こんばんは、satoです。
今日一日を終えてブログを書こうとしてパソコンの前にいた私。しかし…いつまで経っても構想が来ない。・゚・(ノД`)・゚・。
もちろん書きたいネタは有りますが、今日はそういう感じでない…ストックもいくつかあるけど、もう少し時間が欲しい…。
何より一日を振り返ると、今日は殆ど「数学のこと」しか考えていなかった、ということに気づきました。昨日の夜、「何かを作りたい」という気持ちを漫画から別の方向にシフトしようと思ったら、突然今まで分からなかった代数空間の定義とか、グロタンディーク位相の定義に関してのひらめきがあって、それについて延々と考えていましたね…。
どうも数学のこの状態になると没頭してしまうのです。ある意味、いつまでも。
それは、漫画とかだとちょっと心に引っかかりやすいことでも、数学だと自分の専門とあってかそういう部分がなくなるところもあるのかもしれません。だからか、いつもより他のことに集中が出来ていませんでした。
しかも、この状態になると決まって、ある程度突っ込むとピタッとひらめきが止まるのです。これは要するに神様の許諾している範囲を超えてしまって、自分の力だけでやろうとしているからなのかなと思います。
神様はいつも「対話」して、一緒にやろうと思ってしてくださいます。
が、肝心の私がちょっと閃いたらそればかり考えて神様への感謝が足りなかったかな、と反省しております。・゚・(ノД`)・゚・。
とはいえ、今回の閃きのおかげで、今まで理解できなかった定義の一部が理解できてきました。この場を借りて、神様に本当に感謝します。・゚・(ノД`)・゚・。
のですが、この話をすると専門家か数学好き以外ついていけない内容になってしまうのでそれも書けず…。
ふと思ったのですが、こうやってなにもブログに書けない一日というのは、何か残念といいますか、もったいないな、ということを思います。せっかく一日あったのに神様との経緯が何もないというのは、何か残念に思います。
(この記事を書きながら、数学の勉強の反省が一つ経緯になっているな、と気付きましたが(笑))
そういえば、創世記5章は
5:1アダムの系図は次のとおりである。神が人を創造された時、神をかたどって造り、 5:2彼らを男と女とに創造された。彼らが創造された時、神は彼らを祝福して、その名をアダムと名づけられた。 5:3アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。 5:4アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。 5:5アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。5:6セツは百五歳になって、エノスを生んだ。 5:7セツはエノスを生んだ後、八百七年生きて、男子と女子を生んだ。 5:8セツの年は合わせて九百十二歳であった。そして彼は死んだ。5:9エノスは九十歳になって、カイナンを生んだ。 5:10エノスはカイナンを生んだ後、八百十五年生きて、男子と女子を生んだ。-創世記5章1-10節
というわけで、数学のことももっと神様と対話しながら楽しくやりたいなと思いました(^o^)
この記事を書いたブロガー
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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。
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