satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

今年捨てるべき私の体質

今年捨てるべき私の体質

おはようございます、satoです。

今年のクリスマス会にて、教会の人からお菓子とカードのプレゼントが有りました。
ありがたいことに、このプレゼントは毎年恒例でカードには鄭明析先生の箴言が描かれていました。
毎年この箴言がとてもぴったりなのですが、今年の箴言がとても「私の直すべき体質」を明確に話していたので、ご紹介したいと思います。

「心と考えを大胆にしなさい」

…長年私の行動というのは安全に、出来る限りミスの起こらない範囲で、自分の得意分野で勝負をする、というものでした。
ちょっとでもリスクがあるとそれを回避してしまう、という悪い癖があり、自分の中ではしたいことがたくさんあるのに思うように行えないまま悶々としていました。
相談して進めれば良いものを、相談することにもリスクを感じて行えていなかった…というか、出来る限り「人とやり取りすること」を避けている節があります^^;
そんなこんなで一年悶々としていた私に、一つ大きな御言葉をくださいました。

元々大胆でない私が、単に大胆になろうとしても上手く出来ません。
だから「大胆になれるように考えを作っていく」しかありません。
つまり、失敗しないし、しても必ず神様が最後には良いものを与えてくださると考える考えを常に持っていくことです。
私は怒られること、何か言われるたびに異常なまでに不安になる傾向にあるのですが、それを恐れるのでなく「その上に何か良いことがある」と考えるわけです。
と言っても…この感覚を無くすことは思うように出来ません。元来から繊細で過敏な傾向を持つ私には難しいのかなと思います。
そうであるとしたら、その感覚を持ってむしろ「肯定的に」捉えていきたいとことです。

それに、怒られることも悪いことばかりではありません。
前に一度バイト中にあるミスをしてちょっと怒られたことがありました。しかし、実はこの時私はメディアに触れすぎたためにいつも以上にボーッとしていて、現実との乖離感が強くなっていたために、このことがきっかけで少し現実に戻ってくることが出来ました。
(ちなみに、この状態というのは「頭の中にずっとメディアのことがある」というより「感覚がかなり鈍くなっている」というもので、結構危険なのです…)
このようにして神様が「裁き」と思えるような方法を通して助けてくださることもあります。(もっと大きなミスをする可能性もあったので…^^;)

結局、神様は最終的に私たちに良いようにしかしないのです。その方法が私達の考えている「嬉しいこと」とは異なるだけです。
そのことを考えると、あとは私が祈って完全に神様の考えになるだけなのだな、と思う次第です。

神様の御言葉に反することはしない、と考えてばかりで動かないなら、確かに罪は犯さないかもしれませんが、その代わり何もすることが出来ません。
たくさん祈って、自分のやってみたいこともやってみようと思います。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事