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未来のことを心配するなら、今に全力を尽くしたい。

未来のことを心配するなら、今に全力を尽くしたい。

未来はわからない。だけど、今しなければ、未来はない。

こんばんは、satoです。
今日は今週の主日12/20に摂理で伝えられた主日礼拝の御言葉について語ります。

<現在すべきこと>は「今」しなさい 「今、主と一緒に」だ

こちらが、御言葉の主題です。

<現在すべきこと>は「今」しなさい
「今、主と一緒に」だ

この御言葉は次の聖句から出ています。

3:1天が下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
3:2生るるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
3:3殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
3:4泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
3:5石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
3:6捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
3:7裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
3:8愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。-伝道の書3章1-8節

すべてのことには「時」があります。神様が定めた時が。
この御言葉は、はっきり言ってとても深いです。
すべてのことには時がある。これがすべての答えだ、というくらいです。

なぜ、自分が努力しているのに、○○が上手く行かないのか?
なぜ、今○○をしてはいけないのか?
なぜ、今○○をしなければならないのか?

自分がしたくない、やる気分でない、あるいは「本当に苦手」なこともあると思います。それでも、時には「それをしなければならない」状況になることもあります。
逆に自分が「したい」と思うけど、何故かできない時があります。それは御言葉で「してはいけない」と言われていることにかぎらず、自分にとっては「神様にして差し上げたい」ことなのに、何故か忙しかったり、うまくできない。

神様の「時」は、人間の「時」とは異なります。

神様が機会を与える時に、自分が調子が良いとは限りません。むしろ調子が悪かったり、そのことを全く考えていない時に機会がやってくる事の方が多いです。
そのことを今日の生活で感じました。

今日の私の話

今日、私はあることで衝撃的にショックなことがありました。
と言っても、何か人にされたとか、悪いことがあったわけではありません。
理由は後述するとして、「自分の心の状況」に衝撃を受けたのです。
で、それで少々塞ぎ込んでいました。

そんな中、バイトで新人さんに仕事を教える機会が来ました。

普段とは違って、人に教えなければならないので結構大変ですが、いつもなら割と楽しんでできることでした。何故かと言うと、人と話ができるし、人に教えるのは好きだからです。
ところが、今日はなかなかうまくできませんでした。正直、ずっとイライラしてしまいました…_| ̄|○ il||li
教えてもうまくできないし、やっても時間がかかる。
初めてだから当たり前のことで、しかも作業も多いのでなかなか覚えられない。私だって最初に作業してから10回近くやって、しかもメモで整理してやっと定着したくらいです。

それなのに、その行動の遅さにイライラしてしまったり、説明するのをうまくできなかったり…。
そして、そんな自分にさらに苛ついてしまう…という悪循環。
それに加えて、一緒にいるパートさんに色々言われて、しかも私が考えていたのと違うこと、たとえば「時間が掛かるから今日は教えないように」と思っていたことを教えなさい!と言われて、瞬間「怒って」しまいました。
口には出さなかったのですが、かなーり…怒りが爆発していました…。本当に申し訳ありませんでした…_| ̄|○ il||li
(一応言っておきますと、口調自体はいつもと変わりありませんでしたし、平素の状態ならそこまで気にならない(むしろ、ゴメンナサイと軽く言える)のです)

結局、全て終わったのはいつもの20分遅れ。せっかく「私の代わりにその場所を育てる機会」だったのですが、うまくできませんでした…_| ̄|○ il||li

不調な時に、どうするか…。

さすがに途中で「これはまずい」と思い、怒ってしまったことを天に悔い改めつつ、自分の心をコントロールしようとしました。
ちょうどその時に、パートさんに「ピッタリつかずにある程度やらせて見守る」よう言われ、幾つかの仕事は核的に説明してあとは見守ることにしました。
私も「やらせながら覚えさせる」ことをしていたのですが、もっと自由にやらせても良かったのだな、と客観的に気付きました。いや、神様が気付かさせてくださったのです。
また、見守る中で、その新人さんの「覚えの早さ」や「丁寧さ」など良いところが見つかり、ちゃんとできている時に「そう、OK!」とうまく褒めることもできるようになりました。

また、途中でパートさんがいつもならしないミスをしたり、一緒に働いていたバイトさんと話が盛り上がって「笑い」が起きていました。これも神様が私の心を解こうとしてくださっていたのです。(私はこういう自分の中で何かが溜まっている時に「笑わせる」働きが多く起こるのです(笑))

それもあって、最後の方は塞ぎこんでいた心も幾分解け、楽しく行なうことができました。

神様は不調の時に働かれる

今書いてて気づいたのですが、実はこのことは神様の教育でした。

よくよく考えると、「自分があれこれ言ってしまう」というのは今まで私が弟の面倒を見たり、人に勉強を教えたりする時に起こる癖でした。
私は自分ができることを人に教える時に、「その人が早くできるようにしよう」と思ってとにかくあれこれ言っていました。でも、そうすると相手も多すぎて消化不良だし、私もヤキモキしすぎてイライラしがちでした。
そうでなく、ある程度は自由にやらせて、核的に「してはいけないこと」と「すべきこと」だけを教えて、スピードはある程度気にしないで見守ってあげればよかったのです。つまり、摂理の御言葉で出た放牧ですね。
バイトで「間違ってはいけない」こと(お客様が不快に思うこととか、商品を駄目にするとか)はあるので、どうしてもそこは厳しく話さなければなりませんが、それ以外のミスはまぁ…犯してもリカバーできますし。勉強に至っては間違えないことより「自分で考える」方が大事ですし。

このように、極限状況の中で神様が教育をしてくださり、助けてくださるということがあります。極限状況の中でこそ自分の基本信仰が試されるし、自分の心の奥底が出るからです。

おかげで最近感じていた「兄弟愛」に対する問題点の答えが分かりました。本当に感謝します。

私がショックを受けていた理由

最後に、私がショックを受けていた理由について書いて終わります。

私がショックを受けていたのは自分が「未来に関するあること」ばかりを考えていて、自分が決めていたことをやめかけていたからでした。もう少し話すと…「未来に起こること」を先に考えてしまって、それに惑われてしまった、という感じです。
あれだけ神様から愛を受けて、あれだけ良くしてもらったのに、そのこと一つで揺らぐのか…というくらいショックでした。けど、それを通して、色々なことを学びました。

未来はいつか必ずやってくる。そのためにも、「今」すべきことをして、備えなければならない。

これが最も大きいことです。未来に起こることは「未来」に考え、今はおもいっきり「主と一緒に」しよう!神様を愛そう!という結論に至って、ようやく心が安定しました。

このようにですね…人は未来のことであれこれ心配しがちですが、まずは「その未来を迎えるために」今すべきことをしないといけないんですよね。
なぜなら、神様は「今!」働かれているからです。その神様の働き無くしては、未来はありません^^;

というわけで、「今」すべきことをして、「今」働かれている神様を掴みましょう!大事なのは「今」ですから。

この記事を書いたブロガー

sato
「素直に、深く、面白く」がモットーの摂理男子。霊肉ともに生粋の道産子。30代になりました。目指せ数学者。数学というフィールドを中心に教育界隈で色々しています。
軽度の発達障害(ADHD・PD)&HSP傾向あり。

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