摂理で捨てること、作ること。


こんばんは、satoです。
摂理にいると色々なことができなくなります。御言葉ではっきりこれをしてはいけない、と出てくるからです。
その中にはお金や名誉、お酒、タバコ、異性との交遊…と世の中ではある程度やめた方がいいと認められているものもあるし、自分の考えとか性格、悪い習慣とか見えないものもあります。
でも、例えば「世の中の音楽を聞いてはいけない」とか「漫画を読んではいけない」というような一見「どうしてそこまで?」というものもあります。
これは脳が「見たもの、聞いたものに左右される」からです。
見たもの、聞いたものによって考えが作られ、行動するのが人間。だからより良い考えを入れることが大事なのです。
…とは言え、世の中の音楽とか漫画とかってすべてが悪いものでもないし、人々からすれば「いい」と思うものもあると思います。その違いとはなんでしょう?
御言葉の根本は「御子を愛しなさい」。
つまりこの御言葉は根本である「愛」を作るための言葉だ、ということです。
だから、世の中の言葉で御言葉と同じことが言われていたとしても、この「愛」に関することだけは絶対にないんです。そして、「愛」を作ることこそが「私たちの生まれた意味」とも言えるのです。
その基準に立って判断すれば、自ずと切るべきものが見えるはず。もちろん捨てるまでにもがきはありますが、愛で行うならば…必ずそれは無駄にはなりません。
摂理人もみんなそこに苦労しています。切るべきものを切ること。これは…簡単ではないことです。
それでも摂理人が頑張れるのは一概に「神様の愛」を感じているからなのだと思います。

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「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代まであと一歩。数学者を志す大学院生で、教育系の仕事もしています。 軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。