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摂理の御言葉「予定論」と「支援」について。~「イスラム国(ISIS)」事件の最中 国民の反応は…~

摂理の御言葉「予定論」と「支援」について。~「イスラム国(ISIS)」事件の最中 国民の反応は…~

こんばんは、satoです。
ここ最近話題になっている「イスラム国」。
日本人2人が拉致され、身代金を要求し、うち一人を殺害したのち、要求を死刑囚の釈放に変え、今現在も交渉中…。現在人質となっている後藤さんがクリスチャンということもあって、周りでは無事であるように祈っている人が多いです。もちろん、私も祈っています。(私個人としては、殺害されたとされる湯川さんも「公開された映像がフェイク」だっだ、という感じで無事に帰れるように祈っています。本気で。)
この中で政府は二人が無事に解放されるために近隣国と連携をとって、交渉をしているようです。
この事件を巡って、ネット上では「二人はこのことをわかってシリアに行ったのだから自己責任だ」という意見もちらほら見られます。中には「「祈ってください」という書き込みがかえってISISを刺激して日本にテロを仕掛けるかもしれないから、そういうのやめろ」という人もいます。ISISはネット、特にTwitterを活用して活動しているため、こういう心配をする気持ちもわからなくはないです。
ところで、「わかっていてやったのだから、そのつけは自分で払え」という「自己責任論」は果たして本当に正しいのでしょうか?
「自己責任論」が与える私たちの暮らしへの影響 ―社会保障・生活保護を中心に―
こちらの記事にはこの事件と生活保護について絡めて「自己責任」についての話が出ています。正直、二つの問題が同一に扱えるのかは疑問ですが…。
でも、私も「困っている人はすべて助ける」という方針には賛成です。その方法はもっと考えなければならないにしても…。
摂理の御言葉に「予定論」というものがあります。
核心的には「すべてのことには神様があらかじめ予定した要素と人間が果たすべき責任分担の要素があり、その二つが共に成されてこそ成就する」というものです。
これに照らし合わせると、二人の渡航は自分自身が決定したことであり、確かに自己責任の問題はあると思います。しかし、それと「その二人を助けるか」は別の問題にあると私は思います。
神様は「すべての人を救いたい」と願っています。しかしながら、先程書いたように「すべてのことには神様の責任と人間の責任がある」ので、神様がなにもなしに動くことができません。では、人間が果たすべき責任はなにか?
「神様に助けを求めること」です。
人が助けを求める。
そうするならば、神様はその人を愛するので、必ず助けられます。ただし、助けるときにも人間がそれに従う責任を果たさないといけないのですが。。
だから、私は祈るのです。
その人ができなくても、誰かが祈れば、神様はその人の願いに答えて必ず動かれるからです。
政府には労力、資金、様々なところに限界があります。しかし、神様にはその限界がありません。そして、その人を愛しておられます。だから…神様はなんのためらいもなく、嫌がることもせずに動かれます。
祈りの力、神様の全能さを信じるから、私は祈ります。
…もちろん、助けられたあとに感謝して、間違ったことを正して生きることはしないとですけど。それはある意味礼儀、ですよね。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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