satoの数学小説シリーズ「真理の森の数学セミナー」絶賛更新中!

自己合理化と悔い改めと整理整頓。

自己合理化と悔い改めと整理整頓。

こんばんは、satoです。

昨日から今日にかけて、私の信仰生活を振り返ってみました。
そうしたら、過去自分ができていなかったことについて「自己合理化」してしまっていたところがたくさんあることに気づきました。

御言葉を読み返さななかったこと。

聖書を読んでいなかったこと。

約束したのに、できなかったこと。

これら一つ一つ、うまくいかないことがあるたびに足場が崩れるような感覚がして向き合えず、いつの間にか

「研究で忙しいから」

「心の問題があるから」

「脳の傾向的に…」

と言い訳をしてその事実をどうにかして受け止めようとしていました。そうして、やり過ごしていました。

でも。
その言い訳が、自己合理化が「自分の心の中の情熱」を奪っていっていました。
やろうと思っても、引いてしまっていたり、やる気が出なくなっていました。

人には肉があるから、罪を犯す。
しかし、問題なのはそれを悔い改めないことだ。

この御言葉を聞いた時、私は過去できていなかったこと、しなかったことを認めて、自己合理化を捨てて、真に悔い改めることを決心しました。

悔い改めも、今までどこか認識を間違っていたように思います。
子供の頃の経験もあるのかもしれませんが、ひたすら泣いて謝ることしかできてませんでした。
子供の頃はひたすら「怖かった」から、そこから逃げたかったのです。

しかし、本当の悔い改めはそうではありませんでした。
悔い改めとは、そのことをしなくなることです。
だから、誰かに告げて、お金を渡して、その人に良くして…そういうこととは違ったのです。

罪を許すことは、主にしか出来ません。それは絶対の真理です。
しかし、悔い改めることは、私がしなければならないし、私にできることです。

「悔い改める気持ちで」、新たに御言葉通りに行なう。
それこそが悔い改めであり、だから「悔い改めは希望」なのです。

もちろん、悔い改めようとする人を神様が助けないわけでありません。神様が顧みないはずがありません。
神様は「悔い改める」ことをひたすら願っているのですから。
神様が願うことは

ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
-ペテロの第一の手紙3章9節

罪の道から離れ、神様を愛することです。

そういうわけで、今日は色々なことを整理しました。考えも、心も、行ないも。
気になることは話すべき人と話をしました。やっぱり整理すると気持ちが良いですね。
明日は大事な主日。心をただひたすら主に傾けて、迎えたいです。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

日常生活カテゴリの最新記事