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重い心、重い空、それを吹き飛ばずのは、「経緯」。

重い心、重い空、それを吹き飛ばずのは、「経緯」。

こんばんは、satoです。

今日の北海道は突然の雨でした。
雨の天気に影響されてか、私の心も若干沈んでいました。むしろ私の心が沈んでいるのを見て、神様の心が重くなったから天気も重かったのでしょうか…。
ここ最近、うまくいかないことがあったり、色々世の中のものを見ていうるちに心が落ち着かず、眠たくて(これはいつものことですが…)うまく体も動かず…。
何より感情のコントロール、切り替えがうまく働いていないのがよくわかりました。

心がどこかさまよっている感じ。
そんな私ですが、今日は色々な話を聞きました。
そうしているうちに、自分のこれまで歩んできた道、そして摂理にいる根拠とかを振り返るようになりました。

私が摂理にいる中で心に残っているのは、やっぱり神様に本音で告白した時期です。
その時期は、私が一番の壁にぶつかっていました。自分の心の問題、その根本、感情が色々こんがらかって解けなくなっていました。
そんな中、相談すべき人以外には誰にも言えず、その人にすらうまく言えない本音、感情をひたすらに神様に「ぶつけて」いました。
どうして自分がそう感じているのか、自分の苦しい本音。
御言葉通りにしたい、しなければならないとは思っているけど、そのように心が、感情が動かないこと。
自分に対する怒り、切りたいものに対する怒り等々…。
そういう本音を時には泣きながらぶつけていました。
(この時期の祈りは本当に叫ぶような祈りで、しかも私は人目を気にしないというか没頭してしまうと自分の世界に入ってしまうので、周りの人には本当にご迷惑をおかけしたかと…(´・ω・`))

そんな中、ある時神様の御言葉を聞いて涙ながらに祈っているとき、主の「笑顔」が浮かびました。
それを見ながら、「こんな私なのに、どうして笑いかけてくださるんですか!?」と泣きながら叫んでいました(´・ω・`)
切りたくても切れない感情を持っていて、その感情で迷っていて、心を傷つけて、御言葉に従えなくて、若干反抗気味だった私を見て、どうして「いつくしむように、愛で」笑いかけてくださるのか、本当に理解ができなかったのです。

あれから幾年が経ちましたが、感情が複雑になるときは相変わらずあります。
昔悩んでいた壁は以前より越えられるようになってきたのですが、別の問題が頭を悩ませます。
それでも、以前のように叫びながら本音を話す、という祈りはしなくなりました。

それはどうしてでしょう?

それは、以前と違って「神様との愛のつながり」が強く感じられるようになったからです。
幾度となく話した本音、心を受け取ってもらったことが神様とのつながり、愛を深くしました。
だから、(自分が心を清くしようともがくことはあっても)叫ぶように話すことは減りました。

私が摂理にいる大きな理由の一つが、この「つながり」なんです。
誰にも話せず、私自身が最も嫌っていた自分の感情をすべて受け止めてくださった、という経験。
それが、私を今でも摂理にいさせる要因の一つです。
だから、人がどうであれ、環境がどうであれ、私は摂理を離れることは決してしません、というかできません。

それを思い出して、重かった心が少し軽くなりました。
色々な枝葉が気にならなくなりました。
そう、私は何があっても「摂理にいる」。そこが一番大事なところで、私が一番できるところ。
それに気づいたとき、激しく降っていた雨がやんでいたのでした。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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