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摂理のクリスマス礼拝から「イエス様の生誕」を振り返る。

摂理のクリスマス礼拝から「イエス様の生誕」を振り返る。

イエス様の生誕、そこには大きな『誤解』があった。

こんばんは、satoです。
今日はクリスマスです。私も一日生活しながら、クリスマスを過ごしていました。といっても、特別なことはしてません。
いつものように仕事をして、いつものように数学を研究して、クリスマスなので、礼拝を捧げて(ここはいつもどおりでないか)

クリスマス礼拝ではイエス様の生誕に始まり、その生涯についての鄭明析先生の御言葉を聞きました。今日はその御言葉を振り返りたいと思います。

イエス様とは

そもそも、イエス様とは全人類の救い主、キリストと呼ばれる方です。
と言っても、どうしてそうなのかについてはしっかりと説明をしたほうが良いと思います。

イエス様はお生まれになった時から多くのしるしを起こしました。
多くの人を癒やし、目が見えない人を見えるようにし、耳が聴こえない人を聞こえるようにし、多くの人にパンを与え…。
でも、そういう「奇跡」を起こせるから、救い人だ、というわけではありません。

イエス様は生まれてから、常に神様を愛しました。そして、すべての人を愛しました。
娼婦、取税人、浮浪者…今で言うと水商売をしている人、借金取り、ホームレス…といった「社会的地位」が弱い人のそばに来られて、一緒にしてくださいました。
自分を迫害し殺そうとする人を最後まで許しました。
そして、すべての人に神様をどう愛すれば良いのか、どうやって生きれば良いのかを神様の御言葉を伝えることで、そしてその御言葉を行うことで、身を持って教えてくださいました。

特に、ユダヤ教の人々は当時神様のしもべとして厳格な律法を守りながら、多くの迫害の中「メシアが来られる」ということを希望にしながら生きていました。
そんな彼らにとって、イエス様の神様の息子として生きる生は苦しみから逃れる「最高の救い」となる…はずでした。

このように、すべての人にとって一番の問題である「自分がどのように人生を生きれば良いのか」を知らないことを解いて、神様から見て正しい生、永遠な救いに至る生を生きられるようにするから、イエス様をメシアを呼んでいるのです。

イエス様がどのように生誕され、生きてきたのか

ところで、そんなイエス様ですがどのように人生を生きてきたのでしょうか?

イエス様の生誕は…はっきり言って普通でした。
大工であるヨセフとマリアの間に、普通の人間と同じようにお生まれになりました。
産まれた場所こそロバの牧舎、飼い葉桶の中と普通ではないですが、特別な地位がある人の子どもとして生まれたわけでもありませんし、まして天から降ってきたわけでもありませんでした。

その後、東方の三賢者が星に導かれ、幼子イエス様を拝したり、天使が啓示して神様に栄光を帰すなど普通でないことは続きますが、これはイエス様がメシアであることを証するためのしるしです。

そして、ヘロデ王がイエス様を殺そうとするところを、ヨセフが夢の啓示に従いエジプトに行くことで逃れ、その後イエス様はナザレで神様の御言葉を聞きながら成長していきました。

そんな肉的に見たら「普通の人」、むしろ地位が低いくらいのイエス様を、ユダヤ教の人もその他の人もあまり注目しませんでした。むしろ、イエス様が特別なこと、御言葉を伝えたり何かしるしを起こしたりするたびに「なんでお前が!」と言ってきました。

どうしてユダヤ教の人はイエス様を迎えられなかったのか

ユダヤ教の人たちは「メシアが来る」ことを希望としていました。
それなのに、メシアとして来られたイエス様をどうして喜んで受け入れるどころか迫害したのでしょうか?

ユダヤ教の人たちはメシアが来られることを待っていましたが、その根拠は次の預言でした。

わたしはまた夜の幻のうちに見ていると、見よ、人の子のような者が、天の雲に乗ってきて、日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。-ダニエル書7章13節

エジプトについての託宣。見よ、主は速い雲に乗って、エジプトに来られる。エジプトのもろもろの偶像は、み前に震えおののき、エジプトびとの心は彼らのうちに溶け去る。 -イザヤ書19章1節

神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。その名は主、そのみ前に喜び踊れ-詩篇68篇4節

このように、メシアは雲に乗って来るということが書かれていますが、この言葉を根拠に「メシアは空から雲に乗って来る」とユダヤ教の人たちは信じていました。それで、「地上から、普通の人間として生まれた」イエス様のことは気にも止めなかったのです。

ちなみに、「地上から生まれ、普通の人として来る」という根拠の聖句もあるのです。先程引用した聖句の一つダニエル書7章13節には「人の子」、つまり人間のような子が来られると書いてありますし、

それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。-イザヤ書7章14節

こちらの聖句では「おとめがみごもって男の子が生むけど、それがメシアですよ」とも書いてあります。ちなみに、インマヌエルとは神が共にいますという意味で、神様が遣わし、神様が常に共にしていたメシア・イエス様を象徴しています。また、

しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから/わたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである。-ミカ書5章2節

と、イエス様が生まれる場所も預言していました。ところが、ユダヤ教の人はこれらの聖句は信じず、ただ「天の雲に乗って来る」ということだけを信じていたのです。

ところで、どうしてユダヤ教の人は普通の人として来られる、という預言は信じず、ただ「天の雲に乗って来られる」メシアだけを信じたのでしょうか?

ここからは私の推測も入りますが…実はこの話を突き詰めると現代のメディアや作品についてのある傾向とも重なるところがあるのです。長くなったので、これは別の記事にしたいと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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