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私の病気を治してくださった鄭明析牧師

私の病気を治してくださった鄭明析牧師

皆さんこんにちは☆Yoです^^

今日は、私の尊敬する人生の師である鄭明析牧師への感謝をこめて、記事を書かせて頂けたらと思います。

私は、子どもの頃から人見知りの性格が有りながら、人から良くしてもらいたいという人の目を気にする性格が無意識のうちに育ってしまっていました。

果物の木で譬えるならば、腐れかけた実をそのままにし続けて、実から枝、さらには幹まで悪影響が出て、その木は死んでしまっているような状態でした。無意識のうちに育ってしまった病的なレベルでした。

このような人の目を気にして良く見せようとする性格があったため、自分ができないことも無理して土壇場でやってしまうという良くない習慣が、小学校高学年の頃にはついてしまっていました。

 

この性格、もっていると結構つらいんです。

自分で自分の首を絞めるようなことになってしまうんです。

でも、周りの人の関心を惹きたいから、無理してでもやってしまう。

自分がつらい思いをしながらも、やめられない性格に、自分自身につらさを感じていました。

 

そんなこんなで成長期をすごし、大学生になったYoは、聖書を通して考えの転換をさせられるようになります。

もちろん、聖書だけではなくて、様々な自己啓発本やHowto本、偉人の名言などを読み漁り、何とか自分の問題を解決したいと一人奮闘していました。

しかし、どんな本を読んでも何をしても自分だけの力では解決できませんでした。

それで、いきあたったのが聖書でした。

 

聖書は、過去に一度も読んだことは無かったのですが、自分が知らないからと言って読まず嫌いでいるのも、頭が固い理由だなと考えて、ひとまず読んでみるようにしてみました。

そうしたら、聖書に、自分の問題を解くヒントがありました。

 

そして、その聖書の御言葉を実践されている鄭明析牧師の姿を見させていただいた時、自分が20年以上解決できなかった問題が、解決できるようになりました。

 

それでは、どのような聖書の言葉だったのか、お伝えします。

『しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」』

(旧約聖書:サムエル記16章7節)

 

はい、わたしたち人間は外見や肩書をまずは見てしまうと思いますし、自分も外見や肩書に捕らわれながら生きてきていました。

しかし、神様は人間とは違い、外見ではなく、まずは心の中心を見られる方だ。ということをわかりました。すなわち、人の目も、肩書も気にすることなく、自分自身の心が正しく作られることが大切だと言う意味でした。

そして、この言葉を実践されていたのが、鄭明析牧師でした。

 

一番びっくりしたのは、鄭明析牧師が神様に対して熱烈に賛美を捧げているところを見させていただいた時です。

 

その時、鄭明析牧師は、曲の音程は気にすることなく、心のままに、自由にまた感動的に、首の血管が浮き出る程に思いっきり賛美を捧げられていました。そして、その歌がとても感動を覚えて、震える感覚が伝わって来ました。

歌のうまい下手は関係なく、熱烈に心を捧げられている鄭明析牧師の姿に、私は『あぁ、人は外見ではなく、心が大切なんだなぁ。外見を取り繕って無理する必要はないんだなぁ』と、讃美を歌われる姿に感動を覚えました。

 

そして、徐々にではありますが、人目を気にする自分の良くない性格が、治るようになりました。今は、まずは心を大切に、そして、外見も自然により良くできるように生活できるようになりました。

 

私の治らなかった性格を治してくださったことを感謝します☆

 

 

 

 

 

この記事を書いたブロガー

Yo
長崎県長崎市出身。幼い頃から海と山に囲まれて育つ。仕事で長崎と東京を往復する日々が続き、2016年10月から東京メインに仕事をしている。ハマっているものは梅干しと味噌とヨーグルト。健康&美味しいもの探しが大好き☆

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