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地に足をついた信仰を。

地に足をついた信仰を。

こんばんは、satoです。

私は未だ信仰の波があります。
その理由は特性とか自分の切れていないところとか、様々な面があります。
調子が悪いと取り掛かるのに時間がかかり、取り掛かってもちょっと詰まるとすぐに目が行ってしまう…という状態。
集中力が弱くなる、まさに「居眠り」状態です…。
それに加えて「気になること」一つあるとそれに集中してしまうことも…。

こんな感じでなかなか調子が上がりきらない私。というか、調子が良かった日って数えるほどしか…(;’∀’)

しかし。

<機会>が来たら、状況を問わずに、見たら直ちに「着の身着のまま」ででもついて行かなければなりません。-鄭明析先生の主日礼拝の御言葉「信仰の居眠りをせず、慎み、目を覚まして行ないなさい」より

という御言葉があるように、どんな時でも、調子が悪くてもすべき時になったら必ずやらないといけないのです!
そう、地べたを這ってでも!

と言っても、無理やりにはできない…どうしたら…と私の教会の牧師さんとお話をしました。
ここ最近は特に調子が悪かったのですが、そこで色々話すうちに「祈りの姿勢を変えたらいい」という話になりました。
より具体的には「生活のことをもっと細かく祈る」という話でした。

確かに、私の祈りって、たとえば御言葉をもっと深く悟るとか神様についてもっと知るとかそういう方向には向いていても、生活のこととか今日一日をどう過ごすのかとかについてはあまり深く祈れていなかったことに気づきました。
…どうも、そういう現実的なことに対する祈りは言葉が出にくいのです。

私はそもそも、現実より空想、形而下学より形而上学的なことの方に興味、関心が向きやすいです。
だからこそ、数学がとても好きなのですが(笑)
そして、信仰においても「真理を悟る」とか、そういう「学術的」と言いますか「学問的」と言いますか…そういう方に関心が向いてしまうのです。

振り返ると、私の祈りって「分からないところを理解する」方向だったことが多かったです。
ただ、それだと自分の生活に変わりがない。
それなら、うまく行かないときは方法を変えなさいという鄭明析先生の名御言葉のように、方向を変えてみたいと思います。

このことを考えてもそうですが、信仰はやはり「地に足をついていないといけない」と感じます。
特に私は「観念的、形而上学的」に特化しがちなので、そこは反省です。

とりあえず。
祈りに関する御言葉をもう一度整理してみます…。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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