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「嫌われる勇気」を途中まで読んで。

「嫌われる勇気」を途中まで読んで。

どーも、Luckです!

今年の正月に帰省した際に本屋に立ち寄り、店頭に置いてあった本を読んでいます。

その本は「嫌われる勇気」

数年前から発刊されている本なのでもう読まれている方も多いとは思いますが(;^ω^)

アドラー心理学について、一人の若い青年とアドラー心理学を研究している哲学者の会話形式で話が進んでいるといった自己啓発本としては珍しい書き方をしている書籍です。

しかも、この二人の会話が激論を交わしていて面白い。

 

 

まだ途中までしか読んでいませんが、この本で印象に残ったことを書きます。

若い青年が有名な心理学者といえばフロイトやユングといったところで、この著書では「原因論」に基づく考え方が相応しいと述べています。

原因論とはなにかといえば、例えば、赤面症という症状がある人がなぜ赤面症になったかその原因を探ること。

過去に人の前で大きな失敗をして、恥ずかしい思いをしたから今の赤面症があるといったところです。

しかし、哲学者が推奨しているアドラー心理学の考え方では全ての行動や事象には目的があるといった「目的論」を持論として持っています。

赤面症に関して、赤面症であることに目的があるというのです。

ある赤面症で悩んでいる女学生がこの哲学者の元に「赤面症を直したい」という相談をしに来たそうなのですが、その理由が「好きな男性とお付き合いをしたい」という理由から。

哲学者はこのことに関して、「赤面症があるから、好きな男性と付き合えないとでも?」というはたから見たらかなりひどいことを言っているようにも思えます。

赤面症を持っていることで、「この症状がなければ男性と付き合える」といった夢や希望の可能性を抱き続けることが目的となって潜在的に赤面症を抱えているのだとか。

砕いた言い方をすれば、人は常に言い訳の材料を持つことで「これがなければできる」とか「ここが直ればできるはず」という理想の実現の可能性を抱き続けているということです。

 

 

なかなかストイックかつ暴論のような考え方ですが、個人的にはこの考え方は好きです。

何かの原因があって、今の悪い状況が作り出されているのは事実かもしれませんが、そこでとどまっていてはいけません。

過去の出来事に原因があったとしても、今の状況は一つしかないわけであり、別のその一つを選択しなければならなかったわけではありません。

本能的に一番楽だと主観で判断したものを選んだ結果なのです。

だからといって、このままでいいと思っているわけではなく、誰しもが変わりたいと思っているのも事実です。

しかし、潜在的には変わらないほうが楽であるのも事実。

 

 

また、原因論はちょうど体調が悪いから病院にいって診療してもらい、体調不良の原因はこれですよ!と教えてもらっただけのようなものとも述べています。

これでは、患者は納得がいきません。

どうすれば治るのか、その方策を知りたいから診療しにきたので、症状の原因だけ聞いただけでは歯がゆい思いになるだけです。

問題なのは快方に向かうことです。

医者は患者に対して、健常に行くまでの方法を教えなければいけないわけですよね。

 

 

御言葉でも、今抱えている矛盾や短所は遺伝的なもの、他人や環境の影響、自分自体での考えの形成によってできたものであると教えられました。

しかし、一番大事なのは原因がどうであれ、直すことが大事だと教えてくださいました。

全くその通りです。

結局のところ、現状の矛盾と短所を無くさないといけない要素を原因というヒントを通じて、目的を遂行していかなければなりません。

そういうことから、この本で述べている、原因論と目的論はどちらも持つべき考え方なのかなとは思います。

まだすべては読んでいませんが、現段階で感じることは偏った考え方にならないように、本当に正確に分かることをもって判断していく材料にしていかなければならないなということを感じます。

 

 

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