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「利己的」な自分を抜け出して…

「利己的」な自分を抜け出して…

こんばんは、satoです。

ここ最近、祈りが深くできません。祈っていても、言葉が出ないことが多かったり、何を祈るかが全く思い浮かびませんでした。
それで、少し明け方の味、神様と出会う味を忘れかけていました(((^^;)

だから、明け方は起きて教会には来れるもののなんか火がつかない…御言葉で話が出てもなんかうまく受け入れられない、そんな状態が続いていました。

そうしたら、今日御言葉でこんな話が出ていました。

祈ることがないという人は自分の祈りだけでなく、教会や世界のために祈りなさい。
祈ることがないという人は利己的な人だ。

確かに、そうだなと思いました。
教会、兄弟、摂理のこと、そして神様を喜ばせる祈りをするときはとても嬉しいです。
しかし、一方で教会のために祈ろうとしても祈ることが浮かばず、言葉が出ず、火がつかないことが多いです。もがきます。

そして、それ以上に引っ掛かったのが「利己的」という言葉。それも、よくわかります。
思えば、私の生活で方針を失うのは「自分が優先されるとき」、方針がはっきりするのは「神様のことを考えて判断するとき」です。

昔から利己的な考え、判断が拭えず、そんな自分をとても冷たい、嫌な存在と感じてました。でも、今は「神様のため」に生きられるから感謝( T∀T)です。

でも、今でも要所要所で出てくる「利己的」な考えと自己保身。一つ一つ向き合って、抜き取っていきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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