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研究生活の中で感じた摂理の御言葉。

研究生活の中で感じた摂理の御言葉。

こんばんは、satoです。

ここ最近研究をしながら、色々もがきがありました。
やってもやっても、上手く行かないところがあったのです。

手計算でいくつか計算していたのですが、それが本当に正しいのかを分別することが困難だったので、思い切ってコンピューターで計算することにしたことが、事の始まりでした。
実際に計算してみると、明らかにおかしな結果になる…。先行研究の結果と合わない値が出てきたのです。

それで、今まで正しいと思っていた計算方法について考察をしていました。
「この計算は果たしてどういうことをしているのだろうか?」と。
そうしたら、私がやろうとしていたこととは異なることをしていたということが分かりました。
一見正しそうに見える結果で、正しいところも出ていたのですが、厳密には間違っていたのです。

間違った方法でやったら、やってもやっても上手く行かない。

摂理の御言葉でこのような御言葉が出ていたのですが、そのことを深く感じたのです。

ところが、話はここで終わりません。
変な結果が出たケースの場合をもう一度考察してみたら、本来の方法でもおかしな結果になるんじゃないか?という話になりました。
さすがに、これはおかしい…と歩きながらずっと考えていました。それが昨日。

ずっと考えながら、「これはおかしいですよ神様…」と言いながら、何度も何度も頭のなかで計算しました。

そうしたら、とんでもなく初歩的なことを勘違いしていたということに気づきました。これに気づいた時には

あ~~~~っ!!!!

と大声を出してしまいました。

専門用語で言うと、「非可換環の左イデアルの割り算を考えているのに、いつの間にか可換環のイデアルのような割り算になっていた」という話です。分からない人は飛ばしてください。

その後、改めてコンピュータの計算方法を考えたら、ここが見落としていたポイントだったんだ、と気付きました。
これを考慮して計算方法を正すのはまた一苦労ですが、一歩前進しました。

やっぱり自己主観って、怖いですよね。
そして、それを正すことがどれほど大変で、いいことなのかを感じました。

こんな感じで分かってから行なうことも大事ですが、分からなくても行なうことも大事です。
最初は分からなくても、やっていく中で分かることがあるからです。

また、やりたいと思って行なうことも大事ですが、やりたい!と強く思わなくても、とりあえずやってみることも大事です。
摂理の御言葉では「強い感動でなく、そよ風のような感動(『やってみようかな…』という考え)でも神様が与えたものだ」と言われています。
ひとまず、人の流れだとしても「やろうかな?」と思ったものだとしても、それが神様の感動である可能性があります。
それに従って行なうことが神様の感動に従うことであり、そうしていく中で行いたくなることもあれば、神様が責任を果たして祝福をくださることもあります。
今日はそんな経験をしました。

こんな感じで、研究の中でも摂理の御言葉を感じることがあります。
それが楽しいなと感じる今日このごろです。

ところで、その後別のアプローチで調べてみたら、最初に計算した結果の正しそうな部分は確かに出ていました。
でも、途中で気づいた意味とは違うはず…これは一体どういうことなんでしょうか?

こういう問題もまた、研究の醍醐味なのです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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