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私って、「使えない」?

私って、「使えない」?

おはようございます、satoです。

本日はちょっといつもと違うところでバイトをしていました。
久々の工場バイトです(^o^)工場でバイトをするのは4年前に一時期続けていて以来です。
私は同じことを繰り返すことについては得意(ただし退屈する…)なので、工場バイトはある意味で合っています。
しかし、その一方で耳からの聞き取りが苦手だったり、枠組みがない中で取り組まないといけないこともあって苦手な分野でもあります(ノД`)

で、このバイトをしながらふと過去のことを思い出しました。

私は使えないという言葉が、ちょっと苦手です。
この言葉を言われるとき、大抵自分が失敗しているのですが…その時に「お前は使えない…」みたいに言われることが正直辛かったです。

その根本の原因は、自分の価値を「人」に委ねていたから。
人が「使えない」というなら、自分はその程度の「必要とされない」存在なのだ…って考えが来ていました。
私は長いこと、人に好かれることが自分の存在理由となっていました。
言い換えると、人に嫌われ、利用価値がなくなれば「自分の存在価値」が失われたように感じました。

だから、失敗することが怖かったです。
失敗したら「見捨てられるのではないか」、その人に見捨てられたら私はおしまいだ…
なんて思っていました。

このことを思い出したのは、久々にこのセリフを言われたからです(笑)
工場バイトって初めてでも「作業工程」を(教えられるでもなく)覚えていないといけないので、聞き取りが苦手、「枠がない」状態での状況把握が苦手な私にはかなり負担の掛かる要素があります。まぁ、初めての場所だったのでこうなったのであって、繰り返しすれば学習するのは速いのでむしろうまくできるのですが(ノД`)
そういうわけで、終盤の忙しい時にはずみで言われたのです。

私がこのセリフ、あるいはこれに近いセリフを言われた時の反応は「もう嫌だ…」という絶望感と「なんでこういうこというのかな、こっちにはこっちの…」という怒りの2つでした。今までは。
ただ、今日はこれまでとは全く違う反応が出てきました。

「…まぁ、言われても仕方ないか、失敗したし。
私は聖三位の大切な愛の対象、天にとっては貴重な存在ですからね…

そう、私は今まで「失敗したら自分に価値がない」と感じていたのですが。
聖三位が愛してくださっているという私の価値を初めて実感したのでした。

私を愛してくださっている聖三位。私のためにすべてを投資した聖三位。
その聖三位の愛が、いつしか私に積もっていたのです。
それが、私の心を暖め、私の価値を、生きている価値を感じさせてくれたのです。

そう、何が出来なくても。
うまくいかないことがあっても。
誰かに嫌われても。
聖三位が私を必要としてくださるのなら、他には何も要らないのです。

…なんて、心から告白できるのにも時間が掛かりました。
自分ができなければ見捨てられるって考えが強すぎて、なかなか変わらなかったものですから。
正直、今でも言葉の傷はありますよ(ノД`)

でも。
私の存在の理由、存在の価値に立ち帰れる場所が出来たこと、それが大きいです。
私の帰る場所となってくださる聖三位に感謝します。

すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。-マタイによる福音書11章28節

というか、むしろ聖三位の心を慰めたいです!
だって、神様の貴重な創造物、大切な存在を使えないなんて言われたら傷つきますよね…。
よし、明日はもっと神様と近づいて、神様に栄光を帰します~(*˘︶˘*).。.:*

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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