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あれ?もしかして行っちゃった?

あれ?もしかして行っちゃった?

先週の月曜日、事件は起きました。

 

事件発生

わたしが、数日分のゴミを収集日に出そうとしました。

サァ、ゴミを持っていざ出陣!

と勇ましくゴミ収集場へ向かいました。

右手にはゴミ袋です。

向かってみたところ、いつもと様子が違いました。

(あれ?ゴミないなぁ・・・)

瞬間、頭によぎりました。

(あ、これ行っちゃった?)

 

まさしく、ゴミ収集車が綺麗さっぱりゴミを持って行ってしまったようです。

即座に、周りを見渡しました。

すると、通りの反対側にまだゴミが積まれているのが視界に飛び込んできました。

(あ、もしかして、まだ収集されていないかな?)

 

ボーゼンと立ち尽くすわたし

近くにビルの清掃会社のスタッフさんがいたので、即座に話しかけました。

「すみません。もうゴミ持って行ってしまいましたよね?」

右手には詰まったゴミ袋を持ってボーゼンと立ち尽くしているわたし。

そして間髪入れずにスタッフさんからの返答はこうでした。

「それ、わたしが持って行きますから置いておいてください。」

(え!?わたしが間に合わなくて遅れたゴミなのに、持って行ってくれるの?)

わたしはびっくりしました。そんな人がいるんだと。

ここはお言葉に甘えて、お願いしました。

手元からはゴミ袋が消え去りました。

 

安堵の先に

一件落着で安堵して家に戻ったのですが、

もしも、あの時、スタッフさんがいなかったらどうなっていたのだろう?と頭によぎりました。

「ゴミを捨てられず、溜まったゴミとともに再び数日間生活しないといけない(涙)」

という状況に陥っていたと思います。

またゴミと暮らすなんて正直苦痛です。

だから、間髪入れずに「持って行きますよ」と返答していただいたスタッフさんに感謝します。

そして、キリストが同じようなことをしてくださっているんだと、心に強く浮かんできました。

 

キリストの姿を感じる

私たちの生活の中から出てくる様々なゴミのような罪、たまりにたまって、さぁ捨てるぞと言っても、時が過ぎてしまえば、自分では持って行き先がありません。

ゴミのような罪を背負って、どうしたらいいのだろうと辺りをウロウロしながら、自分ではどうしようもなくてそのままへたり込みます。

そして、また時になるのを待つしかありません。

「誰かわたしのゴミのような罪を持って行ってくれませんか?」

誰も持って行ってくれないでしょう。

ゴミのような罪を持って行っても焼却する術も方法も力も無いからです。

ただキリストだけが、ゴミを持って行ってくださることができる、つまり、罪を許すことができると、聖書には書かれてあります。

しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。
(ルカによる福音書5章24節)

自分のすぐ隣で、他の誰でもなく、ただわたしのために、何も言わずにキリストが罪を背負い、罪を取り除いて楽にしてくださっているんです。

このようなことが、胸に衝撃的に響いてきました。

自分のために犠牲になってくださっているキリストの愛に気づいて、ゴミ収集車が来る時を守るように自分の時を守り、罪を犯さないようにしながら最大限ちゃんとした生活をしようと、改めて決心しました。

それにしても、ヒヤヒヤな一瞬でした(笑)

 

 

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