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「退屈な日常」を出て、認識を新たに天の前に進み出る。

「退屈な日常」を出て、認識を新たに天の前に進み出る。

こんばんは、satoです。

今朝の御言葉で、次のような話が出ていました。

いつも聖三位への認識を御言葉で新たにしなさい。毎日御言葉で自分の考えを浄化しよう。
そして、毎日いつも新しく私と会おう。そうしてこそ次元が高くなる。

認識を新しくする。
確かに、認識を新しく、いつも「新しい聖三位」と出会ってこそ愛も楽しいです。

聖三位はいつも次元を上げられます。だから、だからいつも「新しい」です。
でも、私たちが「いつもと同じ」聖三位だと認識するとその新しいところが見えません。見えないから、わかりません。
いつもと同じ、ということは「停滞」を意味します。
止まっている水は濁り、腐るに、停滞していると心も濁ってしまい、楽しくなくなってしまいます。

日々の生活もいつも新しく。
毎日が同じ生活のようでも、自分の行い次第で如何ようにも「新しく」できます。
同じブログを書くにしても、朝に書くか夜に書くか。その内容ももっと意識を高く、より神様を感じられるように。
そうやって「認識を新たに」するだけで心が変わります。心が変わると、書く内容も変わってきます。

神様はいつも「新しいこと」をして、私たちを喜ばせようとしてくださいます。
しかし、それに私たちが気づけなければ…言い換えると「私たちの考えが前と同じ」だと「新しいこと」に気づけません。
そうして、生活が退屈になり、生きるのが次第に辛くなっていきます。そうやっていつの間にか様々な娯楽に流れていくのです。

最近サブカルチャーの世界でも「非日常的」で「刺激の強い」ものが求められている傾向にあります。
それは、「同じ日常の繰り返し」に苦痛を感じる人がその苦痛を紛らわせるための一時しのぎでもあります。
でも、それはあくまで「一時しのぎ」、漫画を読み終えればまた「同じ日常の繰り返し」です。漫画を読んで「同じ日常の繰り返し」を乗り越えよう、としているけれど、そこには希望がありません。
やはり、根本的に乗り越える必要があるのです。

「同じ日常の繰り返し」を乗り越えるためには…次元を上げなければなりません。
そのために必要なことの一つが「認識を新しくする」ことです。もっと自分の生活をよりよくしよう、もっと神様との愛を深くしよう…そう思っている人にはいつも希望があります。
「日常を楽しんでいる」人にとっては、「非日常で刺激的なもの」は不要です。その生活自体が「非日常で刺激的」ですから。

私も、昔から漫画を切ることができませんでした。
それは「生活の次元が変わっていなくて、同じ日常の繰り返しと感じていた」からです。
現在も、この段階と闘っているところです。どうしても、油断すると同じ生活を繰り返してしまいます…(´・ω・`)
でも、御言葉を聞くと認識が変わって、楽しく希望になります。
その御言葉を行うことで、もっともっと変化していきたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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