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クリスマスに思う 自分にとってのキリストってどんな存在?

クリスマスに思う 自分にとってのキリストってどんな存在?

どーも、Luckです!

クリスマスも近づいてきましたね。

ご存知の通り、クリスマスはイエス・キリストの誕生日です。

全世界のクリスチャンおよび、摂理の人たちはキリストの生誕をどのようにお祝いしようか、わくわくしながらプランを立てていることと思います。

 

 

キリストの存在

私の教会でもキリスト生誕のお祝い準備をしております。

出し物を披露する場面があるのですが、演技上のやり取りの中でこんな質問をされます。

Luckさんにとって一言でいうとキリストってどんな存在ですか?

皆さんは考えたことありますか?

 

 

自分にとって救い主ってどんな存在なのか、簡単な質問なようで言葉にしようとすると意外と難しいものです。

改めて自分にとってのキリストの存在について考えました。

永遠に愛する人?

命の恩人?

霊肉を引き上げさせてくれる人?

いろんなことを考えてみましたが、全て合ってるんですけど一言で表そうとすると、なんかしっくり来ませんでした。

 

 

それに聖書を学んでおらず知識のないような人にも分かりやすいように表現するためにはどうすればいいのかというのも考えたのでしばらく悩みました。

そして、ついにこの質問に答える回答が見つかったのです。

それが、

キリストは私の人生そのもの

だということ。

 

 

摂理に出会うまで、つまり聖書を学び始めるまでにあった経緯を回想してみたところ、この回答結果にたどりつきました。

 

 

人生を良く生きたいと思っていた高校時代

高校生時代のこと。

野球部だった私は、顧問の先生から毎月1冊は自己啓発本を完読しなさいという指令が出されていました。

読書を勧められたのは、野球を通して人格を磨くという方針の元で指導を受けていたので、過去の偉人の本やビジネス本を読むことで徳を高めるということに力を入れていたためです。

2年生の9月から始まった読書習慣だったので、引退するまでには10冊くらいは読んだと思います。

一般の人だったらもっと読めているとは思いますが、強烈な部活をしながらの読書だったので、これぐらいしか読めませんでした。

 

 

一冊の本が出来事の始まり

その中でも印象に残った本は、松下幸之助の本でした。

松下幸之助は松下電器の創業者であり、後のパナソニックとなる電機メーカーです。

本のタイトルは忘れましたが、内容はとても実践しやすいものだったので覚えています。

その中でも私が実践しようと思ったことが「人に与える」という実践。

 

 

パンを与えるという実践

「人に与える」という行動は自分も幸せになる行動だと書いていました。

自分の良心に聞いてみてもこの理論は確かそうだなという感覚がしたので実践してみることにしたのです。

高校生の時から漠然と良く生きたいという思いがあったので、これを続けていたら本当の人格者になれると信じて止みませんでした。

 

 

高校には購買があったのですが、そこには岩手県にしか売っていないフクダパンっていう巷では有名なパンがあるんですね。

この美味しさを語りだしたら止まらないのでここでは割愛します。

岩手に帰省した際にはフクダパンについてのご当地記事を書く予定ですので、ぜひご愛読くださいませ( *´艸`)

 

 

私はこのフクダパンを友達に無償で与えようと思いました。

クラスの友達に何もない時に「今日はおごるよ!」と言って、一緒に購買へ行きました。

おごると言った時には「マジで!サンキュ!」みたいな感じで友達もノリノリだったのです

 

 

友達の不思議そうに思う眼差し

いざ購買でフクダパンをおごってあげたら、感謝はしてくれましたが、次第に申し訳なさそうな雰囲気を出して、なぜいきなりおごるようになったのか不思議そうに思う目で私を見てきました。

友達の不思議そうな心を解くために、本を読んで与える実践をしたかった胸中を話したのですが、不思議そうに見つめる眼差しは変わりません。

そして、教室に戻ると友達が私におごってもらったパンをクラスの人に見せながら「Luckにおごってもらった」という話を広めました。

 

 

すると、「なんでおごったの?」という質問がたくさん来るわけです。

おごるようになった経緯を話すために本の紹介をしながら、質問が来るたびに答えていったのですが、その答えを聞いて「へ~、やるじゃん!」みたいな反応で感心する人もいれば、「バカだな~(笑)」みたいな若干、嘲笑する人もいました。

この様々な反応を見て、考えにふけった思い出は今でも忘れられません。

人によってはいきなりおごる行為は確かにおかしく見えるかもしれません。

だけど、自分としては良い行いだと確信して行動しているわけです。

しかし、自分で思っている良い行動に対して意見が分かれるのはなぜか?

 

 

良い生き方の基準が人によって異なる

この出来事を通して一つの教訓があります。

良い行い、つまり、良い生き方というものは人それぞれの考え方の基準があるのだと感じるようになりました。

このことに気付いた少年Luckは、自分が考えている良い生き方って、世の中の称賛に値するものなのかと悩むようになりました。

どうせ、人それぞれの基準があるから、自分の基準で良い生き方をすればいいじゃん!みたいな考えも一瞬浮かびましたが、私の良心がそれを許さなかったのです。

それも独りよがりの人生になる感じがしたので。。。

 

 

キリストとの出会い

このような体験をして、大学へ進学し、聖書を学ぶようになったわけですが、聖書の教えは正しいと確信するようになりました。

それに、イエス様の生涯が書かれてある福音書を読んでいると、心底、その方の生きざまがかっこいいという思いにもなり、自分の目指すべき人生の生き方はこれだ!と思うようになったのです。

それからというもの、悩みが生じた時や人生の壁にぶつかった時は必ず「キリストならどうするんだろう?」と、メシヤの考えや行動を連想して様々に問題を解決してきました。

そうして、今までの人生を構築してきたのです。

 

 

こういう経緯を振り返りながら、本質的な質問に対する回答を詰めていき、キリストは私の人生そのものという答えにたどり着きました。

より深く自分にとってのキリストの存在を考えることによって、格段と愛が深まりました。

私は皆さんに質問したいです。

 

 

あなたにとってのキリストはどんな存在ですか?

 

 

今日のひとこと

自分で理解していたつもりでも、人に話すために工夫してみたら、より理解が深まるね

この記事を書いたブロガー

Luck
マスコミ勤務のB型系SEです!
摂理に出会い、人生の本当の味を見つけました。
真理を学び続けて自分づくりに励む毎日☆彡
楽しい社会人摂理ライフを描写していきます(^^♪

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