。義を行なってはじめて自分に<義の力>が来ます。
各自義を行ないますが、その種類はたくさんあります。
御言葉をもらうこと、リバイバル集会と聖霊集会、神様の自然聖殿建築の使役、祈り、明け方の祈り、讃美、聖三位への栄光、聖三位への愛、三位と一体、主と一体、伝道、管理、講義、説教、主の証、感謝、十分の一献金、患難・迫害・悪評に勝つこと、御言葉どおりに行なうこと、善を行なうことなどです。
これは「信仰の生」です。しかしこれが自分にとって「本当に大きな義」になることを必ず分かって行なわなければなりません。
この世で<肉>が何の使命を任されていなくても、祈り、伝道し、管理し、講義をし、主と一体になり、三位を愛するなど「義」を行なえば、その「義の行ない」どおりに<霊>が輝くようになり、その行ない自体で「神様に使命をもらったこと」になります。
聖三位が願っていらっしゃること、天のための霊的な仕事をする分、<義の価>をくださいます。<神様がくださる義の価>はこの世でくれるものとは比較にならないほどすごいです。
同じく「義」を行なっても、<何>を行なったかによって、<義の価>が変わりますが、各分野どおりに、行ないどおりに「義の価」を計算してくださいます。
今日の聖書の本文で、ぶどう園の主人が人々を呼び集めて話しました。
聖書の本文は長いですが、核心はこれです。
「私のぶどう園に来て働きなさい。それに相当する賃金を払う。<時間>に従って賃金を計算するより、<働いたこと>に従って賃金を計算する。だから力のかぎり働いてくれ」と言いました。
この聖句のように神様は「この時代に該当する仕事」をしたとおりに<義の価>を計算してくださり、<義の対価>をくださいます。
<主>は「自分の義」を支払って、「時代の罪」もゆるし、「人々の罪」もゆるして、救いました。
世の中でも、店を運営していたけれども負債が積もったら、それ以上運営できなくなります。
誰かがその店を買ってくれなければ、奪われることになります。自分の力ではそれ以上できないけれども、誰かが買ってくれたら店を奪われないし、また運営するようになります。
このように信仰の世界もそうです。
<義の不渡り>を出した人たちは、「義の力」がなくて、自分の力では立ち上がれません。
<主>は「そのような人たちの代わりに支払う義」があります。だから<主>は彼らのために代わりに「義」を支払ってあげ、ゆるしてあげ、再び立ち上がるようにしてあげます。
多くの義の中でも神様と聖霊様と御子を愛した義が一番大きく、命を救って三位の愛の対象体にならせた義が一番大きいです。
もう少しだけ「義」を行なって<その義の価>で運命を変え、義を行なうことで<義の力>を得て、次元を上げたくありませんか?
今日の御言葉で皆<やろうとする考えの祝福>が満ち、行なうときに<三位の御力が>満ちることを祝福します!

 

やる時にやりなさい。適時にやりなさい。

[本 文] ヨハネ第一の手紙3章22節
そして、願い求めるものは、なんでもいただけるのである。それは、わたしたちが神の戒めを守り、みこころにかなうことを、行なっているからである。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
毎日成功するためには、<その日の仕事>を「その日」にやるように、よく<考え>て、やらなければなりません。よく<考え>て<自分の考え>を自分が主管し、治め、必ず必要なその日の仕事を「その日」にやるためには、必ず「全能者の考え」で武装してこそ、「閃(ひらめ)く霊感」をもって「稲光のように実践」して、毎日得て、毎日成功する道を行くようになります。
食べ物も<新しく出されたばかりの時>は「よだれ」が出るその時すぐに食べてこそ、「味」が変わらないように、<新しく見て、聞いて、発見した時>、「新しい味」です。 その時すぐに行なわなければ「味」が変わります。だから「仕事の味」を感じて楽しくやるためには、適時に早速行なわなければなりません。
また<仕事をする時>は締めくくって終わらせるものです。その仕事をやりかけて中断したら、「その仕事の味」を失います。やる時に勢いでできずに中断して、「仕事の味」を失ってからまたやり直そうとしたら、<その時の次元>ほど行なうことができず、<その時の考えと構想>が浮かびません。だからもっと大変な思いをしてやるようになります。
<仕事をより易しくする方法>は、その仕事を始めた時、感動を覚えた時、発見した時に終わらせることです。
仕事を一つの考え、一つの動作でやればよくできます。しかし一つの考え、一つの動作でず~っとやって仕事を終わらせようとしたら、大変な時があります。この時は中断しないで、仕事の合間に少しずつ休んで、よりよくできるように考えて、またやればいいです。
みなさんは「神様の御心を成す人」になりたいですか?それならば必ず「神様の考え」を持って行なわなければなりません。<神の考え>どおりに行なってこそ、<神の歴史>と<神の御心>を成すのです。
だから毎日の明け方、また随時、全能者を呼んで「神の考え」をくださいと願い求めなければなりません。自分の考えを空けて願い求め、欲しがってこそ、<神の考え>が自分に来て、<その考え>で十分行なうようになります。
適時にやったら、<時>が助け、<天>が助け、<地>が助け、<人>も助けてくれるから易しくできます。
今この時は、もう少し努力し、もう少し行なって、自分の運命をよりよく大きく雄大に変える時であり、問題を答えに変える時であり、無から黄金色の野原を作って、違った世界に作る時です。
神様を愛するみなさんは<神様の御心>を実現したいことでしょう。だから不必要なことをして人生を無駄遣いすることなく、<神様の考え>をもらって行なって、<神様の御心>を実現する人生になることを祝福します!

 

<種>で「黄金の平野」を作る

[本 文] ローマ人への手紙9章7~8節
?7)<アブラハムの種>が全部「子女」ではない。<ただイサクから出た者>であってこそ「あなたの種」と呼ばれるであろう、とおっしゃった。
? 8) すなわち、<肉体の子女>が「神様の子女」ではなく、<ただ約束の子>が「種」として認められるのである。』(韓国語聖書より)
ローマ人への手紙9章29節
イザヤは預言した、「もし、万軍の主がわたしたちに「種」を残されなかったなら、わたしたちはソドムのようになり、ゴモラと同じようになったであろう」。』(韓国語聖書より)
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
<種>がすごいです。<種一つ>で「ものすごい歴史」を創造するからです。
稲作をしてから、穀物の中から「よい稲の種」を先に選びます。もし「一万石 (いちまんごく)の稲」が収穫できたら、その中から「種として使うものをかます 一つ分」残します。<一万石の稲>は料理をして食べて終わり、<選んだ一かますの、種となる稲>をまた蒔いて稲作をして、黄金の平野を作ります。
<よい稲の種>がその年の稲作の勝敗を左右します。だから「種」がすごいです。
果物の農作も、「実」でするのではなく、「種」でします。<種一つ>で果実の農作をして、果実を刈り取るようになります。
<種>は数百倍、数千倍、数万倍を作ります。<種でないもの>は「一つのごはん粒」で終わり、「一つの果物」で終わります。だから神様は「種」をもって歴史を広げます。そうしてこそ、全世界を「神様の黄金の平野の歴史」に作るからです。
イエス様は「新約の息子の種」でした。神様が予定して選んで送り出した「種」でした。だからその「一人」を通して<新約の黄金の平野の歴史>が広げられました。
<その時代に神様が遣わした人>は「種」です。<その人を通して広げられる神様の新しい歴史>も「種」です。その「種」を通してすべての人間を救って黄金の平野に作り、その「種」を通して神様の御心を成して黄金の平野にします。<種一つ>が全世界を黄金の平野に染めます。
<穀物や果実>は全部食べて終わりますが、<種>は食べて終わりにする穀物や果実ではありません。地に落ちて芽を出し、増えるようにする役割をします。
<その時代に神様が遣わした人、種のような人>を信じ、<その人が伝える御言葉>を聞いて、<神様の新しい歴史>に来た<新しい時代の命たち>も「種」です。
<種一つ>で100倍、1000倍、1万倍、10万倍…続けて栄えていきます。ただ「種」だけが黄金の平野を作ります。
だから「種の人生」は肉的に食べて楽しんで終わる人生を生きるのではなく、種が地に落ちて芽を出し黄金の平野を作るように、<自分の霊魂>を救い、引き上げさせて、<命たち>を救い、引き上げさせる役割をします。
<種>は、最初は「微弱」ですが、時間が経てば経つほど「壮大」になります。アブラハムも<子孫の種>を「イサク」に定め、進んでいくうちにその氏族が「天の星」のように多くなりました。この時代もそうです。<種一つ>が数千、数万倍栄えて、全世界を黄金の平野に作ります。
<時代に遣わされた人>は「種」です。<新歴史>は「種」です。<新歴史の新しい命たち>は「種」です。だから「数」は多くありませんが、<種>だから、全世界を覆い尽くします。
霊的に見たら、「肉」が<種>です。<肉>が「種」になって、<自分の霊の救いと引き上げ>のために犠牲になれば、<霊の芽>が新しく伸びて、数千、数万倍を刈り取るようになります。<種>を蒔いて<穀物>で刈り取るように、<肉の種>で蒔いて<霊の穀物>で刈り取ります。つまり<肉>で蒔いて<霊>で刈り取ります。つまり<肉>で植えて<霊>で生き返ります。
みんな<肉体の種>をもって「霊」のために蒔き、植えて、<引き上げ>で数百倍、数千倍、数万倍栄えるようにすることを祝福します!
<種>は地に蒔いて犠牲になりますが、その「種」によって数千、数万、数十万倍を刈り取るようになります。これが「種の栄光」です。
<種>は「農作をした全体の穀物の数」より少ないですが、その「種」によって<後世と未来の新しい歴史>を作ります。これが「種の価値」です。
自分の人生を「種」にして「霊」のために「命」のために植えてこそ、<種の人生>になります。
神様はみんなを「同じ種」にすることはなさいません。分野別、センターごとに選んで、「個性の種」になさいます。愛の種、使命の種、経済の種、伝道の種など数百種類があります。みんな<種の価値>を分かって、「自分は何の種」なのか分かって、各自個性どおりに「種の使命」を果たすことを祝福します。
<種>はしっかり管理をしてから「肥沃な土地」に蒔かなければなりません。これと同じく、<種>になって「種の使命」を果たすためには、神様が願っていらっしゃるところ、神様の新しい歴史に蒔かなければなりません!
<種>はただ感謝、ただ愛です。だから神様はいつも喜び、感謝し、笑い、全ての人たちのお手本になり、すてきで輝かしく、栄光を帰して聖三位を愛する人たちを<種>にして大切にし、彼らを蒔いて、植えて「黄金の平野」にお作りになります。
自分を「よい種」に作ることを願います! みんな「よい種」になって蒔かれることを祝福します。

 

時間が速く過ぎて行くということを悟って、霊的に使いなさい

[本 文] エペソ人への手紙5章16節
『今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。』
(韓国語聖書:時間を惜しみなさい。邪悪な時代だ。)
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
今日は主日の御言葉の核心を<箴言>で一動作ずつ伝えるつもりです。?
<人生100年>、長いと言うけれども、その時間はやっと神様が遣わした救い人に会って、その人が話す御言葉を聞いて、神様がいらっしゃる天国を探していくところに使う時間にしかなりません。
<人生100年>とは言葉だけで、実際、少し生きているうちにすぐに「100年の日」が暮れるから、その期間に「自分の霊魂」を必ず救わなければなりません。
<肉体の人生100年>が「永遠な運命」を左右するからそれほどにも重要です。
だから<肉体>が「この世」で生きる時、福音を伝える人を通して、救い人を通して呼ぶ時、その時に来て神様を呼び、神様の御言葉どおりに行なわなければなりません。
地球世界の人々はみんな人生を初めて生きるので、人生をどう生きるべきか分かりません。<人生の道>を見ると、ある人は人々と群れをなして行き、ある人はペアを作って一緒に行くけれど、実際は人生を一人で生きて行くのです。<生まれた道>も一人で、<行く道>も一人だから「三位と同行」して、「三位と一体」になって生きることを願います。
<人生100年>、長い長い旅程のようだけれど、ずっと進んで行くうちに、いつの間にか<人生のたそがれ>だから急いで、速くしてください。
◎続けて<箴言>を一動作ずつ伝えるから、各自脳に刻んで悟ることを願います。
<食べ物>は時が過ぎれば、冷めて味が変わります。<時間>もすべき時間が過ぎたらそうです。
<果物>も時が過ぎれば、香りも消え、水気も抜け、味が変わって、食べたい気になりません。<時間>もすべき時間が過ぎたらそうです。
<食べ物>は湯気が立つ時、見た目もよく、おいしそうな時に食べてこそ、本来の味がします。<時間>も適時、すべき時間に合わせて仕事をしてこそ、本来の味がして、よくできます。
<行なうこと>も「すべき時間」があります。この時に行なわなければ「本来の味」が変わって、やりたくなくなります。<時間>と<やりたい心>が合ってこそ、やるようになります。これと同じく、<聖霊が感動をくださる時、脳に始動がかかった時>、その時が熱い時だから、その時にしなければなりません。
適時、すべき時間に行ないなさい!これが<成功の秘法><よくできる秘法>です。
食べ物が冷めて味が変わったなら、温め直して食べるように、これと同じく、時間が過ぎてやる気がなくなったなら、再び心と考えを温めて熱を上げてやることです。
◎これから<もう一幕の箴言>を伝えます。
<同じ一日24時間、同じ肉の人生>をもって、時間をどのようにつかんで使い、生きるかによって肉の生が左右され、それによって霊の運命が左右されます。
<知恵>は「判断」であり、「分別」です。<知恵>はただ「聖三位」から来ます。知恵をもらって、<短い時間、短い人生>を、知恵をもって最先端に使って勝利する生を生きようとする人は誰でしょうか?
年齢は幼くても「聖三位と主の考え」で生きれば、その考えと行ないが大人より先を行っているので、三位と主の体になってのべ伝え、子供も大人も教える人になります。
やはり<神的>に<神の頭>を使ってしなければなりません。<神様と聖霊様と御子の考え>どおりに<天のように高い考え>を持ってしなければなりません。
まわって行く道は直線で行き、してはいけないことはしないで、ただ聖三位が指示なさるとおりに、その方法どおりに生きなければなりません。
そうすれば同じ時間でも最先端に使い、同じ時間を5倍、10倍、20倍、100倍も握って使う人になって、時代の先を行き、人々の考えと行ないより先を行って、<肉的な成功、霊的な成功>も最先端に成し遂げます。
みんなこのようになることを祝福します!

 

その瞬間立ち寄って行く人になるな。絶対者神様は絶対に行われる。

[本 文] コリント人への第一の手紙13章10節
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安を祈ります。
<完全なもの>が現れれば、<臨時でしていたこと>を廃するようになります。神様も、<ない時>は「小さいもの」で下さり、<ある時>には「大きいもの」で下さいます。<患難の時>には「避難所」を下さり、<良い時>には「環境の良い宮殿」を下さいます。
神様は「絶対神」であられます。<絶対者>は「絶対」に行われるから「絶対神、絶対者」だと言うのです。
今から神様は何をどのように絶対に行われるのか、話します。
<旧約>で「遣わした者」なしには、絶対に!<新しい歴史、新約歴史>を広げません。<新約>でも「遣わした者」なしには、絶対に!<新しい歴史、最後の成約歴史>を広げません。神様は絶対に!「イエス様」を遣わしてから、<新約の子女級の歴史>を広げていかれました。
神様は「絶対者」であられるから、絶対に神様の御心どおり行われます。
<男>は一生「男」であり、<女>は一生「女」です。これが「絶対的」(ということ)です。
例えば、全人類が<男>が来ることを待っているとしましょう。ところが<男>は1人もいなくて、<女>だけが「1万人」いるとします。この時「赤ちゃん」が生まれて、<男>だったとします。その子が「生まれたての赤ちゃん」でも、結局は「その子」が成長して使命を果たします。<女>は「1万人」いても「男の使命」はできません。歳月が経ち、<女>たちが待っているうちに年老いて死んでも、<その男>が成長して、「新しい歴史の赤ちゃん」を生んで歴史を広げます。これが絶対的(ということ)です!神様の歴史もそうです。
<使命者ダビデ>でなければ、絶対的に「ゴリアテ」を退けることはできませんでした。これが絶対的(ということ)です!あんなに「兵士」が大勢いても、誰一人「ペリシテの軍隊」を退けることができませんでした。ただ<ダビデ>だけが「神様の絶対的な計画」に従ってペリシテ軍のゴリアテ将軍を退けました。ただ<ダビデ>だけが「民族の問題」を解決しました。これが絶対的(ということ)です。
モーセに導かれて<シンの荒野>に行ったイスラエルの民は、責任を果たさず悪評し、不平を言っているうちに、<カナンの祝福の地>に入れませんでした。悪評し、責任を果たせなかった刑罰として、一生「シンの荒野」で生きるようになさいました。ただ「善評して責任を果たしたヨシュアと二世たち」だけが、<カナンの地に行く祝福>をもらい、神様の御心を成しました。
このように神様が「祝福してくださった人」は行く道も、運命も、肉的な祝福も、霊的な救いも、完全に異なります。
神様と聖霊様と御子は「絶対者」でいらっしゃいます。神様は絶対に、いつも「一つ」をもって始められます。<本物の歴史、新しい時代>も「一つ」です。<時代に遣わした人>、すなわち<救い人>も「一人」です。
人類の歴史を通じてただ一つしかない<神様の摂理歴史>で、一人しかいない<時代の救い人>を信じ、一つしかない<時代の御言葉>を聞いて行い、おひと方しかいない<絶対者神様、聖霊様、御子>を愛し、自分を開発して「新婦」につくって変化させなければなりません。そうしてこそ「その瞬間立ち寄って行く人」になりません。
皆さんも、皆選ばれて「新しい歴史」に来たから、心と思いと命を尽くして「三位の御心」どおりに熱心に行なって、どんどん成長し変化して、<三位が住まわれる肉と霊の宮>になることを祝福します!

 

貴重さを真(しん)に悟ってこそ次元を上げる

[本 文] マタイによる福音書16章26節
ハレルヤ!
永遠でいらっしゃる神様の愛と御子の平安と聖霊様の熱い感動、感化、御働きが満ちることを祝福します。
<考え>が「子供の次元」であれば、<行ない>も「大人の行ない」をできません。<考え>は神様がいないというならば、<行ない>で神様を信じません。<考え>で主を信じなければ、<行ない>でついて行けません。
だから次元を上げるためには、まず<考えの次元>を上げなければなりません。<考えの次元>を上げてこそ、<行なう次元>も高くなります。
今からどのようにしてこそ次元が上がるのか、また何について次元を上げるべきか、具体的に話します。
学んで知識でだけ一般的に知るのではなく、学んだことをはっきりと知らなければなりません。
学んだことをはっきりと知るためには、悟らなければなりません。<学んで知識でだけ知ること>と<悟ること>とは次元が完全に違います。
<主>を学んで知っても悟れなければ、普通に信じて、御言葉を聞いても普通に行ない、信仰生活をしても普通にして生きます。しかし<主>を真に悟った人は100倍、1000倍、差がつく生を生きます。だから次元を上げて行なって、肉も魂も霊も変化します。
悟ってこそ<考えの次元>が高く上がるので、<価値、接し方、見方、行ないの次元>も上がるのです。これと同じく、<自分自身>がどれほど貴重なのか悟って、貴重に使うことを願います。
悟れなければ、<この時代に生まれた自分の肉体>がどれほど貴重なのか分からず、普通に思って生きます。
<自分の肉の価値>について考えの次元、悟る次元を上げなければなりません。そうすれば喜んで、各自、個性どおりに思いきり走ります。また喜んで、希望で生きて、落胆せず、世の中に勝ちます。
人々はよく「名誉のある人だ。財閥だ。権力者だ。世の中のスターだ。美人だ。容貌が秀でている」と言って、そのようなところを見て価値を決め、貴重だと言います。しかし、名誉、財物、権力、容貌…そんなものは一つもなくても、<人間の肉体>は本当に貴重で大事です。
マタイによる福音書16章26節を読んでみると、
『たとい人が「全世界」をもうけても、「自分の命」を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、「その命」を買いもどすことができようか』と書いてあります。
<天下>とも換えられないものが<命>です。<肉>が死んだらすべて終わってしまいます。名誉、財物、権力があっても、容貌が秀でていても、<肉>が死んだら何の役にも立ちません。
まずは<自分の肉>が生きていてこそ夢も見るし、挑戦もするし、希望も成し遂げるし、得て、使い、享受します。
<自分自身>がどうしてそんなに貴重なのか、本当に重要な理由があります。
<自分の肉体>をもって神様が遣わした救い人を信じ、その御言葉を聞き、神様と聖霊様と御子を愛して、聖霊に導かれ、主の御言葉どおりに行なうことで<自分の霊>を引き上げさせて「天国の黄金の城」まで行かせて永遠に生きるようにできる肉だからそれほどにも貴重なのです。
人生、100年生きますが、それもほとんどが70~90年で人生が終わります。だから「名誉・権勢・財物・容貌」は「永遠なもの」に比べれば貴重ではありません。当世のみ、肉が生きている時のみ貴重なだけです。
しかし<自分の考え、自分の体>をもって<自分の霊>を永遠な国に行って生きるように作ることができるから、<自分の体と考え>が本当に貴重で大事です。
神様と聖霊様と御子は<人間の肉>を通して<その霊>を作って、救い、引き上げさせて永遠に生きるようにすることを「救い人」を通して行なわれます。だから<自分の考えと肉>が本当に貴重で、自分を永遠に価値あるものに作ってくれる<救い人>が本当に大事で貴重です。<瞬間なもの>は<永遠なもの>に絶対に及びません。
<土>をもって「農作をして食べて生きること」は、普通に分かって生きることです。もっと貴重なことを悟って、<土>をもって「100億、300億の器」を作って売って使えば、その価値は比べられないほどものすごいです。
これと同じく、<自分の肉体>をもって「人生を生きるところ」にばかり使うのではなく、<自分の霊>を救い、引き上げさせて天国で永遠に生きるようにすれば、<その体と考え>を数兆倍もっと貴重に使うようになります。
自分は見るべきところもなく、名誉もなく、権勢もなく、財物もなく、容貌もないと言って、価値がないと思わないでください。この時代の全能者の御言葉を聞いて、引き上げられてさえいれば、天下のどこの誰よりも神様は貴重に思い、その霊は「永遠に尊貴(そんき)な霊」になり、それによってその肉も「天下で貴重な肉」になります。人間としてこれ以上の価値はありません。
今日の御言葉をよく聞いて学び、<自分自身>について「考えの次元、悟る次元」を上げ、それによって「行ないの次元」を上げて、さまざまに行なうことで<次元>を数段階ずつぐんと上げることを祝福します!

 

御言葉充満、聖霊の御働き

[本 文]

マタイによる福音書13章44節
コリント人への第一の手紙15章51~56節
ヨハネの黙示録19章11~16節

 

世の中にたった一つしかない時計。

3年間その時計を買うために喜びで一生懸命働き、結局、それほどにも願っていた時計を買うようになり、喜びと歓喜の日々を過ごしました。

しかし喜びもつかの間、「私がこんなものを見て喜んで生きるのか」と思って、徐々に時計から「目」が遠のき、だんだんと「心」も遠のきました。いつの間にか笑いも消え、希望もいまいちで、ただなるがままに生きました。

そうしたある日、本当に喜びに満ちたある人が、「最高に素敵な時計を探している。そのような時計を見つけたら必ず買うつもりだ!」と言いました。

以前自分がその時計を買うためにお金を貯め、喜びに満ちて生きていた時のことを思い出しました。

このように、いくら自分だけが持っているものを所有しても、考えの次元が低ければ、もっと感じることができず、享受することができません。

今、あなたの大切なそれはどこにありますか?

 

間違いは死まで招く

[本 文] 士師記16章17~18節
マタイによる福音書5章48節
アダムとエバ、カイン、ノアの息子ハム、アブラハム、エサウ、ヤコブ、ロトの婿(むこ)、ロトの妻、サムソン、ワシテ、サウル王、ソロモン王、モーセの時のイスラエルの民たち、預言者ヨナ、ペテロ、イエス様の弟子たち、パリサイ人や律法主義者たち…
これらは誰でしょうか?
聖書の人物たちであり、神様の前で「間違い」を犯した人たちです。私たち人間も、この人たちと別段、変わりません。結局、大小の間違いを犯すようになります。
間違いは、自分の無知と誤解で、確認せずに行なっているうちに間違いを犯すようになるから、知識の根本でいらっしゃるエホバ神様に尋ねて、主と共に行うことで、これからは間違いを犯さない生に挑戦してみるのはいかがでしょうか?

 

神様は「質の良い人」を探していらっしゃる

[本 文] マタイによる福音書12章35節
『善人はよい倉から良い物を取り出し、悪人は悪い倉から悪いものを取り出す。』

「心の質」は、<性格、品性>

<性格、品性>は「体質」から来て、<考え>は「脳」から来ます。

<性格、品性>は遺伝子と関わりのある生れついたもので、<考え>は自分の努力と労苦によって左右されます。学んで、徐々に成長して行ないながら、自分を開発して、性格も品性も良い方向に変化させるようになります。

<性格と品性>、そして<考え>はとても重要です。なぜでしょうか?

<心の質、考えの質>によって「生(せい)」が左右されるから、<自分の性格と品性>を良く、義なるものにつくって、<自分の考え>を最高に良くつくらなければなりません。

<自分の心、考え、性格、体質>をつくらずに、そのまま使ったら、一生、永遠に、期限もなく、<自分>によって「自分」が苦痛を受けるようになるから、必要のないことをきっぱり切ってやめて、<自分の質>を良くつくらなければなりません!

<人>は「体と考えの質、考えの形象」によって、「どのように使われるか」によって、価値が左右されるから、神様の御言葉を聞いて、義で行なうことによって変化させ、新しく、良く、つくることを祝福します。

 

変化は偉大だ。極だ。熱くやりなさい。

[本 文]  マタイによる福音書22章37節
『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ』

<変化>とは「発展」です。<変化させること>は、「もっと発展させること」です。

変化すれば、過去は跡形もなく消え去り、神秘的で美しい存在になり、「数百万倍」ももっと価値あるものになります。

変化すれば、<韓国のお金で1万ウォンの土くれ>が<韓国のお金で数百億する青磁、白磁>になるように、私たちの人生もそうだから、<御言葉の力>と<自分自らの力>を合わせて極に熱く行なって、極に変化することを祝福します!

行う分だけ変化すると言いました。<神様と聖霊様と御子が最高に願われる形体>に自分を変化させ、みんな地球上で最高に偉大で美しく神秘的な人になることを祈ります。

 

命のしるし(私について来なさい)

[本 文] マタイによる福音書4章18-22節
ガリラヤ湖畔。一晩中、網を投げて釣りをしたけれど、魚一匹も釣れなかったペテロに、イエス様が船を貸してくれとおっしゃり、船の上に乗って、人々に神様の御言葉を伝えられました。
イエス様の説教はペテロの心を熱くさせました。説教の後、イエス様のところに進み出て告白しました。「イエス様、私は罪人です。御言葉を聞いて、人生を深く悟りました。」
その時、イエス様は「それではあの深いところに行って、網を一度投げてみなさい。」とおっしゃり、その言葉通りにしてみると、網が破れるほど魚が釣れました。
それでイエス様はペテロに「あなたは魚を釣る漁師ではなく、人間を釣る漁師になりなさい。人間を神様の懐に戻ってこさせる人になりなさい。これからは魚を釣るのを辞めて、私についてきなさい。」とおっしゃいました。
そのようにイエス様に従ったところ、かしら弟子となり、イエス様が亡くなった後、ペテロは一日に3,000人を伝道する御働きを起こしました。
このように神様はイエス様を送って命の奇跡を見せ、イエス様は弟子たちを送って命の奇跡を起こされました。
今日もイエス様は私たちに語られます。

「私はすなわち道であり、真理であり、命だから、私に従いなさい。」

 

万物は「人間の形象」を備えれば最高の作品だ。人間は「三位一体の形象」を備えてこそ最高の作品だ。

[本 文] 創世記1章26~28節

万物は、<人間の形象>にたくさん似ていれば似ているほど「最高の作品」と見なします。

それならば、初めから<人間の形象>を備えて生まれた「人間」はどうでしょうか?自身がどれほど貴重な宝なのか、悟って価値を分かって接しなければなりません。

この世で「最高の作品」は、まさに全能なる三位一体の形象と似ている人間です。

<肉体>だけではなく<心・考え・行ない・魂・霊>も「全能なる三位一体の形象」に似るならば、「最も極の作品」になります。

<三位一体に似た肉体>をもって、三位一体と共に行なって、<三位一体に似た心・考え・行ない・魂・霊>になって、最高の人生の作品に生まれ変わることを祝福します!

 

この時を分かって大きく雄大に命の御働きを起こそう

[本 文] ガラテヤ人への手紙6章9節

『わたしたちは、善を行なうことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。』

(韓国語聖書:『わたしたちは善を行なうが、落胆すべきではない。あきらめなければ、時が来て刈り取るようになる。』)
神様の歴史は「時」の歴史です。
今は、三位と主と共に生きている時であり、三位が強権的に働きかけている時代です。行なったとおりに祝福を持って行く時代であり、夢が現実に成就される時です。
神様の巨大な歴史の中に、三位と共に時を過ごしている私。
この時、私はどんな生を生きるべきでしょうか?
三位は、福音のセンセーションを起こす人たちを探しています。誰でも準備した人たちは主が使うので、挑戦してみて下さい。やればできるし、行った通りに成されるから、自信をもってやってみて下さい。時が過ぎたら、夜を迎えるようになるから、時を掴んで、勤しんで、真心を込めて、希望を持って最後まで行なうことを願います。

 

引き上げと誕生

神様、聖霊様、御子は、いつも時代ごとに預言者や、中心人物、メシアを選んで、「その人の肉体」を使って語られ、行われ、神様の御心、<神様の創造目的、引き上げの御働き>を成されます。
旧約の時は「預言者」、あるいは「中心人物」を送って、<旧約時代の御心>を成されたし、新約の時は「メシア・イエス様」を送って、その方を通して<子女圏の歴史>を成されることで、<神様の創造目的>を成されました。
引き上げとは、戦争をしていたのが、戦争をしなくなったら「平和の引き上げ」であり、自分が願っていたことが成就したことも「一つの引き上げ」です。変化、生まれ変わること、救いが「引き上げ」です。
引き上げの生は…
<心>を翻し、<生の方向>を変えて、主と一体になる瞬間、つらさ、大変さが消え去り、ただちに「引き上げの生、愛の生」を生きるようになります。
主と完全に一体となって、御言葉を聞いて行い、熱く、極で、最後まで行って、三位の前で熱く感謝して栄光を帰すことを願います。

 

頭は主だ。あなたたちは各肢体だ。引き上げの理想世界

[本 文] コリント人への第一の手紙12章25~27節
一般的に見ると、「全ての人々はみんな似たり寄ったりだ」と言います。
しかし同じ母の胎から生まれた兄弟でも、同じ家庭で一緒に暮らして同じご飯を食べても、それぞれ<考え>も違い、<行ない>も違い、各自<行なう位置>も違い、<する仕事>も違います。
各自「個性体」として存在するので、みんな自由に自分の希望をなしつつ存在します。
<三位と主に似ること>を最高の目標にして、三位と主の御言葉で自分を「主の人」に育て、そのあとは必ず各自の「個性」どおりに使命をして、より次元高く変化することを祝福します。

 

地上で解いてこそ天で解かれる

[本 文] マタイによる福音書18章18節

『よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、

あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう。』
生活してみると、こじれることが生じます。しかし私たちはこじれたことをしないで、解かれたことをしなければいけません。もちろん兄弟が間違いを起こし、こじれることがありますが、解いてあげれば神様は詰問されません。だから「お互いが解くこと」が根本の問題を解くことです。
「地でこじれたら、天でもこじれ、地で解いたら、天でも解いてあげよう!」
まずは神霊な者ではなく、肉がある者だとおっしゃいました。だから必ず地で解かなければなりません。
マタイによる福音書5章23-25節に、
「だから、祭壇に供え物をささげようとする場合、兄弟が自分に対して何かうらみをいだいていることを、そこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に残しておき、まず行ってその兄弟と和解し、それから帰ってきて、供え物をささげることにしなさい。あなたを訴える者と一緒に道を行く時には、その途中で早く仲直りをしなさい。そうしないと、その訴える者はあなたを裁判官にわたし、裁判官は下役にわたし、そして、あなたは獄に入れられるであろう。」とイエス様がおっしゃいました。
自分が解くべきことが何なのか悟って、お互いに解いて、自分の心にあるもの、肉のものもすべて解いて、天の前で願うことを成すことを祝福します。

 

行なう人は攻撃して得る

[本 文] ガラテヤ人への手紙6章9節 

「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。

たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」 

(韓国語聖書
『わたしたちは善を行なうが、落胆してはいけない。
あきらめなければ、時が来て刈り取るようになる。』)

各自行なわなければ「生活の攻撃」を受け、行なえば「生活の攻撃者」になって生きることができます。
しかし行なうことを難しく思う人たちがいます。なぜでしょうか?それだけ行なってみていないから難しく思うのです。最初はうまくできなくても最後まで行なえば、ついには「もっとよいもの」を得るようになり、植えるとおりに見え、得るようになるから、主の中で植え、刈り取って、プレゼントももらって、祝福も受けることを願います。
<自分の仕事>なのに、『自分』がやらなければ誰がやるのでしょうか?
<自分>がやらなければ『他の人』が行なって得るようになるから、誰でも<自分の仕事>においては『自分が主人』だから、行なって下さい。

誰でも願って行なうようになり、必要だから行なうようになりますが、行なってこそ「必要なところ」ができるし、行なってこそ「行なったもの」が使われます。<じっとしていて楽なこと>は「しばしだけ」で、<働いて楽なこと>は「長い間持続」し、結局は楽になります。大変でも行なえば行なった分、できるから、みんな主と共に食べ、飲み、行なって得ることを祝福します!

 

拡大して考え行なってこそ、時代を治める

[本 文] マタイによる福音書22章37節

心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。

(韓国語聖書)

『あなたの心をつくし、命をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。』
<人間の体の核>は「愛の肢体」であり、「脳」です。

しかしこれだけをもって多くのことをできるでしょうか?
<拡大した体>をもって行なってこそ「多くの働き」をし、「脳で考えたこと」を成し遂げます。
<拡大した体>をもって生活し、働き、神様の御言葉に聞き従い、心と思いと命をつくして三位と主を愛して仕え、神様と聖霊様と御子主が願うことをしながら生きることが「三位と主と愛の関係をしながら生きる生」であり「生活の中の愛の関係」です。
結局その<体>をもって「神様の御言葉」どおりに行なって、「神様の創造目的と御心」を成し遂げるから「肉は一生」享受し、「霊は永遠に」享受します。<生活の愛の関係>が<核を拡大した体>をもって行なうことであることを分かったから、みんな<生活の愛>をして、<次元>を上げていくことを祝福します。

 

心と思いと命をつくしなさい。苦労しても命の道に行きなさい。

[本 文] マタイによる福音書22章37節

 心をつくし、命をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
イエス様の前には、「両端の道」がありました。

すなわち聖書に記録されたとおり<栄光の主>、あるいは<苦難の主>でした。
その時代の人たちがイエス様を信じて受け入れれば<栄光の道>に行くし、イエス様を不信し受け入れなければ<苦難の道>に行くのでした。しかしイエス様が「栄光の主」になることは、<成功のほう>10%、<失敗のほう>90%でした。
<救い>は「救い人一人」でするのではなく、「相手」が信じて従い行なってはじめてなされます。それなのに<既存の律法を中心として神様を信じていた人たち>が既存性を捨てられずに、イエス様を不信し迫害し反対したことによって、イエス様の前の<成功のほうの栄光の道>の可能性は10~20%程度にすぎませんでした。
しかしイエス様は結局、その希薄な10%の可能性をもって結局やりとげました!
どのようにでしょうか?
イエス様が心と思いと命を尽くして最後まで行ない、本人の「体」を十字架に差し出して、罪びとたちのかわりに罪の代価を支払いました。
その「犠牲と愛の条件」で死亡に傾いた形勢を覆して、万民に<救いの道>を開いておき、<新しい歴史、新約の歴史>を広げておきました。

これからは<主>を頭にして<自分>は「体」になって、完全に「主の精神、主の思想」で武装し、苦労しても<命の道>に行くという精神を持って、心と思いと命を尽くして、人生も信仰も成功する皆さんになることを祈ります。

 

研究しなさい。認識を正しくしなさい。

[本 文]ヨハネによる福音書5章39節
『あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、
この聖書は、わたしについてあかしをするものである。』
(韓国語聖書)
『あなたたちは、聖書から永遠の命を得ると思って聖書を研究しているが、
この聖書は、わたしについてあかしをするものである。』
池にものすごい量の水が流れて入っていくのに、どうして早くいっぱいにならないでしょうか?
確認し研究した結果、隙間から水が漏れていたからでした。
これと同じく、本当に熱心にやっているのに、どうして思ったより信仰の次元が高くならないのか研究しなければなりません。
「平素の自分の行ない」がどうなのか研究し、確認してみれば、結局、自分の矛盾のせいで、自分の考えと行ないに問題があるせいで、隙間があって、そちらに水が漏れていくように、そのようにやっているのです。
神様は人間に「研究する祝福」をくださいました。
だから「脳」をくださり、「考え」るようにさせました。
それによって「次元」を上げるようになさいました。
これからは<自分の人生>も研究し、もっと開発して10倍、100倍もっと偉大に作ることを願います!

 

心の畑

[本 文] マタイによる福音書13章3-9節
イエス様は心の畑を石地の畑、固い道ばた、いばらの畑、そして肥沃な畑に分けておっしゃいました。
善なる人、義なる人、より親切な人を肥沃な畑と言いました。この肥沃な畑に真理の善なる御言葉をまくと、その人が善の世界を志向し、善良な生活をすることができ、善の実を結ぶことができます。だから心を善に、優しく作ることがそれほどにも大きいのです。
心を良く、優しくしておいてこそ、神様が働きかけられるし、神様の「善」と通じるようになります。
良い畑にまけば、300倍、400倍有益で、悪い畑、いばらの畑にまけば、苦労だけして、300倍、400倍、損します。だから性格が地道で最後まで信じ耐え忍び、誰かの言葉を聞いて疑うことなく、いつも感激し、感謝し、喜んでいかなければなりません。
みんな勤しんで石を拾って綺麗な畑にして、肥沃な畑になるように自分の性格を勤しんで作り、神様の御言葉を実践して生きることを祝福します。

 

<実体>が貴重で大事だ。 <内側>が外側より大きい。

[本 文] コリント第二の手紙4章16節
だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、
内なる人は日ごとに新しくされていく。
いくら<すごい絵の作品>でも、いくら<よく撮れた写真>でも、いくら<すごい形象の自然石>でも、それが<実体>と同じ「機能」は果たせません。それが「原存在」ではないからです。
<実体>は「原存在だから」対話もできるし、触ることもできるし、実際に存在するので、本当に大事で貴重です。
みなさんみんなは<実際に存在する実体>だから本当に大事で貴重です。信じますか?
<天地万物と全ての人間の原存在者>は「神様と聖霊様と御子」でいらっしゃいます。だから<天地万物>と<全ての人間>は「三位一体の象徴物」であり、「象徴体」です。
<原存在>でいらっしゃる「神様と聖霊様と御子」がどれほど大事で貴重なのか悟ることを願います。悟って、神様の御言葉に従って自分を作り、「原存在に似た最高に美しい象徴体」にならなければなりません!

 

一人を、一つを神にするな。公義で接しなさい。

[本 文] マタイによる福音書5章43~48節

43) 『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
44) しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

45) こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。

46) あなたがたが自分を愛する者を愛したからとて、なんの報いがあろうか。そのようなことは取税人でもするではないか。

47) 兄弟だけにあいさつをしたからとて、なんのすぐれた事をしているだろうか。そのようなことは異邦人でもしているではないか。

48) それだから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。

イザヤ書11章2~9節
2) その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。

3) 彼は主を恐れることを楽しみとし、その目の見るところによって、さばきをなさず、その耳の聞くところによって、定めをなさず、

4) 正義をもって貧しい者をさばき、公平をもって国のうちの/柔和な者のために定めをなし、その口のむちをもって国を撃ち、そのくちびるの息をもって悪しき者を殺す。

5) 正義はその腰の帯となり、忠信はその身の帯となる。
6) おおかみは小羊と共にやどり、ひょうは子やぎと共に伏し、子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、小さいわらべに導かれ、

7) 雌牛と熊とは食い物を共にし、牛の子と熊の子と共に伏し、ししは牛のようにわらを食い、

8) 乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。

9) 彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである。

<人間の体>に<肢体>は「数十個」あるのに、その中で<一つの肢体>だけに神経を使い管理をすれば?結局<その他の全体>に異常が生じ、倒れるようになります。

このように、<一人、一つ>を神と見て接すれば、弱いから、<頭>が「全体の肢体」を顧みるようにしなければなりません。

<全体>に公義で接し、行なえば、数万倍強くなって、たくさん行ない、たくさん得て、たくさん刈り取るようになります。

太陽が全大地を照らすように、雨が全大地を濡らすように、神様が義なる人にも、不義な人にも、公義でこの地上の全ての人たちに太陽と雨を与えて下さいます。

このように、皆さんの人生の全てのことにも、全体に公義で接し、順理の生を生きることを願います。

 

祈りは入力だ。 三位一体は「比喩の鏡」を使って話される。 その都度転換し、次元を上げて新しくしなさい。多様にしなさい。

[本 文] マタイによる福音書13章13節

『だから、彼らには譬で語るのである。

それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。』

マタイによる福音書13章34-35節
イエスはこれらのことをすべて、譬で群衆に語られた。譬によらないでは何事も彼らに語られなかった。これは預言者によって言われたことが、成就するためである、「わたしは口を開いて譬を語り、世の初めから隠されていることを語り出そう」。

人が何かを続けてやっていたら、初めに受けた感動も、感じも、喜びも強烈さが消えてしまいます。

だから時に従って「転換」して、新しくやらなければなりません。

<人間の生活>は東から西へ、南から北へ「変化」を与えて行ないつつ、季節のように「次元」を上げ、「方向」を変えて行なってこそ、続けてもっと感じ、興奮し、希望に満ちるものです。

神様の救い歴史も時に従って「転換」して新しくし、歴史を強烈に感じ、興奮し、喜び、行なって享受するようにしました。

人生を生きる時、<神様の御心>を中心にして「主と一体」になって多様に行なってこそ倦怠感がなく、喜びと興奮と希望で満ち溢れるようになるから、研究し、その都度転換して新しくし、次元を上げることを願います。

 

罪を悔い改めなさい。やらないことが悔い改めだ。

[本 文] ローマ人への手紙6章23節

<悔い改め>は「言葉」と「行動」ですることです。

兄弟に間違ったことがあれば、まず<兄弟>に「言葉」で自分の間違いを告げ、また「二度とそのような行為」をしないことで悔い改めなければなりません。

そうしてから<三位と主>の前で悔い改めなければなりません。

三位と主の前に罪を犯したなら、まず「言葉」で自分の罪を告げ、その時から「二度とそのような行為」をしないことで悔い改めなければなりません。

みんな<御言葉>を聞いて「自分の状態」を点検しながら毎日「悔い改め」ることを願います。

毎日悔い改めて「義人」になり、「真の新婦の生」を生きてみてください。悔い改める前と違うのを感じるでしょう。

これからは<愛している>という言葉より、<悪かった>という言葉がもっと「和睦と愛の火」を起こすということを真実に悟ることを願います。

 

責任分担を果たすことで「悪との戦い」で勝利と成功だ。

[本 文] エペソ人への手紙6章12節

わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである。

誰でも最善を尽くせば各自「自分の次元」どおりに100%勝利し成功することができます。

しかし100%やることは易しいことではありません。易しくはできませんが、やる分だけできます。

<すべきこと>を行なうにしても、「すべき時間」にしてこそ勝ちます。

<すべきこと>を行なうにしても、「熱心」で「最高の次元」でやってこそ、勝ちます。

私たちが「一日」を生きても、必要なとおりに行なって生きなければならないので、各自<すべきこと>がいろいろです。

しかし「一日は24時間」と限定されています。

だから<時間の調節、信仰の操縦>をうまくやらなければなりません。

<自分の考え、自分の行動、時間>をどのように「操縦」するかによって、人生の運命も信仰も左右されるから、このことを有能にして、「すべき時間」に従って行ないつつ勝利し成功する生を生きなければなりません。

 

私に学びなさい。(神様に学びなさい、主に学びなさい。)

[本 文] イザヤ書45章11-13節

[参考聖句]マタイによる福音書11章28-30節

<学びの世界>は、私たち人間の世界で絶対に欠かすことのできない、生に関連したことです。

生まれてから学び、死ぬ時まで学びなさいという話があります。

午前に学び、午後に使い、過ぎ去る前に学び、後の時間に使うから、学びなさいということです。

学んだ人はその分、楽に生きることができ、その分、使われ、その分、尊く価値を持っていることです。

今日の聖書の本文で神様は「 私に学びなさい。私のところに来て、将来のことを尋ねなさい。私が全てのものを創ったから、私に尋ねてみなさい。」とおっしゃいました。

パウロは「神様を知ることは絶大な価値がある。」と表現しました。

このように人間において一番大きいことは、神様について学び知ることです。

まずは学ぶことであり、2つ目に練達、3つ目に実践、4つ目に得ること、5つ目に使うこと、6つ目に甲斐を感じ、7つ目に神様に栄光を帰し、光を放つことです。その次は後世に受け継ぎ、歴史を引っ張って行くようにコーチすることです。

皆さん、神様について学ぶことを願いますか?

神様に学ぶことができるように心を空けて、神様を近くし、愛して生きる人生最大の生を生きる皆さんになることを祝福します。

 

 速い人、直す人、たくさんやる人、 義なる人、備える人が成功し、勝利する

[本 文]

イザヤ書19章1節(核心の拝読)

『見よ、主は<速い雲>に乗って、エジプトに来られる。

エジプトのもろもろの偶像は、み前に震えおののき、エジプトびとの心は彼らのうちに溶け去る。』
マタイによる福音書5章48節(核心の拝読)

『あなたがたの天の父が<完全であられる>ように、あなたがたも<完全>な者となりなさい。』


コリント人への第二の手紙9章6節(核心の拝読)
『少ししかまかない者は、少ししか刈り取らず、「豊かに」まく者は、「豊かに」刈り取ることになる。』

みんなに「成功と勝利の答え」を教えてあげたから、毎日この三つのことを覚えて暗証し、歌で歌うようにしながら速くやることを願います。

そうすれば「成功者、勝利者」になり、希望が満ち溢れるようになるでしょう。
今日は「成功と勝利に必要なもう二つのこと」を話します。

<最高に義なる人>が義の成功をし、それに該当するものを得ます。

そしてその存在世界で<備えるべきものを最高に備えた人>が最高の勝利者になり、最高のものを得ます。

人生の生活の中でも<成功と勝利>は速いこと、直すこと、たくさんやること、義なる行ないをすること、備えることで決まるから、栄え、成功し、勝利し、得るためにはこれらのことを行なうことを願います。
速くやること、直すこと、たくさんやること、義なる行ないをすること、備えること、これをやれば早速得て、その日から成功して、希望で、喜んで、三位と一つになって愛して生きるようになります。

これ以上、遅れる前に、競う前に、状況が変わる前に、この御言葉を忘れずに速く行なう皆さんになることを祝福します。

 

自由意志 しかたがある信仰としかたがない信仰

[本 文] マタイによる福音書7章21節 

わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、

ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

神様は「神様として行なうべきこと」は基本として全てしてくださいます。しかし人は「自分が行なうべきこと」は自分がやらなければなりません。

<人生を生きる公式>は同じです。

神様を信じない人たちでも自分の事業や自分の仕事をする時、絶対的に行なって熱心にやれば得るし、やらなければ得られません。

これと同じく、神様と主を信じても、ただ「一般的」に信じれば、その価値を半分程度だけ分かって、得ます。絶対的に信じて救いと引き上げの生を生きる分、価値もはっきり分かって、たくさん得ます。

神様は「人間の自由意志」なしに行なわれることはありません。各自自分が行なったとおりに、自分が神様に接したとおりに、1コドラントでもすべて報いてくださいます。
<神様の主管圏で命の御言葉を聞いて生きる生>がどれほど貴重で大事なのか悟り、この生を毎日楽しみとして、人生を投資して生きることを願います!

このことをまことに悟って、主と一体になって生きる人たちになることを切に望み、祈ります。

 

もう「実践」だけが残っている。 信仰の居眠りをせず、慎み、目を覚まして行ないなさい。

[本 文] ペテロの第一の手紙5章8節

身を慎み、目をさましていなさい。

あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを

求めて歩き回っている。

生活してみて、行なってみると、自分がどれくらい作られたか分かるようになります。

自分を作った分だけ今やっていて、それが「自分の実力」です。

学んで作っても、思ったのとは違います。

また<知っていること>は多いけれども、<実際>にはできない人がいます。

各自行なった分だけ、<自分が実践したこと>までが「自分の能力」です。

<学んだ人たち>は多いけれども、<実践者>は少ないです。

自分がどれくらい実践しているのか見て下さい。

<現在行なっていること>はそれだけ能力があるということです。

<現在できないこと>もやってのみ、100%能力を発揮できます。

やらなくてできないのであって、<現在できないこと>も、<自分が行なっていること>ぐらいだけやれば、できます!

<自分ができないこと>をよく見て下さい。

<全部できること>なのに、行なわなくてできないのです。

<自分ができないこと>もすべて「自分の生活に関すること」であり、「普通のこと」です。

その程度は「すでに行なってきたこと」だからやればできます!

<考え>が「あなたのハンドル」だから、<神の精神>をもって「神」のように飛んで行なうことを願います。

もう「実践」だけが残っています。

この記事を書いたブロガー

Luck
マスコミ勤務のB型系SEです!
摂理に出会い、人生の本当の味を見つけました。
真理を学び続けて自分づくりに励む毎日☆彡
楽しい社会人摂理ライフを描写していきます(^^♪

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