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摂理人satoの心の奥底にある愛の問題

摂理人satoの心の奥底にある愛の問題

こんばんは、satoです。

私は摂理に来る前からずっと「愛」に強い関心がありました。当初の私の感覚では「人が純粋に愛し合う」のが美しかったからでした。私は綺麗なもの、特に純粋なものがとても好きです(^○^)

しかし、現実の恋愛はそういうものではない、ということは全く知りませんでした。なぜなら(好きになることはあっても)恋愛経験が全くなかったからです。

摂理に来たら「神様との愛」を学び、それを実際に行うわけですが。
しかし、実際にはこれが結構難しかったのです。
なぜなら…私は「愛」とはなにかを知らなかったからでした。
私は昔見た「互いが互いを想うこと」を愛だと認識していました。しかし、私が実際自分の心を見たときに

「私に関心を持ってほしい、私を愛してほしい」

という思いが本当に強かった、ということがわかりました。
背景には色々なことがあったのだと思います。私が発達障害を持っていることも一つの要因のようです。(「人を認識する」のが遅く、愛着関係のタイミングがずれる、ということがあるようです)

鄭明析先生は「愛は関心だ」という御言葉をよくおっしゃいます。

だから、私は摂理で恋愛をしてはいけない、と聞いて…「人に対する関心を持ってはいけない」と強く「誤解」をしてしまいました。互いが互いを想うことが「愛」だったから、それをしてはいけないと間違えて認識してしまったのです。

違うんです。
同じ神様を信じる人はもちろん、すべての人に関心を持って、接してあげていいのです。
ただ、男女が結婚して子供を産む、愛の関係を持つのは、「自分が成長してから」することなのだということなのです。
「人間同士の愛」には限界はあるけれど、神様との愛でそれを乗り越えてより高い次元に上る…それが本当に神様の願われていることなのです。

私が一番学ばなければいけないこと、それが愛です。そして、それはどこでも教えることができません。ただ、本物の愛を持つ神様にしか、そしてその思いが書かれた聖書でしか学べません。

私も、まだ昔の認識が時々出てきます。
もっとたくさん愛について学んで、本当に相手を思いやれる私になりたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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