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客観性の大切さ。

客観性の大切さ。

おはようございます、satoです。

今日は珍しくバイトがお休みでした。
昨日は異常に疲れていて、布団に入ってから10分位で寝てしまったようで…ここまでになったのは本当に久しぶりでした。
昨日の力の出なさも体の疲れがピークに達していた、ということがあったのかもしれません^^;

今日は一日フリーだったので、久々に色々なことをしていました。
核は物語やブログの方針、設定を考えることでした。
正月から色々考えて、自分なりには色々構想があったのですが専門家と話していて「本質的なところ」がズレていたことに気づきました。
そこで、現在修正して再度考え直しています。

このように、自分がしていることがズレているなんてことは良くあります。
そのことを知って修正できることが本当に感謝です。

ところで、色々調べる中でこんな映画を見つけました。

当初は「科学的な論拠」を挙げてどのように神様の存在を証明するのかに興味があって見てみたのですが、評価を見てみるとあまり高くありませんでした。
自分のところだけ良くて他はダメだという書き方、「キリスト教だから」迫害されるというやや非現実的なシチュエーションが良くなかったようです。
実際、私自身も「自分以外は悪」という考えには反対、というか拒絶感があります。
どうもキリスト教関連の映画で評価が低い場合、この「キリスト教至上主義」のような書かれ方がされていることが多いです。

WEBライティングについて学んだ際に大事なことの一つとして「客観性」が挙げられていました。
○○だから無条件良い、という話は大抵受け入れられず、むしろ敵意を向けられることが多いです。それは、自分が納得出来ないまま押し付けられる、という感覚があるからです。
キリスト教至上主義というのは「キリスト教が最高だ、他は良くない」という考えですが、実際には「キリスト教には色々良いところがある」のです。
キリスト教だから、というのでなく「キリスト教の中にある良い物」は客観的に見ても良いものです。
例えば、「隣人愛」や「貧しい人に施す」こと、そしてその根本となっている「この世は霊の世界、天国に行くためのもの」というものです。

これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。-ヘブル人への手紙11章13-16節

余談ですが、根本の思想、あるいは神様の存在を否定する人に対して無理に神様がいると話すより、この隣人愛を見せて「感じてもらう」方が優れている、と私は思います。

さて、以上の話は私自身が最も気をつけなければならないところでもあります。
私は摂理でブログを書いていて、物語を作ろうとしているからです。
「摂理だから良い」「摂理が優れている」というような捉え方がされないように、出来る限り客観的に書かなければなりません。
そのために必要なのが「深く考える」ことです。
どうして摂理がいいのか、これは良くないのか、それをしっかりと考え自分のものにしていく時、多くの人から見て納得できる内容になります。
そのことを念頭に置きながら、これからも創作活動を続けていきたいと思います。

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