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教えてもらえることの祝福。

教えてもらえることの祝福。

こんばんは、satoです。

突然ですが、人は誰でも知らないと見つけることは出来ませんし、行なうこともできません。
それはいつも見ているものだとしても、自分が知っていると思っているものだとしても同じことです。そのことを知っているつもりで生活をしてしまうと、いつの間にか自分の知らないことによって本当の姿、本当の価値を見失ってしまいます。

たとえば、夢。ここでは夜寝る時に見る夢のことを話します。
夢もいつも見ていますが、それを覚えていないと自分が夢を見ていることが分かりません。また、夢を見ていることを知っていたとしても、それが「単なる自分の脳の幻」と思っていたら、

悪い夢を見た時には「なんか嫌だったな…」と思いながら

いい夢を見たら「今日は気分が良いなぁ!」と思いながら

結局生活の中では夢のことを気にしないで過ごして、いつの間にか忘れてしまいます。

摂理に来る前、私は夢について少し研究していたことがありました。
その中で「見たい夢を見ることが出来る」という話を聞いたことがあって、それに挑戦したことがあります。「明晰夢」というのでしょうか。
それを見るには「夢の中で【自分が夢を見ている】ということを自覚する」という必要があるようで、高校の時にはそれができていました。確か、歯で自分の口内を軽く噛んで痛いかどうかで判断していたような…。
そうして、空を飛んでみたり、見たい夢を見ようとしていました。(まぁ高校生の時の出来事なので、その次元はとても低いものでしたが…(´・ω・`))

その後、摂理に来てから夢は魂体が活動しているということや夢を通して神様がメッセージをくれたり、自分の状態がわかるということを知るようになりました。
しかし、元々メディアをたくさん見ていた私の夢は何故かとても複雑、かつ意味不明な展開のものが多すぎたのです。自分で解こうとあれこれ考えてみたのですが、良くわからないまま結局スルーしてしまったことが数多くあります。
唯一分かったのは私の状態が良くないという感覚と、メディアの影響がかなり強いなということくらい…(´・ω・`)

今日もある夢を見ました。
その夢は非常に意味がありそうで、やはり解こうとしてあれこれ考えてみたのですがこんがらがっていました。そこで

天の知恵は、自分のすべてを空けることだ。
自分が知らないということを分かって神様に願い求め、学ぶことが最高の知恵だ

という御言葉に従って、この夢のために祈りました。そしたら、今日の明け方の御言葉で「核」についての話が出て、

月明洞自然聖殿も「核一つ」によって「全体」がもっと輝き、躍動感があり、目を引く。

という御言葉を通して、夢も「核を中心にして、それに合わせて全体を解かないと!」という感動が来ました。
その後、この夢にあった「核」を意識しながら、その「核」を見つけられないか探していました。歩き回っても見つからず…諦めかけていましたが、「夢を通して主がくださるものを見て、実際に得た」という話を聞いていたので、最後までやってみました。そうしたら、最後の最後で…

まさに、夢に出てきた「核」を見つけたのです!

見つけた状況も、確かに夢の通り。夢にあった場所に行ってみたら、本当に夢に出た通りの「核」を得られました。
非常にびっくりしましたし、本当に嬉しかったし、感謝でした。

たぶん私一人では出来なかったでしょう。
ある程度探して見つからなかった時点で「あぁ、この夢はちょっと現実とは違うかも…」という既存の感覚で止めていたでしょうし、そもそも探そうとすらしなかったかもしれません。
夢が現実で成される、ということを知り、実際に似たようなことが起きた話を聞き、どうやって解くべきかを教えてもらったから、出来たことです。また、実際一人でなく二人でやっていました。

知っていてこそ行えるし、教えてもらってこそ分かる。

改めて摂理に来て神様のこと、夢のこと、霊のことなど様々なことについて教えてもらえることの価値を感じました。
本当に感謝します。そして、こうして得た「天との経緯」とそのものを大切に管理していきます。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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