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私の目的は何ですか?

私の目的は何ですか?

こんばんは、satoです。

人はいつ苦しむのでしょうか?
なにか辛いことがあったとき?
人に悪口を言われるとき?
もちろん、それも苦しいと思います。

でも、一番苦しいのは「自分が何をしたらいいのか、分からなくなるとき」ではないでしょうか?
たとえ目の前に困難があったとしても、人に悪く言われても、目の前に「ゴールがあって、明確にそれに向かう道が見えていれば」耐えることができます。
苦しくても、その道を歩めばいいから。
しかし、もし目の前にある道が見えなくなったとしたら…果たして、その暗闇の中を人はどれくらい耐えることができるでしょうか?

私は昔、この暗闇の中をさ迷っていました。
自分がどこに向かえばいいのか?それを見失い、ただ生きているだけの生活をしていました。ただ、何をすればいいのかわからず、漠然とした生活を…。

今でも、時たま漠然とした状態になることがあります。私は何を目指しているのか?それが分からなくなるときが…。
御言葉はその答え、なのですが…こういうときは、なにか「生活とのギャップ」を感じてしまうときが多いです。
御言葉で与えられるのは「天の流れ、神様の現在考えていること」です。それをそのまま生活に当てはめることは意外と難しいです。正直みんなが教会で祈り、修道生活をすることはできないし、そうすればいいというわけでもありません。
しかし、「天の願い、心情」を自分の生活の中でどのように成すのかを考えることはできます。

今週の御言葉は「最後の機会には絶対にやらなければならない」です。
私も、色々当てはまることがあります。生活の中でも、信仰でも。論文作成なんかはその一つです。
しかし、これもただ漠然とした状態では行えません。
うまく動けないときは「明確な目標がなく、うまく行えない」ことが多いです。それで時間だけが過ぎ、心は焦り…ストレスが溜まって、もっと行えなくなる…という悪循環。
まずは心を整えること。私たちが生活の中ですべき最終目標は「自分の変化」であること。そのために論文作成があり、信仰生活があるということ。そう、あくまで大切なのは「私自身の神様との愛」です。
自分が論文作成をする上で直す必要のあることは?
論文作成を通して何を作り、変化させるのか?
この辺りを振り返りました。

最初に書いた通り、人は「何をすればいいのかわからないとき」一番苦しいです。
私が今一番すべき大切なことは「自分の変化」です。この目的を忘れて目の前にあることをしてしまうと、それに溺れて辛くなります。
だから、私たちはいつでも「自分が何をすべきか」、その目的を忘れてはいけないのです。

摂理に来て、目的が何かようやく理解しました。それは「神様との愛をなすこと」を教えてもらったから。
だから、私は摂理に来れたことに本当に感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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