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摂理人と聖書の歴史。「愛の章」

おはようございます、satoです。
今日は「聖書の聖句」について話をしたいと思います。
摂理に来ると、聖書をたくさん読むようになるのですが、それは鄭明析先生が今の御言葉を「聖書を3000回読む」中で悟ってきたからなのです。
鄭明析先生が摂理で伝える御言葉、その多くが膨大な「聖書の歴史」を背景として伝えられたものなんです。
だから、聖書をたくさん読んで知識や実感を得られた時に、鄭明析先生の御言葉ももっと深く悟るようになります。そういうわけで摂理人は聖書をたくさん読みます。40日間に3読したって人もいました!(@_@;)一体どうやって読むんだ…?
私が一度「クリスマスまでに一読しよう!!」と思って1日100ページ(!?)という超絶なハイペースで呼んでいた時期がありましたが、あまりに合わなさすぎたのか挫折…(ーー;)でも、40日に3読ってそれ以上ですよね。一体どれだけ…?
あ、でも。私も一時期聖書を読むことに集中していた時期があってそのときは聖書を一読していましたよ。確か1日30ページくらいだっただろうか…。バイト先に行くまでに聖書をずっと読んでいたのでした。それで、確かに摂理の御言葉が深く聞けて、いろいろ深く悟れました。
(書いてて気づいたのですが、私「やるときはひたすらそれをやる」という傾向にあるためにやるときは極的にやるのですが、それが長続きしないという…。ほどほどに続ける、ということにも挑戦しないとですね。)
私がはじめて聖書と出会ったのは、意外にも実家。
親が教会に遊びに行っていたために口語訳聖書が置いてあったのです。
「置いてあるものにはとりあえず手を出す」私は辞典かと思って読んで、というよりパラパラめくっていました。頭には深く入っていないうえに、読んだままほったらかしにしたためにぼろぼろになってしまった…クイアラタメマス(ーー;)
その後も漫画との関係で聖書の内容に興味を持って聖書の絵が集められた本を呼んでいたこともあったり。
もっとも興味を持ったのは「世界中を覆う洪水」とか「十字架」とかいわゆる「マンガ的」要素でしたが(ーー;)でも、これがきっかけで摂理の御言葉を聞くようになったのだから、これはこれで…。
そして、私が本当の意味で聖書と向き合ったのもこれまたマンガがきっかけ。
とあるゲーム-これは私が摂理に来る前に一番感動した内容で、今でも心に残っているものです-について、その真実を知りたくて色々調べているうちに、次の聖句が目に入りました。
コリント人への第一の手紙13章4-7節
愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
摂理に来て聞いたところによると、コリント人への第一の手紙13章はその名を「愛の章」というのだとか。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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