satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

調子が上がってきました(*‘∀‘)

調子が上がってきました(*‘∀‘)

こんばんは、satoです。

ここ最近、集中が続かなかったり、やる気が出なかったり、何をやるにしてもうまく行かないような感覚に陥っていたり、些細なことが気になっていたり…と信仰の谷間に入っていました。
こういう時、私は心の奥底に何か黒いものが溜まっている感じがして、「それ」を取り出そうともがくんです。
黒いものの正体は「自分の主観、強く想起したこと」で、それを取り出すために言葉にしようとして祈ったり、無くそうと祈ったりするのです。
そうやって余裕がなくなることで、祈りで神様と対話することが難しくなり、さらに自分の主観に陥ってしまう…というのが負のスパイラルなのです。

こういう状態の時は、大抵肉体にも疲れが溜まっていて、霊的なことを考えようと思っても頭に思い浮かばず、感情的になっています。
何をやってもうまく行かず、「もう駄目だ…」と感じて疲れてしまい、ついにはやる気まで喪失してしまうのです。
そして、自分のことが否定的に感じられ、人からの助言に対しても痛く感じられて、耳をふさぎたくなるのです。私のことを否定されている感覚がして、肯定しようとしてもうまく行かない。そんな感じ。

ところが、「あること」をすることで、少し調子が上向きになりました。
これをしてから少しずつ神様のこと、御言葉のこと、主のことを考えられるようになり、少しずつ感覚が戻ってきている感じがします。
また、悪い考えも悪い空想も少しずつ薄れていき、以前だったら衝動的に出てしまっていた考え・空想も出なくなってきました。
人とも話せるようになり、会話を楽しめるようになりました。

さて、私は何をしたのでしょうか?もしかしたら、ピンときている人もいるのかもしれませんが。

私がしたのはメディアを見ないようにすることでした。
そして、その分御言葉を繰り返し読んだり考えたりしてみました。量としては不足していますが…。

そもそも、私は子供のころからテレビっ子で、テレビ・ゲーム・マンガ・アニメ・ネットチャット・掲示板…をずっと見ていました。
それゆえか、メディアを一度見ると何時間も、そう、何時間も見てしまうのです。
このことで頭が動かなくなることは多数ありました。

これに加えて、私は一つのことに関心を持つとほかのことがおろそかになります。
で、メディアを見ると世の中の芸能とかスポーツとかに関心を持ち、ひとたび関心を持つとそれはもうとんでもない勢いで大量の関連情報を見てしまうのでした。
おかげで、私が興味を持ったこと(最近だとテニスとかファイターズとかオリンピックとか…どれもスポーツだ…)に対する情報は異様に詳しいです。
このこと自体は良い方にも悪い方にも働きます。
興味を持ったことを神様の視点から見たときにどういう意味があるのか、何か御言葉と共通点がないのか、そういう発見をできる、という点では優れています。
最近もファイターズ優勝に合わせていろいろ調べたら、栗山監督の考えが摂理の御言葉と合っているということを知りました。このことについてはこちらを読んでみてください。

しかし、これが生活を圧迫するということこそが問題なのです。

・大量の情報を見ることによって、考える方に使う力が弱くなる

・大量の情報を見ることに時間を使い、自分のすべきことが回らなくなる

・もっと言うと、御言葉以外のものを見ることで御言葉を深めることができなくなったり、実践するだけの力がなくなってしまう

こういうことが起こり、生活がうまく行かなくなるのです。
なお、これはADHD等の発達障害を持っている人に起こりやすいことで、このような「突発的にあることに大量の時間を投資する」ことで生活のバランスが崩れる人は多いと聞きます。

そういうわけで、私がメディアを見るというのはそれなりにリスクが高いです。特に、最近は信仰的なことが考えられず、心の調子を崩していました…。
そこで、このたびメディアを控え、御言葉を深く考えることに集中してみました。そうしたところ、主のことを思い出し感覚を取り戻し始めたのです。

私個人としてはメディアは嫌いでなく、むしろ好きです。
なので、メディアを見たことによって調子を崩した…ということはなかなかに認めにくいところでした。
しかし、このようにメディアを控え、御言葉を読み返したことで調子を取り戻したということは、やはり私は「メディアを見ることで調子を崩した」ということなのだ、と認めるしかありません。

社会のことを知るうえでニュースを見ることはある程度必要なことではあります。これは生活をする上でも、祈る上でも必要です。
しかし、それが「生活を圧迫する」ほどになるなら、やはり一度立ち止まって「それは本当に必要なことなのか」を考える必要があります。
実際に必要な情報というのは世の中に氾濫しているもののうち、ほんのわずかです。
世の中には不必要な情報もありますし、よりすべきことがあります。
この辺りの判断をしっかりすることが、信仰生活に限らず今の世の中を生きる上で必要なことだな、と思います。特に発達障害を持っている私にとっては。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事