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神様の助けは後から分かる

ハレルヤ。

少し落ち込み気味のKokoroです。

というのも、Kokoroの心の汚さと向き合うしかない出来事があり落胆しております。

このブログでわりかし顕にしていたというか

思いっきり愚痴ってましたが

繁忙期中の繁忙期、超ピークの時、あまりにも辛すぎた時のことです。

仕事をどんどんふってきて雑用みたいなことばかりさせられて

自分の本来すべき仕事が全然進まなくて

「仕事をこんなにふってくる上司が悪い!

このくらいの雑用自分でやれやぁぁぁ」と

喚き立てていました。

不平不満ばかり言っていたし、何より決起爆発させていました。内心。

最近、繁忙期のピークは過ぎ、自分の山場は越えたので

私はだいぶ仕事が落ち着いてきました。

まだ少しバタバタしてますが。

そんなこんなの今日、朝、上司に呼び出されました。

何だろうと思いきや、

仕事をたくさんふられて大変だということを

私が部長に相談してた話が上司に行ったようで

そのことに関するお話でした。

別に怒られたわけではなく、むしろ部長の言っていることと

私が部長にその話をした意向が合っているかどうかの確認でした。

実際話してみると、私が本来部長に伝えようとしていた内容と

上司に伝わっている話が微妙にズレていました。

「うわぁ、確認してくださって良かったぁ」と思うと同時に

私を信頼して、部長への話をただの〈新人の文句(愚痴)〉として受け止めず

その本意を聞こうとしてくださった上司の人格に感動したし、ありがたく思いました。

業務内容に関わることなので詳しくは書けませんが

上司の話をよくよく聞いてみると

私が恨んで血気爆発させていたその状況は

むしろ、私を想って

私がもっと悪い状況にならないように考えてくださった上での、

最善の状況でした。

とても恥ずかしくなりました。

恨んで血気を出し、不平不満とストレスの対象だと思っていた上司のやり方は

むしろ私をもっと悪くなる状況

もっと残業することを避けるための状況

充分に、私を配慮してくれていた上でのやり方だと分かったからです。

自分のことしか見えていなくて

目先のことしか見えていなくて

視野が狭い自分。

上司が悪いと思って、今の仕事のやり方がおかしいと思って

愚痴愚痴言っていたこと

文句、でもあったのに、文句として受け取らなかった上司の人格。

御言葉を聞いて、神様の愛を学んでいるはずの自分が

あまりにも小さくて、幼くて、本当に恥ずかしくなりした。

たしかにその時はいっぱいいっぱいでした。

他のチームの人にも言われるくらいなので、改善すべき部分があるのは事実だと思います。

また、元々責任感が強いため、頼まれたらかなりプレッシャーに感じてストレスを溜めてしまったり

焦る性格もあるので締め切りギリギリになるのが恐ろしくてそれもストレスになってしまったり

元々キャパが小さいから、

自分の中では限界だった、というのは事実です。

しかし後から落ち着いて、振り返ってみると

神様があらゆる手を尽くして

私をその状況の中で一番良い道に行けるように

すべてを手配してくださっていたということを

知るようになりました。

その時は全く気づきませんでした。

神様の愛はどれだけ深いのでしょう。

「しかしネコは彼に使者をつかわして言った、「ユダの王よ、われわれはお互に何のあずかるところがありますか。わたしはきょう、あなたを攻めようとして来たのではありません。わたしの敵の家を攻めようとして来たのです。神がわたしに命じて急がせています。わたしと共におられる神に逆らうことをやめなさい。そうしないと、神はあなたを滅ぼされるでしょう」。 しかしヨシヤは引き返すことを好まず、かえって彼と戦うために、姿を変え、神の口から出たネコの言葉を聞きいれず、行ってメギドの谷で戦ったが、 射手の者どもがヨシヤを射あてたので、王はその家来たちに、「わたしを助け出せ。わたしはひどく傷ついた」と言った。」

歴代誌下 35:21-23

まるで、神様が使っていると知らずに

ネコ王に反対し、命を落としたヨシヤ王のよう。

無知の中で、神様がしていらっしゃったことに対して文句を言い、戦おうとしていました。

神様を愛すること主を愛することには成功したとしても神様を愛する人を愛してこそ主が愛する人を愛してこそ愛の成功をなすということです。もし神様だけを愛して神様が愛する人を愛さなければ失敗する。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

神様が愛する人。つまり、全人類。

すべての人を愛することは

本当に神様の心と考えを抱かないと不可能だと

痛感させられた経緯になりました。

私のことをたくさん考えてくださり

気にかけてくださり

なるべく害を受けないように守ろうとしてくださっていた上司に対し

誤解して、恨んで、怒って。

自分自身のことが本当に恥ずかしくなりました。

神様の心を抱けるようになりたいし

神様の考えで、自分では到底愛せないような人も

愛せるようになりたい。

切実に祈り、涙でボロボロと悔い改めました。

祈る中で感動があったのは

自分が神様の愛に対して分かっていないこと

その原因は、自分が自分を一番愛せないからだ

ということでした。

どういうことだろうと思い考え直してみたら

無知だった自分、上司に対して悪く考えていた自分を

無意識のうちにたくさん責めて、虐めていました。

いつも辿り着くところはここか(^^;; と

自分を責めまくるKokoroは思いました。

自分が自分を虐めて責めることを

大したことじゃない、正しいことだ、直したくない!

心のどこかでそう思っているんだろうなぁ。

ところが神様からしたら、私が小さく思っているこの部分が大問題なようですね。

価値と根本を悟らなければなりません。

全知全能なる神様が人間を愛する。愛したら、もう死んでしまいます。あまりにも大きい、そういう愛を持っていらっしゃる神様です。それを神様が降り注いでくださいます。「死んでも構わない」と言って愛を注ぎます。降り注ぎます。想像を超える愛を与えて下さいます。
しかし、それを受ける人が、心が狭い、考えが狭かったら手に負えません。

だから、早く成長しなければなりません。

鄭明析牧師の御言葉より抜粋

自分の価値。

「神様が愛してくださっている自分」を

正しく見て愛せるように。

自分自身のことを一番分かっていそうで分かっていない自分のことを

たくさん分析して研究して分かってあげて

愛せる努力を。

2018年、最後の残り一ヶ月の目標にして

来年からは、飛翔の年にしたいなぁと

切実に切実に、真実に願います。

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