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愚痴ラーから祈ラーになって、来た答え

愚痴ラーから祈ラーになって、来た答え

おはようございます、satoです。

極的に難しい状況下に置かれた仕事の話を今週ずっと書いていました。
この極的に難しい状況を端的にいうと「子供たちが自分の言うことに耳を傾けなくなり始めた」というところです。
これについて詳しく話すと

子供たちに「しっかりと聞かせなければならない」と考え、寝ている子やそっぽを向く子に注意するが通じない。

「自分の指導能力が悪いから…」とあれこれ考え、スルーしても問題ないレベルのことにも突っ込んでしまう。

さらに悪循環…

という状態が続いていて、ついに臨界状態に達した、というわけです。
で、この状態や自分に対する姿勢を見て自尊心が傷ついたのか、フラストレーションがかなり溜まっていました。

ところで、私はこういう状態になると「言葉にすることなくずっと溜め込む」タイプです。
誰かに愚痴をこぼす、ということもあまりしません。というか、できません。(無自覚のうちにしている可能性はありますが…)
そのため、結構な確率でフリーズを起こしたり、無気力に陥ります。

こういう時、私は摂理ブロガーの記事を通してヒントをもらうことがあります。
誰かの実践談なので結構読みやすいんですよね、摂理のブログって。それでいて、御言葉に沿っているのでとても良いヒントになります。
この時浮かんだのは

愚痴ラーは祈らないからもったいない!@摂理の彩り

のこの言葉。

愚痴ラーになる前に、祈ラーになってみることだ。
神様に嫌だったことや辛かったこと、疑問に思ったことをチクってみると、結構素敵なやり方で祈りに応えてくださる。

ちなみに、今日のタイトルに出てくる「愚痴ラー」「祈ラー」はここから引用しています。(私は人に愚痴を言わないので愚痴ラーではない気もしないではないが(笑))
ラー、というのはマヨラーとかのラーなんだろうか…というのはさておき。

この「愚痴を話すより、そのことを神様に告げると応えられる」ということを思い出して、私も仕事であったこと(子供たちが言うことを聞いてくれないこと、それで仕事がうまくいかないこと、自分の指導能力が低いこと、それでフラストレーションが溜まっていること…)を次々に告げました。若干愚痴っぽくなってしまいましたが(^_^;)

そうしたら、色々な考えの転換がされました。

・言うことを聞かない子供たちもいるが、同時にしっかり話を聞いている子供もいる。
どうしても「言うことを聞かない子」に目がいき、力を落としてしまうが、「話を聞く子」のことをもっと見てあげて、それで力を受けなさい。

・自分が指導能力が低いのは事実。そもそも経験が足りないし、情報も足りない。だが、それと子供たちの態度の問題は別である。
たとえ足りない人がいたとしても、そのように人を見下す、軽んじる態度にさせてはいけない。

そして、そのままどうしたらいいのか尋ねたところ、このような感動が来ました。

「私に任せなさい。」

…とても熱い感動でした。

このことに最初、私は躊躇しました。
この問題は自分と子供たちの問題である、という考えがあって、そこに神様が介入するのは…と思ったからです。しかし、それを告げたところ

「そうではない。私はあなたを通してその職場で成したい御心(神様の計画)がある。
それとも、この御心をあなたの問題、と考え邪魔をするのか?」

と言われました。
そう言われたなら、私も従う他ありません。私の足りなさで働くというより「私を通して御心を成す」というのですから、私は邪魔をしてはいけません…(^_^;)

それと同時に、様々な深い悟りを得ました。
さすがにここに全てを書くのは難しいのですが…。ただ、

空港で受けた屈辱、主の心情@摂理女性Lunaのハッピーフライト♡

で書かれていたような心情を受けた、ということは記録しておきます。

以上、ここまでが昨日祈って起きた「認識の転換」でした。ここだけでも本当に感謝なのですが…次の日、すなわち今日。
神様が「私に任せなさい」とおっしゃったように、かつてないほど強力な助けを受けてこの極的状況を解決できる術を与えてくださいました。
これは次回証をしたいと思います☆

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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