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今日は師の日。私の人生で感じた師の偉大さ。

今日は師の日。私の人生で感じた師の偉大さ。

こんばんは、satoです。

今日は師の日。

日本には馴染みのない言葉ですが、儒教の影響を受けている韓国では親を敬うのと同じくらい「自分の師」を敬う文化があります。

それが本日「5月の第3週日曜日」なのです。

皆さんには「自分の人生の師」といえる人はいますか?

今まで私たちは生きるなかで多くの「師」となる人に出会ってきました。誰しもが必ず関わる師と言えば「学校の教師」でしょうか。

あるいは世の中の成功した人を師としたり、親を自分の師とあおぐ人もいるかもしれません。

私も、今まで多くの師に助けられました。

たとえば、私が小学校5年生の時の校長。

北海道の小学生全体を集めて東京に行くプログラムがあったのですが、そこに行きたいと私が話したときにその時の校長先生が私のことを主催側に強く薦めてくれて、行けるようにしてくれました。

そのことによって、地元の新聞に載るくらいすごいことだった、というのはあとで知りました(笑)

また、その時の担任も色々良くしてくださいました。特に、帰りの飛行機が大幅に遅れてしまい、私が家まで帰れなくなったとき、担任が急いで迎えに来てくれ、(事情を知らずのんびりと別れの挨拶をしていた私を引っ張って(笑))終電に乗せ、自分の家に泊めてくださいました。

そのときに色々なことを語ってくださいました。…残念ながら今ではほとんど覚えていなかったのですが(笑)

ただ、そういった人が自分の「人生の」師となるのはごく稀なように感じます。

そのとき私に必要なことを教えてくれる師はいても、「人生一生ついていく」という人、この人のように生きたいという人は誰もいませんでした。

今にして思えば、それは私が「自分の人生を自分が生きる」という考えが薄かったから、かもしれません。

そんな私が鄭明析先生と出会い、神様のことを知るようになりました。正直、最初は「自分の人生を生きる」ことを避けていた私にとっては御言葉が苦痛でした。しかし、鄭明析先生はまず「神様の愛」を教え、私が神様の愛を悟れるように、私にひたすら良くし、助け、ひたすら祈ってくださいました。

私自身多くの罪を犯し、落胆することが多かったですが、そんな私を追い出すことをせず、むしろその荷を負ってくださいました。

そうして、私が「自分の人生を自分の足で生きる」ことを決心し、そのようにできるようにしてくださいました。

今、私が「自分の人生に自分の足で立った」とき、自分のすべきことを自ら行う生を生きるとき、鄭明析先生のその生の偉大さが一層感じられるようになりました。

私の人生に永遠な師を送って、出会わせてくださった聖三位に感謝を捧げます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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