satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

現実に安住すると、心が苦しくなる。

現実に安住すると、心が苦しくなる。

おはようございます、satoです。

本日は比較的心の調子が良かった一日でした。起きたときもやる気が出ていたし、一日のプログラムに沿えて行えていました。自分がすべきことが一つあったのですが、それも集中して一通り終えることができました。

研究も、最近教授から新たに出された論文を読んでいて、わからないところがあったのでそのことについて調べていました。そうしてヒントが少しずつ見えてきました。ひさびさに数学を通して神様と対話している感覚を取り戻しつつあります。

でも、ですね。

なにか、欠けている感じがしたのです。確かにうまくできている、神様の愛を感じる、嬉しい、そういう感覚はありましたが、なにか抜け落ちていることがある感じがしたのです。

感謝してないな、とは感じていました。しかし、なぜか感謝する心がわきませんでした。まるで空を掴むような…心が希釈されているような…

愛が冷めている、という感じがしました。だけど、なぜか祈っても感覚が戻りませんでした。なにか冷えてしまう、そんな要素が残っている、そんな感じが心にずしんと残っている、そんな感覚。

その答えは、最後に皆で食事をしたときに分かりました。私は

外の人の言葉に、負けてしまっていたのでした。

自分の中で「自分が神様に愛されている」ということを、きちんと言葉で説明できていませんでした。自分の中に「摂理の御言葉がどうしていいのか」をうまく説明できていませんでした。神様を信じていない人に、神様がどうしているのか、神様がどうして愛しているのか、それをまだ自分が説明できるくらい考えきれていない、ということに気づきました。

「真理に堅く立つ」

このことが自分はできていない、とは思っていたのですが、それがどういうことなのか今までよく分かっていませんでした。だから、御言葉を読んでもなにも答えがありませんでした。問題が、はっきりしていなかったから。

心のどこかで「愛されている」ということに満足していた自分がいました。だから、目標がなくて(厳密にはちゃんとあるのですが、現実でしていることと結び付いていなかった)ぼんやりと過ごしていました。それが「心が希釈されているような」感覚であり「愛が冷える」ものが残っている、という感覚の正体でした。

もっと、考えないと。

神様に愛され、摂理に来れた私が、どのように神様にお返しできるのかを。

今一度自分と向き合う機会と答えを与えてくださったことに感謝します。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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